第3章
1
港に着くと、こちらに向かって手を振る人がいた。母さんだ。
連休初日ということで乗客が多く、宿から送迎の車が何台か来ている。島烏のおばあの姿もあったが、蜜さんは宿で忙しく来れないとメールがあった。
「あら、大きくなった?」
「そんなわけないでしょ」
この一か月、二人だけの生活をしてきた母は、僕に対して満面の笑みを向ける。
「風が帰ってこれないのは残念だね」
「夏には帰ってくるよ。急に二人帰ってくるより一人ずつ帰ってくる方が楽しみも増えるさ」
僕は助手席に乗り込んだ。風と二人の時は、後ろに二人で並ぶ。
「父さんは元気」
「とっても。頑丈だからねえ」
窓の外は変わらない風景が。それでも一か月見なかっただけで、とても懐かしいものに感じる。島は小さいが、平らな大地はとても広く見える。その先の海も。
家に着く。中はひどく静かだ。父さんは昼寝でもしているのだろうか。
「お昼作るから待っててね」
「うん」
戻ってきたらきたで、風がいない三人の家というのも変な感じだ。部屋に入る。家具はそのまま残っているものの、いろいろなものが持ち出されてすごく広く感じる。
ベッドの下の段にだけ、布団が敷かれていた。掛布団をめくると、まっさらなシーツがひどく冷たい。きっと、いつもはしまわれているのだろう。
何となく手持無沙汰になって、居間に行く。そこは以前と変わらない空間だ。
食事ができる頃、頭をかきながら父さんもこちらにやってきた。やはり寝ていたのだろう。
「おお、了か」
そして、以前と変わらぬ食事。ポツリポツリとしゃべる父。笑いながら答える母。僕はそれを微笑みながら見ている。ただ、風がいない。
食事が終わると、母さんが僕に小さな風呂敷包みを手渡した。
「何」
「島烏のおばあに持っていってあげて」
「わかった」
多分煮物か何かだろう。蜜さんが手伝っているとはいえ、送り迎えや何やらでおばあも忙しいだろう。きっと喜ぶと思う。
「じゃあ、行ってくる」
自転車にまたがる。その道のりは、少しドキドキした。
いつになく靴が多い。
「お邪魔しまーす」
「あっ」
声がしたのは裏の方からだった。言ってみると、蜜さんはシーツを干していた。
「お久しぶり」
「急に来るなー。感動の再会って感じじゃないね」
黒く光る髪を後ろに束ねている。いたずらっぽい笑みを見せる蜜さん。
「母さんがこれおばあにって」
「うん、あとで渡しておく」
風呂敷包みは廊下に置いて、しばらく二人でシーツを干した。
「7六歩」
「え」
「練習の成果見てあげる。平手なんて贅沢でしょ」
「いやあの……」
「目隠し将棋、結構鍛えられるよ」
頭の中に、なんとか盤を想像する。思ったよりも明確に思い浮かべることができた。
「じゃあ……3四歩」
蜜さんはすぐに次の手を言ってくる。僕は慎重に確認してから、少し時間をかけて応える。とっくにシーツは干し終わっていたけれど、二人は庭で将棋を続けた。
「2五歩」
「……えーと」
しかし、中盤を過ぎると持ち駒の数とかがあいまいになってきた。蜜さんは攻めてきているが、あと歩が何枚あるかで事情は随分と違ってくる。
「同歩」
「2四歩」
囲いの頭に置かれた歩。攻めの拠点として、大きな威力を発揮するだろう。そしてあと何歩あるのか……そもそも頭の中の盤はあっているのか……
そのあとなんてか進んだところで、はっきりと局面に自信がなくなってしまった。能力の限界を超えてしまったようだ。
「わかんなくなった……」
「ふふ、ここまでよく頑張ったよ。ちょっとびっくりした」
「本当?」
「本当」
蜜さんは、右手を僕に差し出した。
「おかえり」
「ただいま」
僕も右手を差し出し、その手を握った。
「高校はどうだった?」
「今のところ、それなりに楽しいよ」
「良かった」
「蜜さんはどうだった?」
「私は……さびしかったよ」
「……うん」
「でも、ここから先には逃げるところないから……了君を笑顔で迎えようって、それを目標にしてきた」
「僕を?」
「一人じゃないって思いたいのよっ」
手を離した蜜さんは、表まで走り出すと、縁側から駆け上がって部屋の中に戻った。
「ほら、お客さん多いの。ついでだからもうちょっと手伝ってよ!」
「オッケー」
なんというか、蜜さんの頑張りが伝わってきて、本当は今すぐ抱きしめたいと思ったのだ。だけれどそれではいけないこともわかっていて、隣にそっと寄り添っていた。
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