番外編 エルバルド 1

番外編 エルバルド 1

「おーい、バルドー。少しは落ち着いたかぁ?」


 からかいを交えた幼馴染みの声が後ろから聞こえて来る。僕はそれに少しイラつきながら、用事を終えた目の前の穴を埋めて元に戻すと、浄化魔法をかけた。

 そして振り返れば、案の定楽しげな顔を隠しもしないシアンがこっちに向かっている。様子を見に来るなら少しぐらい心配そうな顔を浮かべろよって言いたい。


「…うん、少しは…」

「たぁっく、獣の下処理あれくらいで吐くなよな。確かに気持ちのいいもんじゃねぇけど、初めてでもあるまいし」

「僕だって好きでこうなってるわけじゃない」


 ムッと唇を尖らせてシアンを軽く睨んでおく。


 ウィルディー子爵領の森にはエルフの里がある。僕やシアンはその村で生まれ育ったエルフだ。

 シアンは半分魔族の血が流れてる。けど魔力量は魔族よりずっと多く、ハーフエルフとはいえ僕と同等の魔法の才能があった。加えて同じ年齢、性別とくれば狭い村だ。自然と親しくもなるし、相棒のような扱いを周囲から受けるようにもなる。


 僕たちはやっと先月10歳になったばかりだ。

 その歳になれば村の大人たちに混じって狩りに参加出来るようになる。僕もシアンもずっとそれを楽しみに、互いに剣や弓、魔法の腕を磨いてきた。その努力もあって狩り自体は問題なくやり遂げられた。

 ただ、狩ったフービーの血抜きをする場で気分を悪くして吐いてしまうという情けない結果になっただけで。


 兆候はあった。

 例えば石に躓いて手のひらに傷を作った時。魔法の練習中に避けきれず掠ってしまった時。お母さんが包丁で手を切った時。

 体から流れ出る赤を見るたびに、胸がざわついていた。でもそれは怪我をしたという事実がそうさせているだけ。単なる不安や心配がそんなざわつきを覚えさせるだけだって僕は思っていた。

 まさか、森と共に生きる純エルフの僕が、血が苦手だなんて思わない。


 初の狩り後、吐いたのは匂いのせいだろうって周りからは言われた。「気にすんな」「アレで吐くやつは結構いるんだ」と周囲は慰めてくれたけど、僕自身のことだから分かる。匂いも確かにキツイけど、吐くほどじゃない。意識を奪われたのは真っ赤にその場を染める血の方だった。それがどうしようもなく不快で、怖かったんだ。


 狩りは村の男の役目である。苦手だからと避けるわけにはいかず、それからの僕は出来る限り血に慣れようと努力した。狩りはもちろん解体場を見学したり、料理中のお母さんをじっと眺めたりして。

 それでも未だ気分が悪くなる。流れる血の量が多ければ多いほどに吐き気も強まった。


 そんなことをしていれば自然と小さな村には僕の事情が知れ渡るわけで。

 シアンは最初こそ心配そうに気遣ってくれたけど、今ではこれだ。他の人たちも僕が口元を押さえているのを見ても苦笑する程度になった。…例外もいるにはいるけど、概ね周りは気遣ってくれるから平気だ。

 けど、いい加減どうにかしたい。吐くのにも体力を使うし喉も痛める。こんなことでいちいち体調を崩すなんてバカみたいじゃないか。


「まだまだ慣れそうにねぇなー。別の特訓した方がいいんじゃね?」

「別って例えば?」

「…あー…。あ、そうだ。ショック療法で、処理を見るんじゃなくて自分でヤってみる」

「逆効果になったら、シアンが責任取ってくれるんだな?」

「えっ、いや無理だしっ!! 俺、獣解体屋になる予定ないっ」


 速攻で首を横に振った幼馴染みをじとっと見つめてから、僕は深いため息をついた。シアンの言った方法に効果はありそうにないからやらないけど、別の特訓というのは視野に入れた方がいいかもしれない。

 …といって、今すぐによさそうな方法を思いつくはずもなく、とりあえずはこれまで通りの生活を続けることにした。



 血が苦手という欠点が改善出来ないまま13歳になった僕は、シアンと共に父さんに呼び出された。


「2人とも、これから先どうしていきたいと思ってるか教えてくれないかい?」


 次期村長として勉強している僕の父さんは、ソファーに座った僕たちにそう尋ねてくる。


 どうしていきたいか、というのは「この村に残る」か「外に出る」かってことだ。エルフの成人年齢は15歳。寿命が600歳と言われる僕たちの村がどうしてこんなに小規模なのかというと、成人するとほとんどが独り立ちしてここを出ていってしまうからである。…魔力の関係もあるにはあるけど、それで追い出される人は今のところいないみたい。自主的に出て行く人ばかりだ。


