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 そして、楽しくない人もいる。

「……」

 ファーストフード店のテーブルに座り、三分ぐらい経つ。その間に二人は飲み物をすすっただけで、一言も喋っていない。

 崎原は、日に日に暗い顔になっていた。もう、島で走っていたころの快活さはまったく見えなくなっていた。今の顔を見たら、風ならどう感じるだろう。僕だってとても心配になる。

「私ね」

「うん」

 ようやく語りだしたときには、崎原のジュースは半分以上なくなっていた。

「私ね……こういう自分は嫌いで」

「こういうって?」

「結論がわかってるのに、悩んだふりしてる自分」

 から、と氷が崩れる音がした。それぐらい耳を澄ましていた。

「結論、出てるわけだ」

「……うん。たぶん……最初っからね。なんか……意地になってただけ」

「意地?」

「お姉ちゃんが……大学院生なんだよね」

「へー」

 そういえば崎原の家族のことはほとんど聞いたことがない。四人兄弟ということしか知らなかった。お姉ちゃんも小さい頃一度見たことあるような気がするが、よく覚えていない。

「東京で一人暮らししてて……すごい優秀で……お姉ちゃんに仕送りしなきゃいけないから、私はやっぱり私学には無理だって……私……私……」

 崎原の頬を、小さなしずくが滑って落ちた。それを隠すために、抑えるために必死に頑張ってきたのだろう。

「走るのは、好きだったように見えたよ」

「……うん。走るのは好き。でも、一番になりたかったわけじゃなくて……それでもお姉ちゃんに負けたくなくて……」

 わからない、でもない。優秀な兄弟を持つのは、僕も同じだからだ。

「でもさ……一番を目指すのは、私には合ってなかったかもしれない」

「いいんじゃないかな。一番なんて、欲しい人にあげればいいんだよ」

 先日の、唐澤さんの話を思い出す。一番にこだわっている人もいる。勝てないなら団体戦に出ない、なんて普通はわがままな考え方だろう。けれども一番を目指している人にとっては、それは重要なことなのだ。目指す人と目指さない人の間には、大きな溝があると思う。

 僕は、そこまでは目指していない。もっと強くなればもっと楽しいかなとは思うけれど、上には上がいて、一番を目指し始めたらきりがないと思っている。自分のできる範囲内で、いいんじゃないかな。

「了君は……やっぱりいいね」

「何その変な褒め方」

「あのね……」

 これまでとは違う感じで、崎原はうつむいた。僕と目を合わせるのを避けるかのように。

「……まあいいか。うん、今言うことじゃなかった」

「そういうのすごい気になる」

「……だよね」

「うん」

「……風君にさ」

「風?」

 素っ頓狂な声を出してしまった。ここで風の名前が出てくるとは思わなかった。

「島を離れる何日前だったかな……告白された」

「……え、あいつが?」

 全然知らなかった。そんな度胸があるとは思わなかった。

「うん。びっくりした……っていうのは言いすぎかな。なんとなくねそんな気もしてた」

「気付いてたんだ」

「了君も知ってたの」

「最近分かった」

「そっか」

「で?」

「ん?」

「なんて答えたのさ」

 崎原は少し首をかしげて、声を出さずに口だけ動かして言った。「ごめんね」

「そっか」

「うん。……いいと思うんだけどね。ちょっとだけ。惜しい、って」

「惜しいって」

 思わず吹き出してしまった。本人には申し訳ないけど、何となくわかる気がする。

「風君は性格も頭もいいし、高校できっともてるよ。私なんかじゃなくて、さ」

「どうだろうね。まあ、俺に似て顔はかっこいいんだけどね」

「そうだね」

 二人は微笑んでいた。風の尊い犠牲によって、重い空気はとりあえず流れていったらしい。

「でも、全然顔違うよ」

「前も言ってたね」

「うん。全然違う。了君の方がいいよ」

「それはどうも」

 風と比べられるときは、だいたい負けが確定していた。だから、素直にうれしい。ただ、やはり二人の顔はあまり違わないとは思う。

「出よっか。楽になれた。ありがとう」

「よかった」

 崎原が少し元気を取り戻したように見えて、僕の関心は風のことへと向かっていた。まったく変わった様子は見せなかったけれど、どんな気持ちだったのだろうか。今一人でさびしがっていないだろうか。残念ながら僕らの間にはテレパシーなどない。帰ったら、電話してみよう。


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