5夜 その奥にどんな感情も見て取れない

《機関》とは、政府直属のヴァンパイア対策組織。国内の治安維持を司る都市警察機構、国防組織である国軍と並ぶ組織であり、ヴァンパイアに関する事案への対処を全委任されている。

 組織運営と管理を司る執行部、情報収集と解析を行う情報部、武器開発を担う開発部、ヴァンパイア研究の先駆者を自負する研究部、そしてヴァンパイアを狩る実働部隊であるハンターから成る組織で、規模としては軍に劣るが、与えられる権限やハンターの戦闘力に関しては軍に匹敵する、〝ヴァンパイアに対処するためにのみ組織されたもうひとつの軍〟と表現されることさえある《機関》に、秋羽はハンターとして所属している。

《機関》のハンターと言えば、ヴァンパイアを狩ることを至上命題とする部隊だが、その行動は往々にして後手に回る。その出動は多くの場合、ヴァンパイア発生の報を受けてからになるのだ。


 ヴァンパイアの発生は常に突発的で、その予測はいまだ不可能だとされている。

 奴らは人間の犯罪者のように、どこかに潜み、人間を襲う機会を窺い、凶行に走るのではなく、ある日突然、発生するのだ。

 人間の内から。

 人間が突然、前触れもなくヴァンパイアへと変化する。それは『獣化』、あるいは『ヴァンパイア化』と呼ばれる現象であり、発症した人間は理性も思惟も失い、まさしく獣のごとく人間を襲い、喰らう。

 姿は人間のままだが、それはもはや人間ではない。まさしく化物だと、その姿を一度でも見たことのある者は皆、納得するだろう。

 ヴァンパイア化の発症原因は不明。古来、奇病の一種とみなされてきた事象だが、原因も治療法も、今以て分かっていない。

 ただ、発症すれば、人間としての思考を失う代わりに人間離れした身体能力と異常な治癒力を発揮し、殺さない限り生き続けるとされる。その性質とひとの血肉を喰らうことから、『ヴァンパイア』と呼称されるようになった。

 ヴァンパイアに対する対処法は、ただひとつ。殺すことだけ。言葉を解さず意志の疎通も図れない、まして人間を喰らう化物に対して、それ以外の対処法などあろうはずもない。


 そんな、人類の天敵とも称されるヴァンパイアの撲滅を至上命題とする《機関》に、ハンターとして所属している身としては情けなくもあるが、ヴァンパイアが発生しなければ、《機関》と言えどハンターと言えど、できることはないのだ。

 勿論、日々の訓練や鍛錬は怠らないし、研究部ではヴァンパイアの発生原因の特定や治療法の研究が、情報部ではいち早くヴァンパイアの発生情報を掴めるよう、努力が続けられている。

 しかし、ハンターがヴァンパイア討伐に動くためにはヴァンパイアの発生が確認されなければならず、それは即ち被害の発生を意味するわけで、そのあたりは秋羽のみならず、おそらくハンターの多くが抱えているジレンマだろう。

 とはいえ、自分たちの立場にどれほど苛立ちを持とうとも、現実が変わることはない。ヴァンパイアの発生が確認されてからでなければ動けない。それが《機関》のハンターの実情だ。


《機関》は首都に本部を、地方に支部を持ち、それぞれが独立して管轄地域内のヴァンパイア事案に対処している。地方にもそれぞれに執行部員や情報部員、ハンターが所属し、〈災禍〉と呼ばれるヴァンパイアによる大規模被害など、ハンターの大量投入が必要な場合は他支部にも非常招集がかかることもあるが、通常は各管轄地域内の事案は、自分たちで対処する。

 秋羽の所属する本部は首都全域を管轄地域とし、首都は他の地域に比してヴァンパイアの発生事例が多いとはいえ、それでも頻度は知れている。少なくとも、《機関》ハンターの出動頻度は、首都警察のそれより低い。