 僕とシアンは1度視線を合わせて意思確認をする。頷き合って答えたのは「冒険者になろうと思ってる」っていう僕たちの希望。


 冒険者はいろんな町を巡りつつ、各地で困っている人の依頼を受けて成功報酬をもらいながら生活していく人たちのことだ。


 僕とシアンは生まれた時からの付き合いだし、個人の能力にも大きく差はない。ここ最近の狩りでも2人で協力して獲物を仕留めている。

 成人までにあと2年。まだ強い魔物との戦闘経験はないけど、冒険者になっても初めのうちは弱いものから倒して経験を積んでいけばいい。

 2人でならきっと何とかなりそうだよなってシアンと話してたんだ。


「そうか…。2人とも狩りの腕が上がったしね。バルドの欠点が少し心配ではあるけど、よく知るシアンが一緒なら大丈夫だろう。うん、分かったよ」


 こうして特に反対されることもなく、僕たちの未来の道が決まった。



 14歳も間近という時、森にフービーの倍の大きさがある魔物がどこからか現れた。


 魔物の正体はいろいろな人たちが研究しているけれど未だに分かっていない。元は獣だって言う人もいるけれど、魔力の集合体じゃないかって考える人の方が多いようである。実体があることや傷をつけると血も流れことでそれも違うんじゃないかって意見もあって、研究者は日々頭を悩ませているそうだ。

 どうやって生まれるのかも不明。ただ、魔力濃度の高い場所に現れて魔力を吸収していく。各国は守りの結界を張り巡らせて魔物を外へ追い出しているんだけど、時々こうやって国内に現れる。


 ちょうど狩りに出ていたところに遭遇した僕とシアンは、早々に近くにいるはずの仲間の元へ救援を頼んだ。


 獣型魔物、クォットリギズ。

 フービーに微妙に似てはいるけど、その体を覆うのは短い触手。顔にある長いヒゲに見える触手で獲物を捉えて体中の触手と共に絡みついて魔力を奪っていく。

 それほど獰猛ではないけど、無害でもないクォットリギズは中級ランクに指定されていた。


 その魔物退治中、仲間の1人が突進攻撃を回避出来ず、岩に激突した。魔物はその後無事に退治出来たものの、仲間の怪我は重傷。頭から大量の血が流れ出て地面に広がるのをうっかり見てしまった僕は、村まで何とか自力で帰ったもののその後盛大に吐いて3日ほど寝込むことになった。



 高熱に魘されながら、僕は夢を見た。

 懐かしくて愛しい世界の夢を。大切な人のことを。

 僕が僕になる前の、最期の日までを。


『陽(はる)くん、大好きだよ!』


 幼い頃から慕ってくれた、幼馴染みの女の子が目の前で壁と車に潰されておびただしい血を流す姿も。


 叫びを上げて目を覚した僕は、全て理解した。

 自分の「栗山陽希」という不思議な文字と音の真名が、以前の僕の名前だということ。恋をしていたあの子の最期の姿を見て、共に重傷を負った僕は生きる気力を失って病院で死んだこと。ここは前世とは全く違う世界であること。僕がいつまでも克服出来ない欠点も前世が関係していること。


 あんなに守りたいと思っていたのに、かつての僕は無力過ぎたこと。


 叫び声に駆けつけた両親も気にしないまま、僕は泣いた。強くなりたい、とただそれだけを繰り返しながら。



 数日は前世の記憶を思い出しては落ち込んでいたけど、あることに気づいてからはひたすら強さを求めるようになった。


 栗山陽希はここにいる。エルバルド・フェアルというエルフになって。

 ではあの子は、橋田結希はどうなのか。僕と同じようにここで生まれ変わっていないとは誰も言い切れない。それこそ答えられるのはいるかも分からない神様ぐらいだ。


 もしも結希がこの世界のどこかで生きているなら、僕はもう1度彼女に会いたかった。会って、伝えたいことがある。そして許してもらえるなら、今度こそ僕に結希を守らせてほしい。


 そのためにも僕は強くならなければならない。どんなものからも彼女を守れるように、力をつけなければ。

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