6夜 その冷たさが、逆に感情を沸騰させる
《機関》内で雪斗と最も親しくしていたのは、訓練時代からの同期でバディを組んでいた秋羽だが、流歌も、単なる同僚以上の関係として接していたはずだ。
そもそものきっかけは四年前、執行部と情報部、現場との意思疎通のどこかで生じた行き違いから、秋羽が情報部に怒鳴り込んだことだった。その時対応したのが、情報部に配属されたばかりの流歌で、それ以来のつきあいだ。
明確に標榜する正義を持ちそれに忠実であろうとする秋羽と、どこか斜に構え《機関》の掲げる正義を冷めた微笑で眺めていたような雪斗、そして《機関》における『異端』を自認する流歌。性格も性質も見事に異なる三人は、しかし何故かウマが合った。
三人で過ごしたのは、雪斗が失踪するまでの一年間で、その後もつきあいを続けている秋羽は彼女のことを友人だと思っているし、一年間のつきあいではあったけれども、雪斗もそう思っていただろう。
当然、流歌も秋羽や雪斗を友人だと思ってくれていると、秋羽はこれまで、疑ったこともなかった。
だが、本当にそうだろうか。今の流歌を見ていると、そんな疑問が首をもたげる。
雪斗の件に関して、流歌は一貫して淡白だ。それは冷淡と言っていいほどに。
今回のことだけでなく、三年前の失踪時もそうだった。
友人の失踪に動揺する秋羽に淡々と応じる彼女は、僅かのショックも受けていないように見えた。──少なくとも、表面上は。
《機関》においてその内部規律は軍に準じ、違反には厳しい罰則が科せられる。そして執行部は、雪斗の失踪を《機関》からの『脱走』と判断した。各支部にも指名手配がかけられ、身柄を確保されれば軍法会議にかけられ、理由次第では殺刑もありうる重罪だ。ついでに言えば時効もない。
それらの事実を、情報部で手に入れた執行部の動向を交えて秋羽に語って聞かせる流歌の態度は、実に淡白なものだった。
友人の失踪とそれに対する《機関》の判断、対処に、思うところはないのか、と。
当時も秋羽は、流歌のあまりに淡白な態度に憤りを覚えた。ただ、三年前は、感情を抑制することに長けた流歌が、内心を表に出していないだけだと、無理矢理にも納得したのだ。
たが、今の流歌を見ていると、本当に彼女は、雪斗の件に関して特別な感情を抱いていないのではないかと思える。
「どうしてそう、平静でいられる。
「秋羽、あなたはつくづく、組織に向かないわね」
憤りを顕わにする秋羽に、流歌は肩を竦めた。ひとつ息を吐き、
「落ち着きなさい。
「『抵抗すれば殺害もやむなし』とまで言っている。同じことだろう」
下された命令はあくまでも、『発見しだい捕獲しろ』というものだ。しかし、『抵抗すれば殺害もやむなし』と但し書きがつく。その時点で執行部の意向が『確保』と『殺害』、どちらに傾いていると判断するかは受け手によって異なるところだろうが、秋羽にとっては、それは殺害命令と変わらない。
「違うわよ。積極的に殺せとは言っていない」
しかし、流歌にとっては違うようだ。
その、妙に落ち着きはらった態度も、《機関》の決定の肩を持つような言い様も、秋羽の神経を逆撫でする。自分と流歌との明確な温度差が、腹立たしい。
感情に任せて流歌を詰ろうとした秋羽が言葉を吐き出すより先に、流歌が口を開いた。
「──秋羽。分かっていないようだから言っておくけれど。雪斗は《機関》を離反した。脱走と判断される、最悪の形で。それは明らかな規律違反で、事と次第によっちゃ、反逆罪に問われかねない行為よ」
流歌の声はどこまでも冷静で、しかしその冷たさが、逆に秋羽の感情を沸騰させる。言っていることが間違いなく正論で、反駁のしようもないところが余計に。
「そんなことは分かっている」
「いいえ、分かってないわ。三年前の雪斗の失踪は、最大限好意的に解釈したところで、《機関》に対する裏切り行為だった。加えて今、物騒な事件の続いている首都で、雪斗らしき男の姿が目撃された。それも、事件に関わっているのが明らかな状況で。目撃されたのが雪斗なら、彼はもはや、単なる〝《機関》からの脱走者〟じゃない。《機関》のみならず都市警察にも追われる、〝犯罪者〟よ」
畳みかけるように突きつけてくる流歌に、秋羽は唇を噛んだ。
首都で続いている事件の被害者は、すでに六人を数えている。なんの罪もない首都市民が六人、無残に殺されたのだ。その犯人が雪斗だとは、秋羽も思いたくない。それでも、目撃された男の特徴は、あまりに雪斗に酷似しているという。少なくとも、執行部が『雪斗』である可能性を否定しない程度には。
それでも、雪斗がひとを殺しているという可能性を事実として受け入れることと同じくらい、雪斗に対する殺害命令を承服することは、秋羽にはできない。
「三年前も、今も、執行部の判断は妥当だと、あたしは思うわよ」
秋羽を哀れむように双眸を細めながらも、感情の窺えない平坦な声音で言った流歌の、その言葉が正しいのだと、理性では分かっている。
それでも納得はできなくて、思わず言い返した。
「正気か、流歌」
対して流歌は、にべもない。
「正気でないのはあなたよ、秋羽。雪斗は脱走に際して武器を持ち出している。ヴァンパイア用の武器と言っても、剣は剣。人間に対しての殺傷力は言うまでもない。組織が管理する武器を奪い逃走した人間は、もはや『仲間』ではないわ」
「俺は──そんなことを話しているんじゃない」
「それも分かってる。あなたが問題視しているのは、あたしやあなた自身の、感情の問題でしょう? 脱走し、犯罪者となったかもしれないとはいえ、かつて仲間だった相手に対しての殺害指令とも取れる命令に憤っている。──でもね、それは個人の、もっと言えば、あなただけの理屈よ。組織には通用しないし、必要のないものだわ」
「お前はそれで、納得できるのか」
「できようとできなかろうと、
「それが、友を殺せという命令でもか」
責めるような秋羽の口調に、むしろ流歌は痛ましげに秋羽を見やった。
「だからあなたは分かってないのよ。あなたが属しているのはそういう組織よ。納得できないのならそれでもいい。けれど、最低限、従っているフリくらいしなさい」
それは諭すような口調で、彼女が彼の立場を案じて言っているのだということは、秋羽にも分かった。それでも、納得することも受け入れることもできなかったが。
そんな秋羽に流歌は、聞き分けのない子供を見るように眉根を寄せて、小さく嘆息した。
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