13夜 今ここで考えても仕方のないことばかり

 ヴァンパイアの発生は、いつ、どこで起こるか分からない。研究も解析も進められてはいるが、現状、まったく予測できないのが実情だ。

 対ヴァンパイア専門組織を自負する《機関》ではあるが、そうした理由から、どうしても対応は後手に回らざるをえない。そのハンデを少しでも埋めるために、管轄地域を細分化した各区域それぞれにハンターの待機所を設け、区域内の巡回も行い、ヴァンパイアが発生したその瞬間をゼロ時間として、一秒でも早くハンターが現場に駆けつけられるように体制を整えている。

 しかしながら、ヴァンパイアは発生すればその瞬間から、甚大な被害を生む。


 ヴァンパイアというのは人間が変異した化物で、ひとの姿をした獣だ。それがかつて人間だったとは──知能を持つ生物だったとは思えないほど、人間だった頃の片鱗も残さない。

 奴らには理性も思考もない。ただ本能の赴くままに行動する。奴らを突き動かす本能については研究者によって様々な言葉が使われるが、要約すると「破壊衝動」と「捕食行動」だ。目につく人間を片っ端から襲い、喰らう。

 実を言えば、《機関》のハンターの中に、人間がヴァンパイアに変化するまさしくその瞬間を目撃した者はいない。ハンターに限らず、そんな人間はいないのではないかとさえ言われる。少なくとも、証言者としては存在しないだろう。なぜならば、その瞬間を目撃するということは、ヴァンパイアが発生したその瞬間、その場所に居合わせるということで、それは即ち、次の瞬間にはヴァンパイアに襲われることを意味するからだ。

 秋羽も変化の瞬間を見たことはない。目撃するのはいつも、その後の惨状──ヴァンパイアに食い散らされた人間の死体と、血と肉片に汚れたヴァンパイアの姿だ。

 その惨状とヴァンパイアを目にするたびに、思う。あれは『人間だったモノ』ではなく、純然たる『化物』だ、と。


 素手で人体を引き裂き、十数メートルを軽々と跳躍し、手足を切り落としても再生し、なにより人間を捕食する、厄介な化物だ。

 生半な手段や武器では、ヴァンパイアは殺せない。心臓を破壊するか首を切り落とさなければ、どんな傷でも再生する。その代わり、滅ぼされれば塵芥と崩れ、死体を残さない。

 秋羽も幾度か目の当たりにした、それはおぞましい光景だった。

 中身は獣に等しい化物とはいえ、見た目だけなら人間と変わらない。その体が一瞬で塵芥と化し崩れる様は、何度見ても慣れることはない。寸前までひとの姿をしていたものが塵芥の塊と化し、衣服の中で形を崩す様は、生理的な嫌悪を引き起こす。理性でも、感情ですらなく、本能が、それを忌むべきものだと訴える。


 とは言え、ヴァンパイアに対して、本能的に悟ることはともかく、科学的に証明されていることは、あまりに少ない。発生原因すら、未だ特定されていない。有力な仮説さえ立てられておらず、ヴァンパイアに対して分かっていることは、統計の結果として割り出されたものがほとんどだ。そのうちのひとつが、ヴァンパイアの発生事案はどうやら人口に比例する、というもの。

 辺境の町に比べ都市部、中でも首都での発生件数が群を抜いて多い。

 しかしそれさえ、単純に人口に比例しているだけなのか、それとも都市部に発生原因となるものがあるのかも、分かっていない。そして、発生件数と被害が比例するわけでもない。

 首都は言うに及ばず都市部であれば、《機関》の体制が機能している。ヴァンパイアが発生しても、比較的短時間で狩られ、被害は最小とは言えないまでも、可能な限り少なく収められる。

 悲惨なのは、辺境でヴァンパイアが発生した場合だ。ヴァンパイアの発生から、その報が最寄りの《機関》支部にもたらされ、そこから編成されたハンター隊が現地入りするまでに、絶望的な時間がかかる。たとえそれが数日のことであっても、ヴァンパイア被害においてその数日は、致命的だ。

