8夜 突きつけられた彼我の絶対的な温度差

「──お前の目的がなにかは知らないが、目的なく《機関》に属している人間など、いないだろう」

 僅かに心を過ぎった嫌な予感を振り払うように、秋羽は務めてそれまでと変わらない調子で話を続けた。

「そうね。そうだと思うわよ。だから問題なのは目的の有無ではなく、そのための覚悟のほどではないかしら」

「俺には、覚悟が足りないと言うのか?」

 声音に険を含めれば、流歌は小首を傾げて秋羽を見返した。

「ヴァンパイアを滅ぼすためには手段を選ばない《機関》のやり方を是として、その組織と心中する覚悟があるのなら、離反した友人への殺害命令くらい、受け入れられるでしょう?」

「ヴァンパイアを狩ることと離反者の殺害は、同列に語るべきことではないだろう」

「──本当にそう? 離反したのが雪斗ではなくほかの誰かでも、あなたは同じように憤って、同じことを言ったかしら」

 反射的に反駁した秋羽に、流歌はやはり淡々と疑問をぶつけてくる。


「あなたの目的はヴァンパイアを狩ること。そのために多少の犠牲は仕方ないと覚悟してる。でも、雪斗を殺すことは──それを容認することは、その覚悟の範疇にない。それが、あなたの覚悟の限界なの」

 静かに告げた流歌に、秋羽は沈黙した。そんな秋羽に、流歌はふっと笑った。

「勘違いしないでね。それが悪いって言ってるんじゃないの。それはとても人間らしい感情よ。正直、安心したわ。あなたが、組織の命令のままに雪斗親友を殺すようなひとじゃなくて」

 そう言った流歌の笑みこそが、人間らしく秋羽には見えた。

 けれど、だからこそ疑問に思う。

「なら、お前はどうなんだ? そうやって《機関》の方針に疑問を向けながら、表立って批判するでもなく従っている。それがお前の覚悟か?」

 皮肉を込めて問うと、流歌はあっさりと頷いた。

「そうね。目的を達するまで、あたしは今の立場を失うわけにはいかない。上層部に目を付けられることも避けなければならない。そのためには、雪斗への殺害許可くらい、納得したフリでやり過ごして見せるわ」

 平然と、言う。流歌にそこまで言わしめる、

「お前の目的とは、なんだ?」

 これまで、訊ねたことはなかった。秋羽が初めて口にした問いに、流歌は小さく嘆息した。

「──ヴァンパイアの、捜索よ。と言っても、不特定多数のヴァンパイアじゃなく、特定の──たった一体の、ね」


 流歌の『目的』を聞いて、秋羽がまず思い浮かべたのは、彼女の過去だった。

 流歌はかつて〈災禍〉に遭遇し、それを生き延びた。そのこと自体は、いつか彼女自身から聞いたことがある。その割にはヴァンパイアに対する憎悪も恐怖も希薄だと思っていたが、それでもやはり、かつて自分からすべてを奪った相手には相応の感情を抱いているのだろう。こうして《機関》に属し、探し出そうと──いや、それはおかしい。〈災禍〉ほどの規模のヴァンパイア被害となれば、相当規模のハンターが投入され、徹底的な狩りが行われるはず。しかし、そう言えば──

「ちなみに、あたしが探しているのは、あたしが遭遇した〈災禍〉を起こしたヴァンパイアじゃないわ。そのヴァンパイアはもう、滅んでる」

「しかし、報告書では──」

「滅んでいるのよ。あたしはそれを見た。──あたしが探しているのは、別の──仇よ」

「仇?」

「そう。あたしが憎んでるのはたった一体のヴァンパイアだけ。そいつを見つけて滅ぼすことができるなら──秋羽、あなたを裏切ることもできるわ。《機関》の主義主張なんてそれこそどうでもいい。あいつを見つけるために、あたしは《機関》を利用しているだけ。でも、見つけるまではこの立場を失うわけにはいかない。だから、雪斗への殺害許可にも納得しているフリをする。──これがあたしの覚悟よ」


《機関》に属しながら、その思想に一切の共感を示さない。それこそが、流歌が『異端』たる所以。

 分かってはいた。理解しているつもりだった。

 だが、秋羽の理解は、流歌の内実には、到底及んでいなかった。

 突きつけられた彼我の絶対的な温度差に沈黙するしかない秋羽に、流歌はさらに畳みかける。

「秋羽。あなたがなにより優先させるものはなに? ヴァンパイアを狩ること? そのための組織である《機関》の存続? それとも、雪斗友人の命?」

「それを、同列に語るのか?」

「今、あなたに与えられている選択肢としては、同列ね。《機関》を取るか、雪斗を取るか。《機関》を取るのなら、雪斗を切り捨てなければならない。《機関》が求めているのは、それができる者だけ」

「『それは人間らしい感情だ』と、お前も言ったじゃないか。それを捨てろと言うのか?」

「化物を狩るのにそんなものは不要だと、少なくとも《機関》はそう考えている。《機関》がハンターに望んでいるのは〝人間らしさ〟ではなく、〝化物を狩るためならば人間性さえ捨てられる狂気〟よ」

「離反者とはいえ、人間を殺すことも厭わない狂気、か?」


 言いながら、疑問に思う。化物を狩るためになら人間を殺すことも厭わない。そのためになら人間らしささえ捨てる。──〝人間らしさ〟を捨ててしまったら、それは果たして〝人間〟だろうか。

 つまり《機関》は──化物を狩るためになら人間であることさえ捨てられる者をこそ求めている、ということか?

「極端に言えば、そうでしょうね。──あなたがあくまでも人間として、かつ《機関》のハンターでありたいのなら、狂気の仮面を被ることを覚えるのね」

 はたして流歌は、秋羽の疑念を肯定したうえで、組織を偽る小狡さを持てと言う。あるいはそれは、彼女なりの秋羽への助言なのかもしれないが。

「お前のように、か?」

 硬い声音で問うた秋羽への返答は、その声音も言葉も、突き放したように冷ややかだった。

「それができないなら、ハンターなんてやめてしまいなさい。友人への感傷を抱えたまま、《機関》の望むハンターであることなんて、できないのだから」

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