第6話 憤怒の黄色

 僕はもう観念していた。無駄な抵抗は諦めた。


 なぜなら保健のお姉さんが、


「これから先の▽▽▽▽▽ダメ。ゼッタイ。は貴方の請求となるわ。当然、末端価格よ」


 注射器片手にニヤリと笑ったからだ。この人はマッド・ドクターに違いない。


 これ以上、この人達と関わりたくなかったが、それは許してくれないらしい。


 だから僕は深く考えるのをやめた。とある厭世家も言っていた。「考えたら敗けだ」と。


「君が交通事故に遭って、瀕死だったのは、後ほんのちょっぴりで死んでいたのは事実だ。その命を救ったのは、救えたのは彼女というのも事実だ」


 僕は、保健のお姉さんから真新しい制服を受け取ると、いそいそと着替えた。足下はふらついたが、下着一丁という訳にはいくまい。トランクス派の僕としては、ボクサーパンツはしっくりこないが、仕方ない。


「まったく同じモノを用意してもいいけど、私の本業じゃない。高くつくわよ?」


 って言ってるし。学校関係者ってガメツいのな。大人の裏側を知った気がする。


「……ついて来たまえ」


 校長に促され、僕はその後を追う。本当に保健室だった。学園だった。窓からは月が見えている。いいな、お前は。気楽そうで。


 溜め息をつこうと口を動かしたら、歯ががりっと音を立てた。砂利だった。結構な数の。


「……え〜と、今一よくわかってないんですが、とにかく助けていただきありがとうございました」


「何、気にすることはない。君は私の猫を助け、命を落としかけた。我々はその命を助けた。それだけだ」


 校長はずんずんと渡り廊下を歩いていく。人気はない。夜の学校がこんなにも静かだったとは。


「さっきの写真だと、僕、かなりヤバそうだったんですが……全然、そんな風に思えなくて。身体も前と全然変わらないし」


 僕の隣を歩くお姉さんが、ちらりと僕の顔を見た。今さらながら綺麗な女性だと思った。


。私は極一流なの、無免許だけど。あれくらいの手術オペなんて、騒ぐほどじゃない」


 僕は、はあ、と力なく答えた。彼女はたぶん嘘を言っていない。目茶苦茶でも、説得力があった。


「……それよりもむしろ 。金額的には損したといってもいい」


「ああ、そのことです。あ、あの、うまく言えないんすが、戦隊ヒーローってなんのことですか? 正直、意味がわかんなくて」


「それについては私が説明しよう」


 いつの間にか、中庭に来ていた。月光の下、アジサイが咲き乱れている。いいな、お前ら。楽しそうで。


 校長は、学園創設者の胸像の前に立った。並んで立つその姿は、瓜二つだ。あれ? この学園って創立百五十年だったような……。


家路いえじくん、君は英雄を知っているかね?」


「は、はい。えーと、織田信長とかナポレオンとかジャンヌ・ダルクのことで、いいんでしょうか?」


「その通り。平和や平等などに貢献した者という意味ではマザー・テレサやキング牧師もそれに当てはまる。君は、英雄とは生まれ持った才能だと思うかね? それともただ個人の残した業績に対する評価に過ぎないと思うかね?」


「いや、それは、えーと、すんません。難しくて……」


「結構、結構。わからぬこと知ったかぶるよりは余程いい。英雄は二通りいる。ただその功績が 称賛に値した者と、生まれながらにして、なるべくしてなった者と。これを英雄理論ヒロイック・セオリーと言う」


「が、学問なんすか?」


「私が勝手に名付けた理論だ」


 おい! と思った。


「私は、この内の後者について研究を重ねた。天から授けられたそれは、まさしく類い稀なる素質ギフトと呼ぶに相応しい。類い稀なる素質ギフトを求め、私は世界中を旅した。人類史を紐解くそれは困難極まるモノだった。場合ケースによっては神話にまでさかのぼる必要がある。童話おとぎ話だって対象だ。とくに注目すべきは……おっと、いかん。話が脱線するところだった。割愛しよう。数多くの類い稀なる素質ギフトを調べる中で、私は一つの奇妙な発見をした。


 類い稀なる素質ギフトを持つ人間の体内には、 が多量に含まれている。私はその物質にHiヒロニウムと名付けた。科学史には刻まれていない、謎の元素だ」


 お、おう。と、とりあえず頷く。話の雲行きがおかしい。このオヤジはマッド・サイエンティストに違いない。


「私はそこで気付いた。気付いてしまったのだよ! これこそコペルニクス的転回だ。英雄を人為的に作成する可能性に! 我々は英雄を人工的に造り出せるんだ! わかるかね? 凡人でもHiヒロニウムを大量に投与すれば英雄になれるんだよ!」


 ここでようやく話は、一つの帰結へと到達する。いくらうすらぼんやりしてようとも、オヤジの意図は理解できる。このオヤジが僕にしでかしたことを。トンデモないことをしやがったことを。


 しかし。


 納得ができない。


 なぜ、僕なのだ。


「うん、まあ、タイミング良く? 死にかけの君がいたしね? それに、ほら、警察とかマスコミとかに騒がれても、困るしね。いざとなれば闇に葬ればいいし、金の力で」


「いやいやいやいやいやいやいや!! ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!! おかしいんすけど!!」


「あら、興奮してるわね? ▽▽▽▽▽ダメ。ゼッタイ。、打っとく?」


「あ、それは勘弁してください」


 僕は慌てて身構える。お姉さんの注射器、すげえ怖いんすけど。


「だったら校長先生、自分で試せばいいでしょ? 英雄好きなんだし。自分がなればいいじゃないですか」


「だって気持ち悪いし」


「おい、待て、このクソオヤジ」


「ダメよ、家路いえじくん、その手を離しなさい。暴力は最後の手段よ。確かに、私もここまでの非人間クズは診たことないけど、仮にも校長なのよ」


「あんたも、あんたもですよ! ごく普通の高校生になんてことしてくれんすか!」


「だって私、お金に逆らえないんだもん」


「『だもん』じゃないっすよ! 別に僕じゃなくてもいいじゃないすか!」


「一応、私だって医者だよ? そう軽々と人体実験はできないじゃない。無免許だけどさー」


 もう、二人ともそこに正座しろ!! 思いっきり説教してやる!! オヤジだろうがお姉さんだろうが知ったことか! 道徳とは何か、倫理とはどういう意味か、とことんまで突き詰めてやる!


「……まあまあ、家路いえじくん、落ち着いて。せっかく英雄になったんだ。しかも戦隊ヒーローだぞ」


 誰が立って良いって言った!!


「そうよ、校長先生の言う通りじゃない。いいじゃない、ヒーロー。黄色だけど」


 黄色って言うな!!


「うんうん、まあ、話はお茶でも飲みながらしようじゃないか。私は君達、ヒーローのために を用意したんだ」


 勝手に動くな!! それといい加減に猫を放してやれ!! と言いかけるも、僕はその口をつぐんでしまった。


 クソオヤジが初代校長の胸像の額をデコピンすると、ズゴゴゴゴゴゴ、と地響きを立てて、目の前に地下へとつながる階段が現われたからだ。学校の中庭なのに。


 ええ!? 何これ、すごい!?


「さあ、来たまえ!! ここは君達ヒーローの第二の家となる。……オランジーナとハーゲンダッツもあるよ」


 あ、行きまーす。

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