四件目『幸福の恩返し』後編

「ようこそ、いらっしゃいませ」

「ど、どうも……遅ぉなりまして」

「いえいえ。どうぞお上がりくださいませ」

 殺伐とした雰囲気を纏った一行を待ち受けていたのは、とても可憐で温厚な少女だった。柔軟かつ着心地の良さそうな、薄い水色の服を着た、ショートヘアーの女の子で、僕ですら綺麗な人間だなと思った。きっと、彼女の辞書に戦争や喧嘩という文字はないだろう。

「只今、家主である夫婦は出掛けております故、お仕事のお話をするには丁度良い頃合です。あ、お茶とお菓子を持ってきますので、そちらの座布団でお待ちください」

 僕達一行にはない、全ての怒りを吹き飛ばす清涼剤のような存在の登場に、気づけばみんな穏やかな心持になっていた。

「なんか、怒る気無くしたわ」

 御影さんが、後頭部に手を組みながら言った。他のみんなも同意見のようだ。

「僕も大人気なかったです、ごめんなさい」

「い、いきなり謝らないでよ。それとも、私を悪者にするつもり?」

 そんな御影さんの質問に答えることなく、要くんは一番に案内された部屋へと入り、ちゃぶ台を囲んでいた座布団の一つに座った。他に出来ることもなく、僕達もそれに続く形になった。

 家はかなり築年数がたっているらしい、古い平屋建ての木造住宅だった。恐らく、怪社の社屋よりも古い。

「あー、やっぱりこういう家が一番落ち着くんじゃねえ。西洋暮らしの御影さんにゃぁわからんかもしれんがね」

「そんなことないわ。むしろお母さんからいつも日本の木造建築は、自分達妖怪にとっては住み良い場所の一つって聞いてたから、想像以上に居心地の良い場所で和んでるところ」

「ほぃじゃが、よう一人ばっかしで、日本に来ようなんて思いましたね」

「過保護なお母様から逃げるためよ。でも、一人で暮らそうにもやっぱり魂やお金がいるわけでしょ? だから職を探してたけど仕事してる妖怪なんてなかなかいなくて。で、結局一番有名なこの怪社に行き着いたってわけ」

「まあ、ワシ達は周りからよう物好きの集まりだってゆわれますけどのぉ。と、そろそろ依頼人さんが来ますけぇ、背筋伸ばして」

 そう言われたので、一同は団結したかのように、タイミング良く背筋を伸ばした。背筋を伸ばした銭鼬さんは、なんだか違和感があって面白かった。

「お待たせ致しました」

 少女は、お盆の上に暖かそうなお茶と、山ほどのお菓子を持ってきてやってきた。よく転ばないものだと思いつつ、僕達はそれぞれお茶とお菓子を受け取った。飲む事も食べる事も出来ない僕が、事情を話して丁重に断ると、彼女は少し驚きながらも、残念そうな顔をしていた。

「申し送れました。私は加島四季子と言うものです。年は十八です」

「チッ。また年上か……」

 御影さんが、四季子さんに聞こえないように舌打ちした。

「で、お仕事の話っちゅうことじゃが。確か依頼人は妖怪さんじゃったはずなんじゃが」

「はい。私はこの通り人間の姿をしていますが、座敷わらしという列記とした妖怪です。といっても、数年前にこのことに気づかされたんですけどね」

「そうなんか。全然妖気を感じんのじゃがね」

「ずっと、この家の家主のお爺ちゃんとお婆ちゃんに育てられてきたんです。屋根裏に捨てられるようにして泣いていた私を、二人が揃って育ててくれたそうです」

「じゃったら、どうして自分が妖怪だと確信できたんか?」

「些細なことです。車に轢かれて死ななかったとか、屋根裏生まれの不思議ですとか。何より、この家は見た目は汚いですが、結構お金を溜め込んでいるんですよ」

「そ、そがぁなぁは随分と魅力的なお話で……!」

「それはともかく、今回は私が二人にその恩返しをしたいと思って、あなた方に依頼させていただきました」

 四季子さんは、そう僕達に真剣な顔で訴えてきた。でも、幸せを運ぶ座敷わらしがどうしてそんなことをわざわざ頼むのか、僕等はまず不思議に感じた。けれど彼女は、その真剣な眼差しのままで僕等に答えてきた。

「私の力のおかげで、この家は裕福な生活をすることが出来たみたいです。実際、学校に通っていた私も、特に不自由なく暮らしてきましたし。でも、それは私という存在によって、無意識に生み出される幸せじゃないですか。私は、そうではなくて、ちゃんと自分の意思で、自分が考えたことで、二人に恩を返したいんです」

 その真摯な様子に銭鼬さんと僕はタジタジになり、他の二人は少し興味なさ気に違う方向を向いていた。

「近いうちに、私はこの家を出ることになりました。だからその前に、二人に十八年分の恩を返したいんです!」

「ご、ご主張はわかったんじゃ。問題は、あんたが一体どういった恩返しを望んどるかじゃ」

 銭鼬さんが、四季子さんの熱弁をなんとか抑えて、仕事の本格的な内容について話そうとして、彼女は自分の突っ走りに気づき、恥ずかしそうに顔を赤らめてから答えた。

「実はこちらの夫婦には、遠い昔に息子さんがいらっしゃったんです。でも、数十年前に事故で亡くなってしまって、私はその分愛情を注いで育てられてきた子どもなんです」

「ああ、生き返らせるっちゅうのじゃったら、無理じゃ」

「そうではありません。一目だけでいいから、なんとか再会させてあげられることは、出来ないでしょうか? お願いします!」

 といって、彼女は菓子の山を崩し、銭鼬さんに差し出しながら頭を下げた。そんな彼女の行動に、銭鼬さんが僕に助けを求めてきたけれど、僕は首を横に振って「僕に振られても困ります」と答えておいた。大体、僕は見学者であって社員じゃないです。

 しばらく悩んだ後、銭鼬さんはわかりましたと頷いて、よっこいしょと声をあげながら、席を立ち、四季子さんに問いかけた。

「ご夫婦がおいにになるなぁ、何時ぐらいじゃろぉかん?」

「あと三時間ほどだと思います」

「ほいじゃぁ、それぐらいのお時間をつかぁさい。とにかく依頼は、一時的にでも、お爺さんお婆さんと息子さんを会話させてあげられりゃぁええと、そういうことじゃね?」

「はい。引き受けてくださるんですか?」

「どれくらいの時間、この世と地獄の間で会話出来るかはわからんから、確約は出来ませんがのぉ。ひとまずワシと御影さんで地獄へと向かうことにするんじゃ」

 と、銭鼬さんは、指名されてかなり複雑な表情になっていた御影さんを見た。それをツバでも吐き捨てるようにして威嚇し宥めると、今度は僕達に視線を向けてきた。

「戒十さんと腐乱花さんは、こちらでお待ちつかぁさい」

「どうして僕だけ置いてけぼりにするんですか」

「生きた人間は地獄に行けん。行ったら本当に死んでしまいますけぇのぉ。腐乱花さんは、あんまり歩いてると身体が崩れますけぇ、ここで待っとったほうが懸命じゃゆぅて思うんじゃ」

「わかりました。つまりお客様を退屈させないようにするのが僕の仕事だと、そう好意的に解釈すれば良いのですね」

「キッキッキ。なんべんもゆいますけど、ワシゃあ物分りのええ方は大好きなんよ」

 と、嬉しそうな顔をして、銭鼬さんは御影さんを引き連れて、玄関へと向かっていった。四季子さんが見送ると言ったけれど、結局僕達と一緒に待ってくださいということで話がまとまってしまった。

 残された僕と要くんと四季子さん、そして山積みのお菓子達は、それから適度に話をしながら、彼等の帰還を待つこととなってしまった。きっと、不嵐死子なら、置いていかれたことに後で文句を垂れるのだろうなと、僕は一人天井を眺めて相棒のことを思っていた。


 僕達は数分後、要くんの提案で外に出ていた。せっかくだから、再会を盛り上げる準備をしようというのだ。

 要くんは、四季子さんに使わなくなったカーテンや掛け布団など、大きな布は無いかと尋ねて、それを取りに行かせると、自分は丁度良い感覚にある竹やぶの竹を探し始めた。

「あの、要くん。何をするつもりなんですか?」

「せっかくですから、お客さんにもっと満足して頂ける様に、再会をもっと盛り上がるように演出しようと思いまして。こうして幕を自作して、出会いの瞬間を焦らそうと思ってるんです」

