8
そして、楽しくない人もいる。
「……」
ファーストフード店のテーブルに座り、三分ぐらい経つ。その間に二人は飲み物をすすっただけで、一言も喋っていない。
崎原は、日に日に暗い顔になっていた。もう、島で走っていたころの快活さはまったく見えなくなっていた。今の顔を見たら、風ならどう感じるだろう。僕だってとても心配になる。
「私ね」
「うん」
ようやく語りだしたときには、崎原のジュースは半分以上なくなっていた。
「私ね……こういう自分は嫌いで」
「こういうって?」
「結論がわかってるのに、悩んだふりしてる自分」
から、と氷が崩れる音がした。それぐらい耳を澄ましていた。
「結論、出てるわけだ」
「……うん。たぶん……最初っからね。なんか……意地になってただけ」
「意地?」
「お姉ちゃんが……大学院生なんだよね」
「へー」
そういえば崎原の家族のことはほとんど聞いたことがない。四人兄弟ということしか知らなかった。お姉ちゃんも小さい頃一度見たことあるような気がするが、よく覚えていない。
「東京で一人暮らししてて……すごい優秀で……お姉ちゃんに仕送りしなきゃいけないから、私はやっぱり私学には無理だって……私……私……」
崎原の頬を、小さなしずくが滑って落ちた。それを隠すために、抑えるために必死に頑張ってきたのだろう。
「走るのは、好きだったように見えたよ」
「……うん。走るのは好き。でも、一番になりたかったわけじゃなくて……それでもお姉ちゃんに負けたくなくて……」
わからない、でもない。優秀な兄弟を持つのは、僕も同じだからだ。
「でもさ……一番を目指すのは、私には合ってなかったかもしれない」
「いいんじゃないかな。一番なんて、欲しい人にあげればいいんだよ」
先日の、唐澤さんの話を思い出す。一番にこだわっている人もいる。勝てないなら団体戦に出ない、なんて普通はわがままな考え方だろう。けれども一番を目指している人にとっては、それは重要なことなのだ。目指す人と目指さない人の間には、大きな溝があると思う。
僕は、そこまでは目指していない。もっと強くなればもっと楽しいかなとは思うけれど、上には上がいて、一番を目指し始めたらきりがないと思っている。自分のできる範囲内で、いいんじゃないかな。
「了君は……やっぱりいいね」
「何その変な褒め方」
「あのね……」
これまでとは違う感じで、崎原はうつむいた。僕と目を合わせるのを避けるかのように。
「……まあいいか。うん、今言うことじゃなかった」
「そういうのすごい気になる」
「……だよね」
「うん」
「……風君にさ」
「風?」
素っ頓狂な声を出してしまった。ここで風の名前が出てくるとは思わなかった。
「島を離れる何日前だったかな……告白された」
「……え、あいつが?」
全然知らなかった。そんな度胸があるとは思わなかった。
「うん。びっくりした……っていうのは言いすぎかな。なんとなくねそんな気もしてた」
「気付いてたんだ」
「了君も知ってたの」
「最近分かった」
「そっか」
「で?」
「ん?」
「なんて答えたのさ」
崎原は少し首をかしげて、声を出さずに口だけ動かして言った。「ごめんね」
「そっか」
「うん。……いいと思うんだけどね。ちょっとだけ。惜しい、って」
「惜しいって」
思わず吹き出してしまった。本人には申し訳ないけど、何となくわかる気がする。
「風君は性格も頭もいいし、高校できっともてるよ。私なんかじゃなくて、さ」
「どうだろうね。まあ、俺に似て顔はかっこいいんだけどね」
「そうだね」
二人は微笑んでいた。風の尊い犠牲によって、重い空気はとりあえず流れていったらしい。
「でも、全然顔違うよ」
「前も言ってたね」
「うん。全然違う。了君の方がいいよ」
「それはどうも」
風と比べられるときは、だいたい負けが確定していた。だから、素直にうれしい。ただ、やはり二人の顔はあまり違わないとは思う。
「出よっか。楽になれた。ありがとう」
「よかった」
崎原が少し元気を取り戻したように見えて、僕の関心は風のことへと向かっていた。まったく変わった様子は見せなかったけれど、どんな気持ちだったのだろうか。今一人でさびしがっていないだろうか。残念ながら僕らの間にはテレパシーなどない。帰ったら、電話してみよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます