10夜 分かっていてもどうしようもないのが感情というもの

《機関》本部の建物を出ようとしたところで、声を掛けられた。

「どこに行くんですか、秋羽?」

らんか」

 人懐っこい笑みを浮かべて立っていたのは、現在、秋羽とバディを組んでいる藍だった。雪斗が失踪した翌年、《機関》に配属され、以来バディを組んでいる。

 秋羽より三歳年下の二十二歳だが、年齢よりも幼く見える童顔で、見た目だけなら二十歳を過ぎているようにはとても見えない。その童顔にふさわしい愛嬌のある笑みと馴れ馴れしさ一歩手前のフレンドリーさで、誰に対してもするりと懐に入り込む。

 雪斗を失って以来、誰も寄せつけなかった秋羽にさえ躊躇いもなく近づき、最終的には彼のバディに収まったのだから、その技能スキルは相当のものだ。こんなところでハンターなどにしておくのは惜しい、もっと他にその能力を生かせる職種もあるだろうにと、秋羽でさえ思うが、藍は藍なりに思うところがあって《機関》のハンターを希望したのだろう。


「ハンターの単独行動は厳禁ですよ」

「今日は非番だ」

 いたずらを咎めるように言ってくる藍に、ハンターとしての行動ではないのだと返すが、藍は首を傾げて問うてきた。

「でも、街に出るのでしょう?」

「非番に街に出て、悪いか?」

「悪くはありませんが。ご一緒しても?」

「バディを組んでいるとはいえ、非番時は別行動でかまわないはずだが?」

「でも、雪斗を探すんでしょう?」

「────だったら、どうだと?」

 僅かに目を細め、冷やかな気配をまとった秋羽に、藍は慌てたように(そうは見えないおっとりとした動作でだが)胸の前で手を振った。

「ああ、誤解しないでください。僕は雪斗を見つけたからって問答無用で殺そうなんてしませんよ。そもそも執行部からの命令だって、あくまで『殺害許可』であって、『殺害命令』ではないのですから」


 藍の言うことはもっともだ。執行部からの命令はあくまでも、『脱走者を発見すれば拘束すること。抵抗にあうなどやむをえない場合に限り殺害もやむなし』というもの。その意図は、〝可能ならば確保、不可能な場合、逃走されるよりは殺害を優先する〟というもの。

 藍はその意図を理解したうえで、忠実に従うだろう。秋羽の手前、殺害などという結果にならなければとは思っていても、それが必要と判断すれば、躊躇うまい。

 雪斗の失踪後に《機関》に配属された藍は、当然ながら雪斗と面識がない。秋羽の元バディだということは知られているし、その点では(雪斗に対してというよりも秋羽に対して)思うところはあるかもしれないが、結局のところ藍にとって雪斗は、脱走者のひとりにすぎないだろう。

 だからこそ、割り切ることも難しくないだろうし、実際、割り切っているだろう。

 そして、そうだろうと思うからこそ、藍を伴いたくなかった。

 というか、誰も伴いたくはない。雪斗に対する感情を共有できない者は、誰も。

 とにかく、独りになりたかった。


「いや。やはり、お前を同行させるわけにはいかない」

「なぜです?」

「これは俺の勝手な行動だ。執行部からの要請も指令も受けていない。それにお前がつきあう義理はないだろう」

「義理ならありますよ。僕は貴方のバディですから」

 にこやかに答える藍の表情からは、他意は窺えない。

 だが、騙されるな。無害なフリで相手の懐に入り込むのは、この男の得意技だ。秋羽はよく知っている。裏表のなさそうな笑顔に、本当に裏がないわけじゃない。

「そうやって、俺の行動を監視するつもりか?」

「あれ、バレてました?」

 悪びれもせずに笑う。あっさりと認めたのは、本気で秋羽を欺こうとまでは考えていなかったからか。それとも、歩み寄りを見せて秋羽から妥協を引き出す算段か。

 藍の真意を読もうと試みて、馬鹿らしくなってやめる。


 藍にしろ流歌にしろ──そして雪斗にしろ。その本心を読めたことなど秋羽にはない。ないのだろう。少なくとも雪斗に関して、その本心を理解していれば、現状は違っていたはずだ。