「なるほど。それで感動的な感じになる、というわけですね」

「人間世界にいた頃、父がテレビで見ていたんですよ。連絡の取れなくなった旧友を探して、再会させようっていう番組。それを思い出してやろうと思ったんですが、幕を作るのって難しいですね……とりあえず、この竹の間に紐を結びましょうか」

 と言われたので、僕は目の前にいつの間にか用意されていた頑丈そうな綱を引っ張って、左端の竹に結びつけたこれにどうやって幕を通すのかはわからないけれども、もし幕を開けたら会いたかった人物が待っていたとしたら、僕はとても嬉しい気持ちになるに違いない。

「あの、いろいろ持ってきました。これで宜しいのでしょうか?」

 しばらくして四季子さんが、自分で持ってきたものに姿をほとんど隠されながらやってきた。毛布やカーテンなど、たくさん被って歩いているその姿はちょっと不気味だ。

 四季子さんの手には、裁縫箱らしいものが握られていた。なるほど、これで本当のカーテンみたいに仕立てようというわけか。

「まあ三時間も余裕がありますから、なんとかなるでしょう」

「あの要くん。僕、裁縫出来ないんですけど」

 僕は、この計画に対する唯一の不安を話した。でも、彼はそれを特に気に留めることなく、自分の作業を始めた。

 上手いとは言い難いけど、なかなか慣れた手付きで、要くんは紐を通すリングを付けていく。後であの紐を解いていろいろ試すのだろう。

「誰かに習っていたんですか?」

「母が早くに亡くなったので、嫌でも技術が身についたんです。といってもこの通り。自慢は出来ません」

 言ってる側から、要くんは手を後ろに少し引いた。針を刺してしまったのだろう。でも少し皮が剥けている程度に過ぎなかった。

 依頼人の四季子さんも、要くんに言われるがままに、どんどん目的のものを縫っていった。発案者の数倍は手際が良い。

「こ、これでも女の子ですから、これくらいは出来ないと、恥ずかしいってお婆ちゃんが……」

「大したものですよ。この調子でどんどん縫っていきましょう。腐乱花さんはまた後で紐を通す時に手伝っていただきますので。休んでいてください」

 そうは言われたけど、僕はもうゾンビなのだし、仮の身体だから疲れることはない。僕はただ、しばらく自分に出番が来るのを、呆然と空を見ながら待っていた。

 改めて見る人間世界の空は、とても美しかった。あんな高いところから落ちたら、空中分解してしまうんだろうけれど、一度でいいから僕は、あんな高いところから飛んで、浮いて見たい。


 三時間はあっという間に過ぎた。待つのに僕が慣れ過ぎたのかもしれない。確かに僕にとっては三時間なんて些細にも及ばない時間だ。

 僕等は一つのステージを完成させた。ただカーテンで幕を作っただけではなく、光を透しにくい、分厚い布で屋根まで作ったのだ。これで、一つの再会を祝うための部屋が完成した。

「こりゃぁすごい。ようこの短時間でこがぁなもん作ったのぉ。っちゅうか、よう思いつきましたね」

「頑張りましたから、ボーナスくださいね」

「くっ。ちゃっかりしとるんじゃね、戒十さんは」

「嘘ですよ。依頼人さんにも手伝ってもらったところですし、そんな権利ありません」

「そういうことじゃったら、会社の方にもサービスっちゅうことで……」

 でも、実際に指揮したのは要くんなわけだし、ボーナスって奴を貰っても罰は当たらないんじゃないかな、と僕は思った。

「ところで、そちらはどうだったんですか」

 要くんが一番大事なところを聞いた。これだけ作って、本人が来られなかった、では僕等の努力は報われない。四季子さんも、とても気になっているようだ。

「もう、御影さんが幕の中に待機させとるんじゃけぇの。ただあまり長い時間は取れんじゃったので手短にいきましょう。それと、なんぼ妖怪を育てたたぁゆぅても、ワシゃぁこがぁな姿で人前に出らりゃぁせんけぇ、戒十さんに再会企画のご説明してもらいますけぇの。出来るだけ簡潔にするんじゃけぇ、覚えてつかぁさいね」

