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 年に一度、中学校の前の道が、自動車で埋まる。

 島じゅうの車が集結しているのではないかと思うほどの路上駐車。学校の中も人であふれ返っている。今日は、運動会。

 伝統的にうちの運動会は、東小出身者対西小出身者と言うチーム分けがされている。小さいころから一緒に学んできた仲間とチームを組むことで結束力は高まるし、親たちも感情移入しやすいようだ。子供のいない大人たちも大勢応援のためにやってくる。

 もちろん僕と風は同じチームだ。

 みんなが盛り上がるなか、僕はどうしても彼女のことが気になってしまう。最近ずっとそうだ。風が好きになる理由はなんなのだろう。僕と同じ血を持った人間が好きになる人に、なぜ僕は興味を持てないのだろう。

 授業中も、斜め前に座っている彼女をちらちらとみていた。ときどきうとうとしていて、あまりノートをとっているようにも見えない。それでも一つ、気付いたことがある。彼女の髪は、とてもきれいだった。肩まで伸びた黒髪は、少しウェーブがかかっている。すごく艶があって、しなやかだ。

 長距離の陸上選手を目指す彼女は、当然運動会で活躍を期待されている。彼女が出る1000メートル走は得点が高い。

 その前に僕は、110メートルハードルに出るための列に並んでいた。僕は三年続けてこの競技に出ている。あまり目立たないし、長くないし、ハードル自体は苦手ではないから。他方風は200メートル走に出るらしい。1000メートル走の前に行われる競技で、それなりに注目される。

 僕は走るのが好きではない。急かされるのが嫌だ。歩き続けるのならばいい。とはいえ、運動会でそんなことも言ってられない。

 順番が回ってきた。三レースしかないうちの、三レース目。「高嶺ー」という応援の声が聞こえてきた。走るのは各チーム二人ずつの四人。これまでの二年は、どちらも三着だった。

 スタート合図の音が響く。走り出した僕を、最初から引き離す三人。ふだん気にしたこともなかったが、足の速い三人だったのだ。最下位は嫌だ……後ろ向きなやる気から、僕は必死に足を延ばした。すると、中ほどで先頭の奴がハードルに躓き、こけた。そしてそれに邪魔されて、隣もつまずいた。僕は必死にそれを避けて、一気に二位まで上がった。そして、そのままゴールした。

 三位ではなかった。順位が上がった。棚ぼたのような展開だけど、うれしかった。ただ、徐々に悔しさも生まれてきた。それでもまだ、一番じゃない。

 席に戻ってくると、風はもういなかった。200メートル走がもうすぐ始まるのだ。

「運良かったね」

 そう言ってきたのは崎原だった。すごく楽しそうだった。

「終盤型なんだ。こけなくても二位だった」

「ふうん。ま、そういうことにしとくね」

 トラックでは、すでに200メートル走が始まっていた。最初は女子。健闘むなしく東チームは3位、4位。続いては男子、風の登場だ。

 これまで生きてきた中で、一番不思議な感覚だった。僕と同じ血を持った、たった一人の兄弟。いろいろと違うところはあるけれど、結局は似ているのではないか、そんなことも考える。見た目はほとんど変わらない。けれども今の風は、信じられないぐらいに僕と違っていた。やる気にみなぎった顔と、そのせいでがちがちに緊張してしまった体。完全に空回りする兆候だ。

 崎原の髪が脳裏にちらつく。初恋は、どんな感情をもたらすのだろう。自分が体験していないことを、自分のものとして魅せられているような不思議な感覚。

 走り出した四人。ほぼ横一線だ。風にしては頑張っているが、想像以上に200メートルは長い。顎が上がり、手足がばたついてくる。

「風ーっ!」

 みんなの声に交じり、いつの間にか叫んでいた。それは多分、内なる自分への呼びかけでもあった。

 結局、風は三着だった。ゴール付近で倒れている。普段から勉強しかしていないのだから、妥当な結果ではある、けど。

 続いて、1000メートル走が始まった。こちらは、最初から崎原の独走だった。ほかの三人も決して遅くはないはずだけど、まったく馬力が違うという感じだった。しなやかに、地面を蹴って進む脚。彼女は跳躍していた。それは性別とかに関係なく、美しい姿だと思った。恋にはならないけど、風の気持ちがわかる気がした。

 後続に約半周の差をつけて、崎原はゴールした。まだまだ走れそうな、爽やかな顔だった。

 得点競技がすべて終わって、僕ら東小チームは結構な差で負けた。それでも最後、崎原の走りを見て、僕らは勝利したかのように満足していた。過去の運動会ではこれほどの鮮烈さは記憶がないから、崎原がすごく努力したんだと思う。風は、それを知っていたのだろうか。

 九月終わりの、生暖かい風が吹いている。僕の心の中でも、新しい空気が渦巻いている気がした。


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