7夜 たった一言の中に、すべてが凝縮されている

「本当に、つくづく組織に向かないわね、あなたは」

 嘆息とともに、流歌が零すように言った。皮肉の気配は含まれていなかったが、それを読み取るには、秋羽の精神は尖りすぎていた。

「どういう意味だ」

「そのままの意味よ。本当に、どうしてあなたみたいなのが《機関》なんかに入ったんだか」

「ヴァンパイアの脅威から、社会を護るためだ」

 皮肉というよりは呆れを含んだ問いに、秋羽は生真面目に答えた。その答に、流歌は面白くもなさそうに笑った。

「立派な志ね。実に模範的だわ。──でも、それならなおさら、『裏切り者は親友でも殺す』くらいの覚悟がなければ、やってられないわよ?」

「──雪斗が、本当に裏切ったと、そう思っているのか、お前は?」

「さあ? 彼が真実なにを考え、なにを求めて《機関》を離反したかなんて分からないわ。でも、《機関》にとっては、離反したという事実それだけで、裏切りなのよ」

「暴論だ」

「そうね。でも、《機関》はもとよりそういう組織よ」

 そう言って肩を竦める流歌の表情には、諦めと突き放した冷たさがあった。


「ヴァンパイアの根絶を至上命題として、そのためには手段を選ばない。犠牲も厭わない。《機関》はそういう組織よ。あなただって知っているはずだけど。ハンターの生存や帰還よりもヴァンパイア討伐を優先する。そんな命令を受けたことだってあるでしょう?」

「化物を相手に、無傷で任務を遂行できないこともある。犠牲が必要というなら、真っ先に犠牲となるべきは、俺たちハンターだ。俺たちは、その覚悟を持ってこの任についている」

「切り捨てられるのは、ハンターばかりではないわ。守るべき一般市民が切り捨てられたことだって、今までいくらでもあった」

「それは……仕方ないだろう。すべてを救うことができないなら、より多くを救うべきだ。多数を生かすために少数の犠牲が求められることもある」

「そうね。合理的だと思うわよ。──でも、切り捨てられるほうからすれば、それも暴論になるのでしょうね」

 どこまでも静かに、諭すように語る流歌に、秋羽は反論の言葉を失った。

 より多くを守るために強いられる犠牲。それを仕方ないと、ともすれば必要なのだと、言ってしまえるのは、自分が〝切り捨てる側〟に立っているからだ。

 けれど、実際に犠牲を強いられる側からしてみれば、その判断を〝合理的〟だと受け入れることなど、到底できないだろう。

「雪斗のことだって、同じよ。脱走を容認していては組織なんて成り立たない。《機関》を守るためには、脱走者は裏切り者として厳しく処罰しなければならない。あなたがそれに反発するのはね──」

 そこで流歌は、ようやく秋羽を見た。その目を正面から見据えて、

「今、あなたが〝切り捨てられる側〟に立っているからよ」

 まるで死の宣告でもするように、厳しい顔で言った。


「雪斗が絡まなければ──脱走したのが雪斗ではなく、捕獲、殺害命令が出されたのが雪斗でなければ、あなたは執行部の命令に、疑問もなく従ったのではない?」

 厳しく寄せられた眉の下、秋羽を見つめる瞳はしかし、厳しさよりも哀しさを湛えているように見えた。

 その目を見返しながら、流歌の言葉を反芻する。そうして、その通りかもしれない、と思った。あの命令の対象が雪斗でなければ──例えば顔も知らない、面識のない相手だったなら、自分はこれほどの憤りも葛藤も抱かずに、それに従っただろう。

 言葉にして返さずとも、秋羽の表情からそれを読み取ったのだろう、流歌はふっと息を吐いた。

「私情を挟みさえしなければ、あなたは優秀な《機関》のハンターよ。でも、それじゃ駄目なの。《機関》が求めているのは、その正義や決定を疑わない妄信──自分や親しい人間に関わる命令にさえ私情を挟まない、狂信に似た忠誠なのだから」

 彼女の言いたいこと、言わんとしていることは、秋羽にも分かる。自身の所属する組織の在り方を信じられない者を、《機関》は求めていない。その意見については、そのとおりだろうと思う。

 しかし、そういう観点で語るのならば、秋羽よりもむしろ流歌のほうが、よほど《機関》に向いていないだろう、とも思うのだ。


「お前こそ、《機関》にそんな狂信的な忠誠など抱いていないだろう?」

 疑問を向ければ、流歌は苦笑で応えた。

「あたしは『異端』よ。あなただって知ってるでしょう?」

「『異端』を自認し、《機関》のやり方に納得するわけでもなく、なのに批判するわけでもない。俺からすれば、お前が《機関》に属していることのほうが、よっぽど疑問だ」

「──目的が、あるからよ」

 不意に、流歌の声に硬い響きが宿った。

 口調も声音も、それまでと変わらない。感情を抑えた、突き放した物言いの中に、それでもはっきりと分かるほどの感情が込められていた。

 たった一言、短い言葉の中に、彼女のすべてが凝縮されているかのように。

 それこそが、彼女のすべてであるかのように。

 常には感情を抑え、その内心を秋羽にさえ見せない流歌の、確かな感情の動き、その片鱗。心の一部。おそらくは、最も深く、大切な場所。

 ほんの僅か、掠めるほどとはいえ、その感情を見せた流歌に、しかし秋羽は、むしろ隔たりを感じた。まるで流歌が──流歌までもが、自分の前から消えてしまうような、錯覚を。

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