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「最終戦の相手、今のところ二連敗ですね」

「油断するな。弱いわけじゃない。どこも同じぐらい強い。さっきだってお前、結構格上の相手勝ったんだぜ」

「え、そうなんですか」

「知らぬが仏、ってのだな。まあ序盤がいい加減な奴だから、たまに挽回できずにああいう負け方するけど。よく勝ちきったな」

 唐澤さんと向かい合っての食事。だんだんと、会話もスムーズにできるようになってきた。

「その、胡屋さんは前からあんな感じなんですか」

「そ、ずっと。まったく成長してない。将棋も少ししか伸びてないし、全てにおいてから回ってんだよな。勝負に向いてないんだろうな」

 今度は、崎原のことを思い出した。あんなに走るのが楽しそうなのに、陸上部はすぐにやめてしまった。好きなことと勝負は違うのだ。僕は今のところ、勝負を楽しめているんじゃないか、と思う。

「そろそろか」

 結局胡屋さんは僕らのところには来なかった。何か食べたのかどうかはわからないが、一人先に対局場所に座っていた。

 唐澤さんは何も声をかけない。僕も何も言葉が出てこない。三人とも着席して、只静かに時が来るのを待っている。

 相手もやってきた。黒くてピシッとした制服に、みんな短髪。運動部のような精悍さだ。二連敗しているとはいえ、一勝で三チームが並べば勝ち抜けの可能性もわずかにあるのかもしれない。もし敗退が確定していたとしても、この人たちは決して手を抜かないだろう、とも思った。

 振り駒で、再び奇数先。この言葉はさっき教えてもらったのだが、一番目と三番目が先手になるときに使うそうだ。

「お願いします」

 開始の挨拶にも慣れてきた。一呼吸おいて、角道を空ける。先ほどはびびってしまったけれど、やはりここはいつもどおりがいいと思ったのだ。

 すらすらと角換わりに進む。最近よく勉強した形だ。ややこしい変化がいっぱいあるのだけれど、本格的な感じがして好きだ。

 もちろんチームのために、勝利こそが大事だというのはわかっている。けれども同時に、将棋というゲームを楽しみたい。僕はこの先に、県代表になるとか、プロになるとかそんな目標はないのだ。ただ、誰よりも将棋を楽しむことだったら、できるかもしれない。

 唐澤さんの対局はまったく見ていない。ずっと、自分の対局に集中することができた。そして、駒がどんどん前に出ていく。その分自陣の守りが薄くなるのだけれど、なんとかなると思った。勢いは大事だ。

 多分形勢はそんなに離れていないのだけれど、相手の方が焦ってくれた。無理にこじ開けるような攻めを、丁寧に受ける。駒が入れば手厚さが生きる。いい流れだ。

「……」

 無念さからか、相手は声を発することもなく、時計を止めて頭を下げた。勝ったのだ。

 隣を見ると、唐澤さんがいない。もう対局は終わっているようだった。辺りを見回すと、対戦表の前に立っていた。僕と目が合うと、手招きされた。

「あの、見てなかったんですが……」

「俺? 当然勝ったよ」

「じゃあ……」

「いや、これ見ろよ」

 対戦表を指さす唐澤さん。見ると、二連勝だったチームが負け、三チームが二勝一敗となっている。

「ええと、どうなるんですか」

「上二つは総合が五勝四敗。うちは今五勝三敗。胡屋が勝てば問題なく一位通過、だ」

「……負けると?」

「三チームが勝ち数でも並ぶ。そうなると……大将の結果で順位が決まる」

「それって……」

「そういうことだ」

 胡屋さんは現在二連敗。これも負ければ三連敗なので、大将の中では最下位の成績ということになる。つまり、胡屋さんが勝てば通過、負ければ敗退なのだ。

「局面は……」

「はっきりしてない。あの精神状態の中でよく頑張ってる方だ」

 すでに別ブロックも含めて、最後の一局になっている。対局を終えた選手たちが大勢取り囲んで、緊張するなというのが無理な状況だ。まあ、胡屋さんが周囲の状況に気付ける状態かも怪しいのだが。

 人垣がすごすぎてどうせ見えないのだが、唐澤さんは見に行こうともしなかった。僕も対戦表の前にいることにした。もう、結果が出るのをただ待つしかないのだ。

 ビニール盤に打ち付けられるプラスチック駒の音と、秒読みを知らす時計の電子音と、人々の息の音だけが続く。何がどうなっているのかはわからないが、その様子から勝負の行方は分からないのだろう、と予想できた。

 リズムができていた。27秒過ぎ、力強く打ち下ろされる音。二人とも時間いっぱいまで考えている。必死さが伝わってきた。神聖な儀式が行われているようだ、と思った。先祖に祈るときのように、将棋に対して祈っている。

 そんな時間が十五分ほど過ぎただろうか。ため息のような、感嘆のような声が一斉に鳴り響いた。終わったようだ。一人、また一人とその場を去っていく。唐澤さんが歩き出したのを見て、僕もその後に続いた。

 がっくりと肩を落とす胡屋さんの姿があった。僕らがすぐそばまで来ても、まったく気付かなかった。

「お疲れ」

 唐澤さんの言葉に、ゆっくりと首を動かす胡屋さん。まず、唐澤さんの顔を見た。そして、僕の顔を見た。

「勝ったの?」

「ああ、チームは勝ちだ」

「良かった……」

「ただ、チームは敗退だ」

「え……」

「三チーム並んだ。順位は大将の結果」

「……すまない」

 再び視線を落とした胡屋さんを、僕は見ることができなかった。一戦目僕が勝っていれば、一位通過だったのだ。胡屋さんのせいではなく、この構成で行こうとしたチーム全員の責任だ。唐澤さんの責任もある。それが、チーム戦というものだろう。

「言っただろ。勝つのは難しいって。ここまで粘ったんだからいいんじゃねえか」

「唐澤……」

「先輩たちが背負ってたもの、感じられたか?」

 言葉にはできないようだった。それでも、唐澤さんが伝えたかったものは胡屋さんに届いたのだと思った。

「秋までには俺の足引っ張らないようにしろよ。高嶺もあんなインチキ筋違い角にやられるんじゃまだまだだ」

「……はい」

「じゃ、さっさと宿帰ろうぜ。俺、明後日テストあるんだよ」

 初めての団体戦は、こうして終わった。たった三戦だけれど、多くのものを学んだ気がした。そして、必ずまた参加して、もっと上を目指したい。


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