 常時であれば、首都内の各区画に設置された待機所勤務、本部での戦闘訓練、本部待機、そして非番をローテーションする。秋羽のローテーションでは本日は非番。本部に顔を出す必要もないのだが、秋羽は本部の、情報部を訪ねた。


 情報部には、秋羽の友人の情報部員がいる。視線を巡らせるまでもなく、彼女は自身のデスクにつき、モニターを睨んでいた。

「流歌」

 声をかけつつ近寄り、背中越しにそのモニターを覗きこんだ。

 表示されているのは、この一月、首都で連続している猟奇事件の詳細だった。

 始まりは、先月の初め。首都の中心部近く、繁華街の片隅で、惨殺死体が見つかった。報じられたニュースではそれだけの事件だったが、《機関》にはそれ以上の情報がもたらされる。一見、ヴァンパイアとは無関係な事案であっても、首都で起きたすべての事件、事故の詳細な情報が、《機関》情報部には集められる。その中から、ヴァンパイアが関わると疑われる事案を抽出するのが、情報部の仕事のひとつだ。

 とはいっても、その惨殺事件に関してヴァンパイアの関与は考えられないというのが、情報部の総意としての見解だった。

 しかし彼女は、その事件にこだわっている。おそらくは、秋羽と同じ理由で。

「なにか進展はあったか?」

 声をかけると、意外そうな視線が返ってきた。

「あなた、今日は非番じゃなかった?」

「そうなんだが……」

 言葉を濁す秋羽に、流歌は軽く溜息を零した。

「例の噂、そんなに気になる?」

 どことなく含みのある言い方に、反射的に顔を顰めると、流歌は微かに笑った。

「あなたって、ホント顔に出るわよね」

 そう言って席を立つと、ついて来いと目配せをして部屋を出た。


 通路を少し行き、人気のないデッドスペースで、流歌と向き合う。

「それで? 知りたいのは、例の証言の信憑性かしら?」

「そうだ。──くだんの事件に雪斗が関わっているというのは、本当なのか?」

「遺体発見現場、あるいはその近くで『雪斗らしき男』が目撃されているのは、本当。目撃された男が事件に関わっているのは、まず間違いないでしょうね。確認された目撃証言はどれも、その男が犯人だと示唆している。普通に考えて、刃物を手に死体の傍に立ってたり返り血を浴びてたりする通りすがりは、いないでしょう。今のところ、最有力の容疑者よ。──ただ、その男が本当に『雪斗』なのか、よく似た他人なのかは、今ある情報からだけでは判断できないわね」

 感情を窺わせない平坦な声で、しかし僅かに視線を伏せて、流歌は言う。

「ただ──執行部からの通達は?」

「来た。『雪斗を発見した場合、ただちに捕獲。抵抗した場合は殺害もやむなし』と」


 その通達自体は、雪斗が失踪した後、それが脱走と判断された時点ですでに出されていた。それが今回、首都での目撃情報を受けて、改めて出されたにすぎない。

「執行部にとっては、雪斗が事件に関わっていようがいまいが、究極的にはどうでもいいのでしょうね。雪斗が首都に潜伏しているのなら、発見次第捕獲、しかるのち、軍法会議にかけて刑を下す。捕獲時に抵抗を見せれば、その場での殺害も含めて臨機応変に対処する。脱走者への対応としては、規則手順マニュアル通り」

 感情の削げ落ちたような淡々とした流歌の口調に、秋羽は苛立ちを覚えた。壁に凭れた姿勢も、僅かに俯けた視線も、どこかしら心ここにあらず、あるいは他人事といった様子で、秋羽との会話にすら身を入れていないように感じられる。

「お前は、それに対してなにも思わないのか」

 秋羽の疑問に、流歌は視線だけで応えた。秋羽に向けられた瞳は乾いていて、その奥にどんな感情も見て取れない。

 そんな流歌の態度に、さらに苛立ちが募る。

「雪斗は、お前にとっても友人だっただろう?」

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