2
「そんなに泣き続けていたら枯れて死んでしまうぞ、小さなお嬢さん」
どのくらい泣いていたのか、声も掠れてしまった頃にふと聞こえたそれにわたしの意識は自然とそちらへ向けられる。
見るとすぐ傍に汚れた茶色の壁があった。こんなものわたしの傍にあったかなと首を傾げ、そのまま壁を上へ上へと見上げていく。
どこまでも続く高い高い壁の正体は、途中から眩しい陽の光に邪魔されて見ることはかなわなかった。
だけどすぐに理解は出来た。これが無機質な壁ではないということを。
靴。そしてズボン。その上にシャツ。…つまり服。──人だ。わたしよりずっとずっと大きな人。巨人にも程があるでしょって言いたくなるほど背が高い。
びっくりして悲しみに染まっていた心も動き出した。嗚咽はすぐには止まらなかったけど。
その人はその場に胡座をかいて腰を下ろすと、大きな両手をわたしに伸ばしてくる。不思議と恐怖は感じなかった。されるがまま、わたしは彼の手にそっと掬われるように乗せられ、持ち上げられる。
見えたのは大きな顔。少し日に焼けた、20代くらいの男の人。茶色がかった長い金髪を襟足で結んでる。緑色の目は宝石みたい。1つ1つのパーツが整っていて、この顔は誰が見ても美男だと認める美しさがあった。
だけどわたしが一番気になったのはその綺麗な顔じゃなく、その横についている両耳である。…長い。人それぞれ耳の形は微妙に違うものだろうけど、それにしては長すぎる。片耳10センチはある。耳朶が下にのびきってるって意味じゃなく。あれだ、ファンタジーものでよく出てくるような、そう、エルフのような耳。
そこまで考えた時、不思議なことにわたしは理解した。ような、じゃなくてこの人はエルフだと。いや、まぁハーフだったりするのかもだけどそういう細かいことは置いといて。
そして一瞬遅れていろんな知識が自分自身にあることに気づく。この人は決して巨人じゃない。大きく見えるのはわたしが小さいから。手のひらの上に乗っちゃうくらいに小さな、妖精族だから彼が大きく見えるだけ。
ここには人もいればエルフもいる。妖精もいるし、獣人も、魔族だっている。それらの種族は互いに共存して生きている、そういう世界。
わたしはそんな世界に生まれた。橋田結希の人生を終えて、生まれ変わった次の命。
「何がそんなに悲しい? 私でよければ話を聞くが」
「…っ」
心配げにわたしを見つめるエルフの男性。きっとこの人は優しい人だ。今会ったばかりだけど分かる。わたしを乗せるその手はうっかり小さな体を握りつぶしてしまわないよう、ものすごく気をつけてくれている。怖がらせないようにか、その声音も柔らかい。
わたしはどう答えていいか分からず、言葉を詰まらせたまま口を開けなかった。ただ、悲しみだけは戻ってきてしまってぽろぽろと涙が溢れてしまう。
「どこか痛むのか?」
──胸の奥が痛い。
「親とはぐれたのか?」
──世界から、はぐれたの。
「1人で不安だったのか?」
全てに首を横に振って、ただ涙だけ零し続けた。
やがて体が一瞬不安定になったかと思えば、わたしの頭をそっと撫でるものを感じられるようになった。指…、彼の人差し指が触れている。
「……」
「もう泣くな、本当に枯れてしまうぞ。何も心配はいらない。1人が嫌なら一緒にいてやるから。な?」
どうしてだろう。
その時ふいに陽くんが脳裏に過ぎった。目の前にいる優しいエルフの彼と陽くんは全く似ていない。陽くんは美人のお母さんに似ていたからイケメンではあったけど、中性的な印象だった。それに比べてこの人は男らしい精悍な感じのイケメンだ。体つきだって鍛えているのがひと目で分かる。帯剣してる時点である程度の武術はできるんだろうなって察せられるし。
見た目も喋り方も声も全然違うのに、と涙で滲んだ視界のまま彼を見つめ返した。
「…一緒に?」
『いもうと?』
「ああ。君がそうしたいなら」
『そうだよ。結希ちゃんが嫌じゃなければだけど』
「…いいの?」
『いやじゃない! でも、いいの? ゆき、ホントのいもうとじゃないのに…』
「私からの提案なのにいけないはずがないだろう?」
『僕は兄弟いないから、結希ちゃんが妹になってくれたら嬉しいよ』
そうだ、そうだった。
あの日そんな会話を続けた。大好きなお兄ちゃんがわたしを見てくれたことが嬉しくて、それからのわたしは「お姉ちゃん」ではあったけど「妹」にもなれたんだ。
たったそれだけのことが、わたしの気持ちを穏やかにしてくれた。お兄ちゃんは、陽くんはわたしにとっての救世主。
そして、そんな陽くんとちっとも似ていないのに同じような言葉をくれるこの人も。
見知らぬ世界で生まれたばかりのわたしを、傍に置いてくれるという。わたしを撫でる指は相変わらず優しい。
「だが、その前に教えてくれないか。君の親はどうした? 妖精族を見るのは私は初めてなんだが、君はまだ幼いのだろう?」
私は人攫いにはなりたくない、と語った彼に自然と笑いがこみ上げてくる。
滲む視界を手で軽く擦ってわたしは事実を彼に教えることにした。
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