 といって、銭鼬さんと要くんは、二人で話し合いを始めた。如何にしてご夫妻にこのことを説明するのかということだ。でも、妖怪の娘さんを持っている二人が、怪奇事に関して否定的でないだろうということは、唯一の救いだった。軽い打ち合わせをした後、要くんは姿勢と格好を正し、銭鼬さんは茂みの中に隠れた。

 四季子さんは、そんな二人の様子を見ながら、ハラハラして祖父母の帰りを待っていた。こうして眺めいてると、僕は彼女が妖怪であるという事実を忘れてしまいそうになる。やがて、彼女の動きは止まった。帰ってきたらしい。

 それ声に反応してか、幕の中から御影さんが現れ、こちらにやってくる。彼女はどこかうんざりしたような、寂しそうな、そんな彼女の今までのイメージには合わない、複雑な表情をしていた。

「しくじる、なんてやめてよね。特にいつ崩れてもおかしくないアンタ」

「はい。すいません……」

 僕が彼女の一言に恐縮していると、気づけば老夫婦は僕達のすぐ前までやってきていた。出かけてる間に人数が増えて賑やかになっていることに少し驚いているようだったが、それは娘の説明や挨拶で解消されたようだ。

 老夫婦が僕等全員に軽く挨拶をすると、間髪を居れずに要くんが説明を始めた。

 自分達の企業のこと、地獄のこと、四季子さんの恩返しのこと。そして何より、今日はそんな彼女から特別なプレゼントが用意されたということ。

 いくら怪奇なことに慣れているからといって、いきなり言われると流石に混乱したが、それは四季子さんの「信じて」の一言で、すぐに丸く収まった。

「それでは。あなた方の息子さんが、春男はるおさんがお待ちです。ただし地獄の規定であまり長い時間現世で会話が出来ません。そこを改めてご了承ください」

 老夫婦は半信半疑な様子で、どこか怯えたような表情をしていたが、四季子さんの顔を見て覚悟を決めたのか、僕等で自作の再会ルームへと歩いていった。当事者でもないし、心臓も無いのに、ドキドキする。きっと胸に埋め込まれた種が鼓動しているのだろう。

 そして、老夫婦は一度深呼吸してから、その幕をくぐって中へと入っていった。そこから先を除くのは野暮だろうと思ったけれど、要くんが何故か四季子さんの手を引っ張って入り、御影さんもそれに続いたので、僕も便乗して覗かせてもらうことにした。

 銭鼬さんの姿は、一寸振り返っても見えなかった。


 中は、薄暗かったけれど、それぞれの人が何をしているかはわかった。

 中心には薄っすらとしながらも、魂の光でぼんやりと姿の映った春男さんが立っていた。とても穏やかそうで、他人に好かれそうな顔をしている人だ。

 でも、僕が最初入っていったとき、老夫婦の姿が見えなかった。どこに行ったのかと見渡してみると、すぐ足元で二人は、土下座していた。とても驚いた。

「……」

 それを見た春男さんは、驚いたような顔をしていた。依頼人の四季子さんも、兄弟のように同じ表情で二人を見下ろす。表情が変わらなかったのは、やはり要くんだけだった。

「すまない」

 最初に口を開いたのは、お爺さんだった。

「春男と四季子、それぞれに違うことで私達は謝らないといけない。だが今は……すまない」

 その横で、お婆さんは声を殺しながらも、鼻をすすってとても悲痛な様子で泣いていた。

「どうしたのお爺ちゃん。会いたかったでしょ? いつも仏壇で春男さんに手を合わせてたじゃない。私、きっとよっぽど会いたかったんだろうと思って」

「すまない」

 また謝ったのはお爺さんだった。もうお婆さんの方は、何も話せそうになかった。

「……」

 春男さんは黙ったままだが、でも何かを催促していることはわかった。どうしてこんな謝り方をするのか、そもそもどうして謝らなければならないのか。それは謝られている本人も、その周囲を囲む人にとっても、深い深い疑問だった。

