第28話 赤のお胸

 死ぬな、牛乳!! お願いだから目を開けてくれ!! 頼む!! あたしのせいで、あたしのせいで、お前を巻き込んじまって……!! すまねえ!! だから、あたしに謝らせてくれ!! 牛乳、ごめん!! だから、お願い、目を開けて。一生のお願いだから、私に顔を見せて。そして笑って……。


 右手があつい。そして柔らかい。ふわふわして、むにむにする。何か、最高に素晴らしい感触だ。


 これは気持ちいいものだ。


 僕はもうしばらくこのままでいようと決意する。


 だって、この初めての体感、もっともっと欲しい。


「様子はどうかしら?」


 が、シャーッと軽快に何かが滑る音とともに、嫌な予感が走った。このままでいるとよろしくないことが起きる。


 しょうがない。起きるとするか。


「ぎ、牛乳!!」


 姉さんがいた。涙やら鼻水で、顔をくしゃくしゃにさせて。


「……あ、姉さん」


「大丈夫か!? あたしのことわかるか!? ここがどこだがわかるか!?」


「なんでブルマーなんすか?」


「え!?」


 レツさんは、その豊満なお胸の上で握りしめていた僕の右手を放した。そういうことか、迂闊!! と唇を噛んだ。


 えんじ色の水着のようなブルマーに、ぴちぴちの体操服に「2−1 暮内」とゼッケンが縫い付けられていた。いいと思う。ありだ。


「え、えーと、あたし、転校してきたばっかだからさ。このガッコのジャージとか持ってなくて」


「うん、そういうことじゃなくて。あれ、姉さん、体育だったんすか?」


「その件については、私から説明しよう」


 なるほど。嫌な予感が的中した。


 デジャヴじゃない。昨日だって同じ目に遭ったからな。


暮内くれうちくんの献身的な協力の元、君は一命を取り留めた」


 保健のお姉さんは目を逸らし気味に言う。


「もちろん、私の手ゴッド・ハンドのおかげでもある」


「先生、何か、隠してますよね?」


「おい、何言ってんだ、牛乳? あんたの命の恩人だぞ」


「レツさん、怒らないでくださいね。いや、場合によっては怒っていいです。それこそ、全力で」


「いや、うん、家路いえじくん、助かったんだからいいじゃん? 気にしたら負けよ?」


 絵に描いたような苦笑い。胡散臭さ百二十パーセントだ。


「だ、だって、初めて診る、本物で、天然の類い稀なる素質ギフトだよ? いろいろサンプルが欲しいじゃない? 血液とか体力とかいろいろと詳細なデータを、ほら、私って無免許だけど、学者気質だし?」


「それで姉さんを体操服に着替えさせて、身体測定とか検診とかやってた訳すね」


「うん!?」


「せっかくの機会だし、いいかなーって思って……。すみません、悪ふざけが過ぎました」


「そう言うことです、姉さん。この人はダメな大人なんです」


「わ、悪ぃ、牛乳。あたしの頭が悪いのか、全然、意味がわからねえ」


「それは追って、この大人に説明させます。その前に、たぶん、レツさんの良心を玩ぶようで申し訳ないんですが、レツさんが体操服に着替えたのって、まったく意味がなかったんですよ」


「じゃ、あたしが嫌いな注射を我慢したのも、身長や体重を計られたのも、握力とか千五百メートル走らせたのも、牛乳の命を救うためだって」


「全部、この大人の悪ふざけです」


「!!」


「ご、ごめんよー、暮内くれうちくん。私に悪気はなかったとは言えないんだけど、それでも、あまりに君が健気だったから、私もちょっと興味があったから、ご、ごめんね!! ホント、ごめんなさい!」


 レツさんは一瞬むすっとしたが、すぐに口元を緩めた。


「まあ、いいさね!! 先生のおかげで、牛乳も助かったんですし!!」


 何て快活な人なんだろう。まるで太陽のような人だ。僕の心までポカポカしてくる。


 反対に、後ろめたいことのある大人は、へへへと分かりやすい愛想笑いを浮かべていたが、耐えきれなくなったらしい。分かりやすく平身低頭する。


「ご、ごめんね! 家路いえじくんは最初から何ともなかったんだ! 痣どころか傷一つない、まるっきりの健康体だったんだ。……むしろ、相手の二年生らの方が重傷でね。おかげで、こっちで大儲けさせてもらったんだけど」


 いやいやいやいやいや、何を今さら嘘をおっしゃる。僕はあれだけボコボコにされて、三階の屋上から落ちたのだ。いくらなんでもそんな訳ない。


「冗談はよくねえよ、先生。今日の昼休みに牛乳に起きたことが、あたしが話した通りだ」


「そっすよ。先生、もういらないっすよ、その何もしてないアピール。正直になりましょ?」


「悪いけど、事実は譲らない。私も医者の端くれだ」


 突然、お姉さんの声のトーンが変わった。雰囲気が別人のようで。冷酷な機械のような、それでいて一途な求道者のような佇まいだった。


「私も現場を見たし、君の身体も丹念に調べた。それを踏まえての結論だ。家路いえじくんの身体は何ともない。何一つ細胞単位で微動だにしていない。……わかるかしら、家路いえじくん。


 暮内くれうちくんの測定結果は目を見張るものだった。観測史を上回るHiヒロニウムの量、それだけじゃない。彼女には途轍もない能力が備わっている。それは測定不能な腕力、脚力からも容易に推察できる。彼女は攻撃特科の類い稀なる素質ギフトなんだ。


 では、家路いえじくん、君の能力は何だと思う? 私は今日のこの時を持って、一つの帰結に達した。昨晩のエビルサインの襲撃といい昼休みの騒動といい、君はそれを無傷に耐えうる身体を得たんだ。つまり暮内くれうちくんとは逆に、防御特科の類い稀なる素質ギフトとして覚醒したんだ」

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