9夜 その予想は外れていてほしかった
不満げな表情を隠しもせずに踵を返した秋羽の背を無言で見送り、流歌は胸中で呟いた。
(そんなだから、教える気になれないのよ)
あまりに危うくて。
ヴァンパイアへの敵愾心、ヴァンパイアを狩るためなら多少の犠牲は厭わない、その覚悟は、《機関》の在り方に馴染むものだ。私情さえ絡まなければ、秋羽は優秀な《機関》のハンターだろう。
けれど、私情に囚われている今はその限りではない。
流歌にとって個人的に好ましく思えるのは今の秋羽のほうだとしても、それはそのまま危うさに繋がる。
そんな秋羽に、さらに不確かな、そしてより不吉な情報を伝えることなど、できるはずがなかった。
それを知ったなら秋羽がどんな行動に出るか、容易く想像できてしまうから。
「きっと、知らないほうがいいのよ」
自分に言い聞かせるようにひとりごちて、流歌は情報部へと戻った。
デスクに着く前に、同僚からその情報はもたらされた。
「流歌。ハンターがやられた」
深刻さを帯びた同僚の報告に応えて、流歌も表情を険しくした。
「ハンターが? ヴァンパイアが出たの? 発生地点は?」
矢継ぎ早な流歌の問いに、同僚は困惑したように首を振り、
「いや、ヴァンパイアじゃない。と、思う。連続猟奇事件、あっただろう? 脱走者の関わりが疑われている。あれだ」
「ハンターが、例の事件の被害にあったの?」
「そうだ」
答えた同僚の顔は強張っている。それも当然だ。《機関》のハンターは対ヴァンパイア戦闘に特化しているとは言え、国軍式の正規の戦闘訓練も受けている。個人としての戦闘能力も、国軍の兵士と比べて遜色ない。対ヴァンパイアと対人では勝手も違ってくるが、それにしたって、そこらの犯罪者に遅れをとるようなことはないだろう。
そのハンターが、
「殺されたっていうの? 人間に?」
「例の事件の犯人が人間なら、そういうことになる。──だが、人間だとしか思えないだろう。死因は頸動脈切断による失血死。それ以外に目立った外傷はなく、食い荒らされた形跡もない。まして、ヴァンパイアが死体にメッセージを残すなんてことは──」
「文句は?」
「え?」
「死体にメッセージが残されていたのでしょう? その文句は?」
「あ、あぁ……確か、『我はここにあり』、だ。──メッセージの意味は不明だが、これでいっそう、脱走者の関与が濃くなったな」
同僚が呟く。
訓練されたハンターを、たとえ不意を突いたとしても一撃で殺すことは簡単なことではない。犯人には相応の能力があると見て間違いなく、戦闘訓練を受けていた元《機関》のハンターなら、条件に当てはまる。これまでの死体発見現場の近くで脱走者が目撃されている事実を踏まえれば、関わりを否定するほうが難しい状況だ。
しかし、流歌は同僚の呟きなど聞いていなかった。
「『我はここにあり』……そう」
呟き、そのままふいと同僚に背を向ける。
「あ、おい、流歌?」
困惑と不満の入り混じった同僚の声には応えないまま、自分のデスクに着く。省電力モードになっていたモニターを立ち上げ、いくつかのウィンドウを開いた。すべて、件の連続猟奇事件に関するものだ。ヴァンパイア絡みではないが、脱走者が関わっている疑いがあり、懸案扱いになっていた。しかしそれとは関係なく、流歌は独自に情報を集めていた。
歓楽街の片隅、官庁街の路地裏、スラムや住宅街で。この一月で被害は六人──先程聞いたハンターで、七人目。死因はすべて、頸動脈切断による失血死。鋭利な刃物で一撃、首を半ば断たれている。争ったような痕も、防御創もない。死体はどれも、一点を除いてきれいなもので。
それは確かに、ヴァンパイアの仕業とは思えない手際だ。
ヴァンパイアに殺されたのであれば、もっと全身ずたずたになる。原形を留めないほどに破壊され、喰われるのだから。五体満足であることのほうが珍しく、遺体の一部が失われていることのほうが多い。
刃物を用いての、ある意味スマートな殺し方。それはまったくヴァンパイアらしくない。少なくとも、世間が認識しているヴァンパイアらしくない。
けれど、これはヴァンパイアの仕業だ。事件が発覚した当初から、流歌は確信していた。
人気のない、街の死角のような場所で見つかる惨殺体。メッセージはいつも、その体に直接刻まれている。
『同族殺しに告ぐ』
『我はここにあり』
『止めてみよ』
確認されたメッセージはその三種。それが、犯人が発信したがっているもののすべてなのだろう。
(同族殺しに告ぐ、か)
まったく、悪趣味な趣向だ。──それでも。
(手がかりには、違いないわよね)
『同族殺し』という言葉が流歌の認識しているものなら、そう呼ばれる存在は、流歌の知る限りではひとりだけ。その存在を認知している者も限られる。
そして、先程もたらされた最新の被害情報。殺されたのは《機関》のハンター。状況は分からないが、単なる犯罪者相手に《機関》のハンターが殺されるなど、まず考えられない。いくら対ヴァンパイアに特化しているとはいえ、彼らは優秀な戦闘員だ。ハンターに匹敵する、あるいは凌駕するほどの戦闘力がなければ、殺害することなどできないだろう。
犯人がヴァンパイアなら戦闘能力の高さは当然だが、これまでの情報を重ね合わせると、それ以上にあまり面白くない結論に至りそうだ。
流歌自身、これまでその可能性を考えなかったわけではない。むしろ、状況はそれを示唆し続けていた。心のどこかで覚悟しながらも、その予想は外れていてほしかった。彼女自身のためにも、秋羽のためにも。
(あたしだってね、あなたのこと、友人だと思っているのよ。──雪斗)
秋羽のことはもちろん、雪斗のことも、今でも。《機関》という、流歌にとっては嫌悪すべき、そしてそれ以上に気を許すことのできない組織で得た、大切な友人だと、思っているのに。
──思案に沈みかけた思考を、微かな音が引き戻した。ポケットに入れている通信端末が、メッセージの着信を知らせる。
ちらりと周囲に視線を走らせ、彼女を気に留めている者がいないことを確認してから、端末を取り出し、メッセージを確認した。
瞬間、顔が強張るのが分かった。
注意深くメッセージを読み返す。けれど、短いメッセージは読み間違えようもなく、流歌の〝最悪の想定〟を肯定していた。
込み上げてきた苦い感情を奥歯を噛んで飲み下し、流歌はもう一度、周囲に視線を走らせた。
ハンターが殺されたという情報に浮き足立った気配はあるが、それが幸いしてか、室内の意識は彼女には向いていない。
デスクの端末をすばやく操作し、主だったデータを消去する。元々、後で追跡されて困るようなデータはこの端末では扱っていないし、残していって困るような物も持ち込んでいない。持って出なければならないのは、ポケットに戻した私物の通信端末くらいのものだ。
デスク周辺に視線を走らせ、最後のチェック。このまま自分が《機関》から姿を消して、その足跡を追えるような僅かな手がかりすら、残してはいけない。
確認を終えて、流歌は席を立った。四年間、所属したその場所に、未練の欠片も示すことなく、たださりげなさを装って、部屋を出た。
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