「お前は私達を恨んでいるだろう、無理も無い。私達はお前に呪い殺されても良いくらい、罪な生き方をしてきた」

「何を言ってるの、お爺ちゃん!」

 そう思わず叫んだのは四季子さんだった。でも、それは聞こえなかったようだ。

「泣いても、死んでも、お前をいくら拝んでも、その罪はどこにいっても拭えない。そう私達は覚悟していたはずだった。それなのに、私達は罪から逃れるためかのように、四季子を育ててきた。お前にしてやれなかったことは、全て四季子に託した」

「……」

 とうとう四季子さんも黙ってしまう。お婆さんは、時折泣き声が途切れ途切れになって聞こえてきた。

「私達は、また幸福を求めてしまった。自分達を安息させるための幸福を、そして勝手に満足してしまったんだ。それに気づいたのが、四季子がこうして家を出るか出ないかっていう話をすべき時になってからとは。成長できないんだな」

「そうよ。私達はねぇ、自分達の幸せのために、あなたを酷使して働かせた悪魔よ。結果春男は、過労でいきなり死んでしまった……」

 ようやく泣き声交じりで話し始めたお婆さんは、震えながら話していた。

「春男が死んでから気づいたのよ。私達は春男の幸せのために働かせていたんじゃない。老後になって自分達が不自由しないようにって、心の底では春男を老後の生活の糧みたいに扱っていたのよ……」

「それに気づいた時、私達は自分達の卑劣な生き方を恥じて、悔いた。そしてひたすら仏壇の前で懺悔したが、春男は何も言ってこなかった。年を取って、長年罪滅ぼしとして酷使してもらった職場を定年退職になった時。二人で死んでしまおうと考えていた。屋根裏でな」

「そして、静かに泣いている四季子を見つけた……」

 その一言に、四季子さんは特に凍りついた顔をしていた。彼女を屋根裏で発見した偶然の真相は、こういうことだったのだ。

「きっとこれは神様が私達にくれたチャンスだと思った。私達は、四季子をこうして手のかからない具合まで必死に育てた。でも、こうして育てきった後私達は気づいた。これは自分達が生きながらえるために作った、生きる理由に過ぎないと。しかも、四季子は座敷わらし様だった」

 もう話すのをやめてほしかった。四季子さんの顔が悲痛に歪んでいったからだ。あんなに美しく見えた顔が、今はとても恐ろしく悲しい。

「私は、結局二人の子どもを犠牲にして、自分達だけ幸福になろうとした。その結果、罰として私達夫婦は、座敷わらしという幸福の象徴を皮肉にも授かった。神様は、幸福に成りきったところで、私達を不幸に叩き落すつもりなんだろうと感じた。だから、私達は思った。もう幸福は望みません、私達はいつ死んでもおかしくない年だから、せめて四季子が一人幸せになれるような人生を歩ませてやりたい」

「それが、私達が得られる最後の自己満足の幸福……ごめんね、四季子……」

 号泣する二人を前にして、四季子さんは放心していた。自分がそんな風に思われていたことがショックだったのだろう。僕だったら、その場で頭を打って死んでしまいたいとすら、思うかもしれない。

 泣き声だけが支配する空間になった再会の場で、ついに一人の人物が、重たい口を開いた。

「人の幸福を、勝手に決めるな」

 春男さんが始めて口を開いた。随分前に死んだとのことだが、その姿はよく見ると二十代中盤から後半くらいの頃の姿をしていた。生きていれば、禿頭と薄毛の分かれ目に立っていたかもしれない。でも目の前にいる彼は若く、言葉の一つ一つも強い。

「俺や、そこの四季子ちゃんがいつ不幸せそうに見えたんだ。どうして父さんと母さんに、そんなことを決められなくちゃならないんだ」

「春、男?」

「全く、こんなに年食いやがって。耳が悪くなってるなら、よく耳の穴掃除してから、よく聞いてくれよ」

 そして、春男さんは胸を張りながら、堂々と高らかに宣言した。

「俺は、幸せだった!」

 唖然とする老夫婦だったが、それを気にしてるのかしてないのかわからないうちに、彼は話を続ける。

「そりゃああの仕事はキツかったし、俺の希望した進路では無かった。でも、だから不幸なんてことはなかった。仕事の生き甲斐も見つけて、俺はむしろ半端に夢を追いかけて滅びそうだったのを助けてくれた父さんと母さんに、感謝してたんだ」

