第3章 魅惑のピンク
第31話 朝、ピンクい
「っとう!」
夢うつつに掛け声を聞いた気がするが、断定はできない。
「ぐはあ」
だって、僕のベッドにレツさんがフライングボディプレスをかましてきたから。
「おっせーぞ、牛乳!! さっさとガッコ行くぞ!!」
「な、なんで姉さんが僕の部屋に……?」
「レツ!!」
「へえ?」
「レツって呼びな!!」
「ああ、レツさん、おはようございます」
「おはよ!!」
朝から、しかも寝起き、こちらは寝ぼけ眼を擦っているのにレツさんは早くもテンションMAX。どこ小のどこ休みのどこニーランドの朝だってんだ。
「はやく、ガッコ行こーぜ!! ガッコだ、ガッコ!!」
「……うん、一回、深呼吸しましょ」
「ああ!? しょーがねーなー。……スゥーーハァーー」
「……」
「よっしゃ、行くか!! Great Good Goddamn morningだな!! 3G morningだぜ!!」
「だ、か、ら、僕に深呼吸させてください!!」
とりあえず、レツさんを部屋から追い出し、制服に着替える。
「っていうか、何で僕の家にいるんすか?」
扉越しに訊くと、元気いっぱいのお返事。
「ああ、それな!! 昨日、保健の先生がよ、あたしの家から学園までの地図を書いてくれたんだよ。だから、あたしをガッコまで連れてってくれ!!」
「どういうことっすか!?」
僕はドアを開けると、レツさんが持つ紙切れに覗き込む。
『学園までの行き方
暮内さんのマンションをエレベーターで降ります。お箸を持つ手にある大きな出入り口がマンションの玄関です。まず、そこから出ましょう。そしてお箸を持つ手と反対を見てください。横溝歯科とかかれた看板がありますね。そこまで歩きましょう。すると道が行き止まりになっているはずです。だから、そこで九十°身体を捻り……。
……後は家路君に案内してもらってね』
わーお。
さすが保健のお姉さんだ。地図を読めないレツさん相手にこんな奇策を講じるとは。見事な投げっぱなし。
「でもさ、あたし、迷子なったら困っから、今日四時起きなんだぜ!」
「……マジすか!?」
「なんとか六時には牛乳の家に着けたぜ!! 無事にな!!」
ちょっと待て。僕の家からレツさんのマンションまで徒歩十分もないのだが。それを無事といっていいのか、それを指摘するのは野暮と言うのか。
「だからよ!! お前が起きるまで、ずっとお前の寝顔を見てたんだぜ!!」
何それ、怖い。
「お前のお袋さんがよ、七時になったら起こしてって言うからさ、時間は正確に守んなきゃよ!! そりゃ大変だったぜ!!」
おい、我が母よ、なんてことをしてくれる。
食卓まで降りると親父もお袋も嬉しそうに朝飯食ってるし、レツさんも美味しそうに牛乳飲んでるし、というか、溶け込んでいるし。
起床から家を出るまで、レツさんのペースだった。レツさん共和国のレツさん自由党総裁、レツさん大統領並に、僕の家はレツさんの領土と化していた。
だから、僕は日課となっていたあることを忘れてしまっていた。朝食後から家を出るまでの間、欠かさず行っていた大事で、非常につまらない習慣。
レツさんが勢いよく玄関の扉を開けた。ちょうど僕は俯いてスニーカーを履いていた。
「行ってきまーす!!」
レツさんの言葉に、あんたは今日二度目の行ってきますだなとか思いながら。
「……行ってきます」
その声を聞いたのは何年ぶりか。思わず僕は顔を上げる。
彼女は片足立ちで、つま先をとんとんと蹴っていた。絶妙なバランスで、マーベラスな造形のヤジロベーのように。
「あら、カル君……おはよ」
百田。
今、僕には、彼女をなんと呼ぶべきか、なんと声をかけるべきか、その言葉の欠片すら見当たらない。
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