第8話 ガンジー黄色
二畳ほどの空間、先ほどの作戦コンソール室とは大違いで、白々しい照明に丸いパイプ椅子、その中央に置かれた巨大な空気清浄機。ここは休憩室じゃない。僕は知っている。こういうのを喫煙室と言うことを。
「え〜、良いじゃない、若いくせに細かいことに喧しいわね。駄目んなったら肺ごと交換すればいいでしょ?」
「それ、先生が言うと洒落になってませんよ」
「うるさい、お前も嫌煙ヒステリーか」
僕の顔に紫煙を吹きかけるお姉さんに、イラッとしたが、白衣の女性とタバコ、ありかもしれないと思った。Bさんからオランジーナとハーゲンダッツをもらったから寛大なのだ。
「すまんすまん。喫煙者は彼女とAさんだけなんだがな。喫煙者にも五部の魂、大目に見てやってくれ」
いいっすよ。レアチーズケーキ味、大好きっすし。
「さあ、今度は君の番じゃ。何でも訊いてくれ。答えよう。……無論、先ほど交通事故に遭って、死にかけて、手術を受けて、改造されて、いきなり秘密基地へと連れて来られたばかり。混乱もどころか、発狂しててもおかしくはない」
「そこは、私の腕の見せ所ですね。
お姉さんは、そう付け加えると二本目のタバコに火をつけた。
「どうだ、
ようやくか。やっとのこととも言える。
だけど。
……本当なのか。現実なのか。
僕には何が事実なのかすらわからない。
だけど、得てしてヒーローとは瀕死の状況を乗り越えて、成る者ではないか? テレビでもそうだった気がする。
そして、僕はマジでヒーローになってしまったのではないか。
地球は悪の組織に狙われた、危ない状況なのではないか。
ひょっとすると人類の危機なのではないか。
僕はオランジーナを飲み干す。アイスも綺麗にいただく。頭の中を整理させながら。
「……校長先生がヒーローに夢中なことはわかりました。僕が事故に遭ったことも。保健の先生が助けてくれたことも。この途轍もなくすげえ基地のことも。だけど、納得のできないことがあります。なぜ、戦隊ヒーローなんですか? なぜ、僕が黄色なんですか?」
校長はにっこりと微笑んだ。待ってましたかのように。いいんだよ、僕は。もう諦めているから。
「まずは戦隊ヒーローについて説明しよう。どうして一人ではなく、三人でもなく、五人なのか。これは憶測の域でしかないが、人類が五という数字に因果深いからとしか言えん。
手の指が五本、頭両腕両足で五体、『空気』『火』『土』『水』『エーテル』の五大元素、木・火・土・金・水の五行思想から見てとれるように、五という数と親和性が高く、安定しやすいらしい。統計学的にみても、そのヒーローの多くが五人組だったようだな。
それよりも、
「えーと、ヒーローが持っている成分でしたっけ?」
「正確には、
「えーと、地球にいる
「その通り。観測の結果、この日本に四人もの
その内の三人がこの町の住人なのだ!! これは、偶然かね!? いや、私にはそう思えなかった。
今のこの世界に、
これはまさに天啓とも言えた。同時に世界の終わりに思えた。
なぜなら、人類史上あり得ないことなのだ。世の悪を吸い寄せ、成敗するヒーローは確かに一人のときもあった。三人のときもあった。五人については言わずもがなだ。
しかし、四人はないのだ!! なかったのだ、決して!! これを意味することがわかるか?」
んんー、言いたいことはわかるが言葉にならない。悪い感じがするってのは直感できるんだけど。
「そのイレギュラーはとても危うい。ヒーローが敗北する可能性をはらんでいるの。即ち、世界が悪に斃されるということよ」
お姉さんの助け船で得心がいった。そう、それが言いたかった。
「だから、私は覚悟を決めた。悪魔になろうと思った。
人工的に