 訓練された軍人であっても、ヴァンパイアに対して迅速かつ有効な対処が難しいと言われるのに、辺境警察や、まして民間人には対処のしようもない。逃げ惑うのがせいぜいで、それすらヴァンパイア相手には不可能に近い。

 急報を受けてハンターが現地入りした時には村がひとつ壊滅していた、などということは、実はそう珍しいことでもない。少なくとも、町や村が壊滅的な被害を受けた規模のヴァンパイア災害を〈災禍〉と呼び、その呼び名が定着している程度には。


(流歌は、〈災禍〉を生き延びた)

 不意に、秋羽の脳裏にその事実が浮かんだ。

 彼女は自らの過去や生い立ちについて多くを語らないが、以前、なにかの折りにそう聞いたことがあった。

〈災禍〉を生き延びたということは即ち、〈災禍〉によって近しい者を──家族や友人を奪われたということで、〈災禍〉の生き残りがヴァンパイアへの復讐を誓って《機関》に入ってくることはままある。流歌もそうだと言うには、彼女のヴァンパイアに対する態度は淡白に過ぎるし、今日、本人がはっきりと否定したが。

 あるヴァンパイアを探しているのだと、彼女は言った。「仇」なのだと。しかし、果たしてそんなことが有り得るだろうか。

 ヴァンパイアは発生した時点で被害を生み、それによってその存在を《機関》に知られる。《機関》は被害地にハンターを送り込み、ヴァンパイアを狩る。

 その網から逃れられるヴァンパイアなど、いないはずだ。

 発生すれば必ず狩られる、そのヴァンパイアの個体を状況など、本来起こりえないはず。


 流歌がなにを考え、なにを求めているのか、推測に流れる思考を、秋羽は頭を振って振り落とした。

 流歌の態度には思うところもあるし、その言動には不可解なものも感じるが、それは今、ここで考えても仕方のないことだ。

 もっとも、今、秋羽の思考を埋めている幾つかの事柄はどれも、今ここで考えても仕方のないことばかりだが。

 散歩は思索に向いている。いっそ、どこまでも深く、突き詰めて考えてみてもいいのかもしれないが、場所が場所だけに、思索に没頭しているとうっかり迷いかねない。最低限、周囲を認識する余地は残しておかなければ。


 首都はその設立の当初から首都として建設された計画都市だが、辺縁に向かうほどに計画は徹底されず、その間隙を突くように下層民が住み着き、必然のようにスラムが形成された。そのスラムも、当初はもっと小規模でもう少し秩序だった街並みだったそうだが、遷都から二十年が過ぎる頃には、増改築が繰り返された挙句に迷路のように入り組んだ街並みと、都市警察機構でさえも軽々しく踏み込めない(あるいは放置しているのか)治外法権めいた場所を形成していたという。

 無秩序な増改築はそれ以降も繰り返され──というか、常に継続され、スラム地区はまるで生き物のように、それこそ日進月歩のごとく様相を変えつつ、厳然としてそこに在り続けている。

 当然のように犯罪発生率の高い場所ではあるが、逆にヴァンパイア発生率は高くない。《機関》にとっては、スラムは管轄地域内の空白地帯だ。そして、だからこそ秋羽はこの〝散歩〟先にスラムを選んだ。

 件の事件の遺体は、スラムでも見つかっている。犯人が単なる殺人狂でも、考えたくはないが雪斗であっても、都市警察や《機関》の目が届ききらないスラムを拠点としている可能性は高い。


 遷都を計画した組織がまったく意図しないままに形成された大規模なスラム。犯罪の温床過ぎて、首都警察も介入することを嫌うほどの無法地帯は、犯罪者や追われる者が逃げ込み、潜伏するには格好の場所だ。

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