 他人の、それも本心を隠すのがうまい人間の真意を探るなど疲れるだけで、この場においては益もない。

 この場で肝要なのは、ひとつだけ。

「それは、執行部からの命令か?」

 藍の行動に、執行部が絡んでいるか否か。

 はたして藍は、あっさりと否定を示した。

「いいえ。貴方が雪斗にこだわっていることは執行部も承知しているでしょうが、今のところ、特になにも。そもそも、執行部が本気で貴方の行動を危険視すれば、もっとあからさまな監視がつくか、待機命令が出るでしょう」

「……確かにな」

 それがないということは、秋羽の意思を尊重しているのか、泳がしているのか。あるいは、この広い首都まちで秋羽と雪斗が都合よく接触するなどありえないと思っているのか。

 執行部の真意を読もうと考えるのは、それこそ馬鹿馬鹿しいことだが。


「それで? 実際のところ、貴方はどうしたいんですか?」

 まじめな顔で問われて、秋羽は苦笑した。

「どう、と言われてもな。現実問題、俺がひとりでふらふらそこらを歩き回ったくらいで、本当にいるかどうかも分からん雪斗に会えるとは、思っていないさ」

 さすがに、そこまで錯乱してはいない。

「そもそも、それらしい人物が目撃されたというだけで、雪斗が首都にいると確定されたわけじゃない。それが雪斗だったとしても、向こうだって《機関》の追跡は警戒しているだろう。偶然出くわすなんて確率、どれほどあると思う?」

「それは、まあ。でも、その確率に賭けているのでは?」

「俺は、雪斗を探すなんて一言も言っていないぞ。──単に、気晴らしというか、頭を冷やしたかっただけだ」

 じっとしていると、余計な方向に思考が向きそうで、無目的に散歩と決め込むのも悪くないかと考えついた。本当に、それだけだ。

「なるほど、散歩ですか。それならなおさら、ご一緒しましょう」

「結局、そうなるのか?」

 呆れ混じりに半眼で返した秋羽に、藍はにっこりと笑って言った。

「余計なことを考えたくないのでしょう? ひとりで歩き回ったところで、頭は冷えるかもしれませんが、思考の偏向は否めませんよ」

 そうかもしれない。そもそも、散歩というのは思索に向いている。余計なことを考えたくない時に取るべき行動ではないのかもしれない。

「男が二人連れ立って散歩というのも色気がありませんが、話し相手がいたほうが、今の貴方には、きっと良いと思いますよ」

 にこやかな、人好きのする笑顔で言われて、「そうかもな」と、秋羽は頷いた。


 実際、ひとりでなにをしようと思っていたわけでもない。

 雪斗が本当に首都に戻ってきているのなら、会えるものなら会いたいとは思う。だが、それが簡単なことではないことも、分かっている。《機関》を離反した雪斗と、未だ《機関》に身を置いている秋羽が、連絡手段もない状態で示し合わせず遭遇する確率など、限りなくゼロに近い。

 その確率を超えて会えたとして、互いの立場を考えれば、他意なく言葉を交わすことさえ難しいだろう。

 そんなことは分かっている。分かっていてもどうしようもないのが感情というもので、それをコントロールしきれないのは、確かに流歌の言うとおり、ハンター失格なのかもしれない。

 とにかく、頭を冷やそうと思った。

 一晩、首都の街を無目的に歩き回って雪斗の影も踏めなければ、さすがに現実を思い知るだろうと。

 そんな個人的な行動に藍をつきあわせるのは申し訳なく思うが、確かにひとりでいても思考が好転する気はしない。独りになりたいと思ってはいたが、気を紛らわせる相手がいたほうが良いのも事実だ。そして、どうせ伴うのなら、まだしも気の置けない相手のほうが良い。



 けれど秋羽は、僅か数時間後、この時の選択を後悔する。

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