そう決意したのが、ちょうど今日の午後のお茶の時間。そして君が事故に遭った。私は運命だと思ったよ。だから私は躊躇なく、金に糸目をつけず五人目のヒーローを造った。この世界のために」
「……そういうことだったんですね。いや、うん、釈然としないけど、まあ、いいか。……で、でもどうやって、僕に何をしたんです?」
「実は私は先日まで、インドに出かけておった。極めて純度の高い
「そこから先は私が話しましょう」
保健のお姉さんがタバコの吸い殻を灰皿に押し付けた。フィルターに薄いピンクの口紅がついていた。無意味にちょっとドキドキした。
「私は、ズタボロとなっていた貴方の命を救うため、持ちうる医術を駆使した。それこそ論文なら七、八本書けるくらいの大手術だった。結果、貴方は命を得た。得ている。得ていくだろう。
同時に、私は貴方の身体に大量の
そして、その
わかっている。すべてを受け入れたつもりなんだけど、どうしても引っかかる国名があった。偏見とかじゃなくて、でも聞き逃せない。
「……ちなみにですが、えーと、僕は誰の
「ガンジーだ」
「え?」
「ガンジー」
「は!?」
「マハトマ・ガンジー、知らんのか? インド独立の英雄で『非暴力・非服従』に徹したという」
「いやいやいやいやいやいやいやいや、存じてますよ! でも、ガンジーですか!? ガンジーなんですか!?」
「そう、ガンジー」
「マジガンジー?」
「マジガンジー。彼の皮膚や遺骨はもちろん、衣類、書物、糸車、眼鏡まで、
「具体的には両手の掌はガンジーそのものといっても差し支えないわ。指紋を全部取り換えたから。後、睫毛もそうね。皮膚の目立たないところも。筋肉の筋には糸車の糸を埋め込んだし、脳内だってカレー粉を」
「いやいやいやいやいやいや、待ってください!! ええ!! マジで!?」
「目立つところで言えば、その歯もガンジーね」
「ええ!?」
「貴方の身体の約二割はガンジーからできている」
ガーンガーンガーンガーンガンジー……。
なんて言ってる場合か!
言ってる場合だった……。今じゃなきゃ、いつ言うのだ。
ガンジーは嫌いじゃないけど! むしろ尊敬しているけど! でも「観ろよ、俺の身体、約二十パーセントはガンジーなんだぜ?」って自慢できるか? なんか、あれだ! 弁解し辛いんだけど、絶妙にがっかりしてんだよ、僕は!
「……だから黄色って訳すか。ガンジーだから、インドだから、カレーだから、黄色なんすね」
恨めしげに校長を見ると、きょとんとした顔で答えやがった。
「違うよ。ただ黄色が余ってただけだよ」
「……余ってた?」
「そう、他の色の存在は確認できている。黄色だけいないと思ったら、君だった(笑)」
「貴方は残りモノで黄色(笑)」
このロクデナシな大人どもはこのかわいい男子をおもちゃにしやがって!! と逆上しかけたときに、Aさんが入ってきた。「ちーす」とか言って。慣れた手つきで、紙巻きタバコに火をつけながら。
「そうそう、黄色。ドクターから聞いただろうが、お前の
え!? 何それ、聞いてない!! とオヤジとお姉さんを見やると二人は不自然に目をそらした。白々しい。オヤジは口笛なんか吹いてるし、お姉さんはタバコにむせてるし、何だよ、一体もう!!
「まあ、そんなに気にすんな!! 俺達がお前さんらをバックアップしてやるからよ!!」
Aさんは銜えタバコのままに、僕の肩を片手でぎゅっと掴んで、ゆらゆらと揺らしてくれた。力強い言葉と、その手の温かさに、久しぶりにまともな大人に会えた気がした。涙が出そう。
「じゃ、俺、定時なんで帰りまーす」
!?
「うむ、お疲れさま。また明日もよろしくな」
「校長、今日の私って残業手当はもらえませんか?」
ああ、もう。大人なんて信じられない。
助けて、
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