その日わたしは、

志希

その日わたしは、生まれ変わった 1

『結希ちゃん、お誕生日おめでとう。また一つお姉さんになったね。…え、嫌なの? どうして? ──そっかぁ「お姉ちゃんなんだから」って言われてばかりじゃ嫌だよね。うーん、…そうだ。じゃあこうしよう。今日から僕が結希ちゃんのお兄さんになるよ。結希ちゃんは僕の妹ととして、いっぱい甘えて。僕にできることなら何だって叶えてあげるから。これならもう寂しくないでしょ? ね?』


 その日、わたしは恋をした。

 幼すぎたわたしが恋だと自覚したのはもっとあとのことだったけれど、いつどんなきっかけでと聞かれたらわたしは迷わずにこう答える。


「5歳の誕生日にわたしを甘やかすって言ってくれたから!」


 わたしが生まれた橋田はしだ家は、大黒柱の父親とパート勤めの母親、わたし、2歳下の双子の弟たちがいる。

 物心ついたときには既に弟たちがいたから、わたしはいつだって「お姉ちゃん」の立場だった。


 決して弟たちが可愛くなかったわけじゃない。子どもの頃の2歳差はとても大きくて、小さかったわたしよりもっと小さい弟たちが懐いてくれてどうして嫌いになれようか。

 だけど100パーセントの愛情を注げていたかと言われると答えはノー。確かにわたしは弟たちより2年も先に生まれたけど、わたしだって幼児だったんだから、親が恋しくないはずがない。


 活発に動き回る2人の子どもを同時に見なくちゃいけない両親の苦労も今では分かる。でも、わたしはわたしのことも見てほしかった。たまにはわたしのワガママを聞いてほしかった。だけどわたしが何かを言うたびに「お姉ちゃんなんだから」で我慢を強いられる。


 あの、5歳の誕生日もそうだった。わたしの誕生日が2月14日というタイミングのせいでもあるけど。

 弟たちにチョコを渡したい同い年の女の子がいて、母はその付き添いで出かけなくちゃいけなくなった。


 せっかくの誕生日でもわたしは弟たちの用事のせいで後回し。普段はいい子で「お姉ちゃん」をやっていたってプツンとキレることだってある。

 だけど癇癪を起こしてもやっぱりわたしは「お姉ちゃん」。いつものあの言葉を言われて軽く宥められただけで、母は弟たちを連れて出て行った。すぐに帰ってくるから、と。


 これでいじけない5歳児がいるだろうか。当然いじけた。この時ばかりは弟たちを恨んだ。わたしの誕生日なのに。今日だけは「お姉ちゃん」でも構ってもらえるはずだったのにって。


 お向かいに住むお兄ちゃんが訪ねてきたのはちょうどそんな時だった。5歳上の彼は当時のわたしからみればとてもとても「お兄さん」で、普段から優しくしてくれるから大好きだった。今にして思えば初恋の下地は元からあったと思う。


 1人、寂しくお留守番中のわたしにお兄ちゃんは誕生日を祝ってくれた。それなのにわたしときたら、絶賛いじけ中だったせいでありがとうも言わないまま愚痴をこぼしたわけで…。思い出すたびに過去の自分を一発殴りたくなる。


 だけどそういうことがあったからこそ、もう10年以上も昔のことを、恋をした瞬間をこうしてはっきり思い出せるんだろうから悪いことばかりでもないのかなって思ったりもする。

 何せ恋だって自覚したきっかけを忘れてしまっているので。…ホント、何がきっかけだったんだろう。でもまぁありきたりな、友だちとの恋話で盛り上がってるうちにはっきりしたとかそんな感じじゃないかな。これだけ綺麗に忘れてるってことは彼を目の前にして自覚したわけじゃない。その場合は絶対忘れないから。

 そんなわたしの恋愛事情だから、一途に彼を思って何年ですって言えないんだよね。10年以上の恋、とは言えるけど。


 その長い長いわたしの初恋は、16歳の誕生日に終止符を打つことになった。


 一足先に大人になったわたしだけの「兄」に、ちょっとだけ大人に近づいたわたしが勇気を出した、バレンタイン。


 登校前に呼び出して、おかしいくらい心臓がドキドキする中、言葉もカミカミでやり直したいって思いたくなるほど酷い状態だったけど、チョコレートと一緒に精一杯の言葉を彼に届けて。


──強い強い衝撃と共に、意識は暗転した。


 昨晩はとても冷え込んで珍しく雪が積もった朝だった。

 ホワイトクリスマスもロマンチックな雰囲気で憧れるけど、雪景色のバレンタインも素敵だなって思ってた呑気さに後悔は尽きない。


 わたしの長い長い初恋は、「兄」から返事をもらう前に終わってしまった。わたしの、橋田結希ゆきの命と共に。


 結局彼がわたしを「妹」以上に想ってくれていたのかは分からない。それを知る術もない。だから、いい。そんなことよりも強く強く思うのは。


「…かみさま、かみさま。いるなら、聞こえてるならお願いします。お願いです、お兄ちゃんを、はるくんだけは…っ、助けて下さい…! 助けて……っ!!」


 栗山くりやま陽希はるきくんの家は母子家庭で、2人はお互いに支え合いながら暮らしていた。陽くんのお母さんは線の細い美人さんでとても優しい。わたしはお兄ちゃん同様、陽くんのお母さんも大好きだった。


 その人から、わたしは奪ってしまったのかもしれない。大切な大切な一人息子の陽くんを。わたしの、わたしが告白なんてしようって決意したばっかりに。


「おねがいっ、おねがいだから、かみさま…っ…! たすけて…たすけてよぉ……っ」


 随分と世界が大きく大きく、大きくなってしまったこの場所から、遠い遠い空に向かってわたしは泣き叫ぶ。


 誰にも聞いてもらえない慟哭を。懇願を。もう、全てが手遅れだと本能が知っていても。


 彼の、わたしが唯一恋した陽くんの命を想って、泣き続けた。

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