 泣いている四季子さんも、ゆっくりと顔を上げながら、義理の兄に当たる人物の話を、目を凝らして聞いていた。

「過労になって倒れて死んだのは、ただ俺が会社の重大な企画を前に無茶しすぎて突っ走っただけだし。別に父さん母さんを幸せにするのに必死になって死んだんじゃない。結婚出来ない俺が、両親と自分を、つまり今居る家族をさらに幸せにするため、頑張っていただけじゃないか」

「……ハル」

「きっと四季子ちゃんが、今日こうして企業を通じて俺を呼んできてくれたのだって、ただ両親を幸せにするためだけじゃなくて家族みんなが幸せになるために考えたことだ。それをそんな風にいったら、そりゃ美人が真っ赤になって泣くのも当たり前だろう?」

 そう言われた四季子さんが、今度は涙ではなくて恥ずかしさで赤面する。そんな彼女を見る春男さんの顔は、短期間かつ初対面であるのにも関わらず、妹を見る目だった。

「まあでも、その子ももう十八だろ。別に一人暮らしをしていて、おかしい年じゃない。後は本人に決めさせるってことで、良いじゃないか」

 といって春男さんは、今の今まで見た中で、一番の笑顔を見せた。とても幸せそうな顔だった。

「さて、残念ながらそろそろ時間みたいだ。久しぶりに二人と話せて良かった」

「ハル!」

「春男!」

 老夫婦が、ここにきて始めて立ち上がった。そして四季子さんもそれを追うようにして、立ち上がる。

「長生きしてくれよ父さん。あんまり早くに来られたほうが、不幸になるから」

「ハル……すまない。本当に、本当にすまない」

「母さん。父さんより長生きしないと、絶対生きてる間に父さんが死ぬほど寂しがるだろうから、頑張らなくちゃ駄目だからね」

「春男。私達は、幸せという“言葉”しか知らなかった、狭い人間だった。後悔なんてして、本当にごめんなさい。四季子、あなたにも謝らないといけないね」

 涙を流しながら、お爺さんとお婆さんは彼女に改めて謝罪をした。四季子さんは「もういいよ」といって、またあの美しい笑顔を見せてくれた。

「じゃ。今度こそさようならだ。四季子ちゃん」

「は、はい」

「結婚のことで、あんまり父さんの血圧あげないでくれよ」

 それは余計なお節介だ、と笑いながらお爺さんは文句を言った。すると、春男さんの姿がどんどん薄くなって消えていく。でも夫妻は、醜く追いかけようとはしなかった。

「どうか明日も幸せに」

 という言葉を最後に残して、春男さんは僕達の目の前から消えた。死者の意思が地獄に帰ったので、魂の炎もこれで消えた。

 暗い布の幕の中で、皆がその後如何なる表情をしたかはわからない。

 ただ少なくともわかることは……依頼人の一家がとても幸せになれたということだった。


「さてと。どうオトシマエを付けさせてもらいましょうか」

「ですからその、お菓子をあれだけ山盛りに」

「そがぁなもんと魂が、釣り合う訳が無いじゃろう! 大体ワシは食べとらんし!」

「ご、ごめんなさい!」

 怪社のソファーで、加島四季子さんは社員に睨まれながら囲まれていた。あろうことか、御代を払えないのだという。

 そもそも、こんな優しい性格をした少女にそんな安易なことが出来る訳が無かったのだ。僕も気づくべきだった。この、怪奇万能魂式会社の御代は、あくまで人の命だ。山盛りのお菓子ではない。

「かといって、妖怪の魂は死神にも売れないし、食べても私達の生きる糧にはならない。美味しくないからね」

 すっかり社員気分の御影さんも、四季子さんの危機的な状況に追い討ちをかけた。もはや八方塞りというわけだ。

「タダ働きなんて真っ平御免じゃけぇね、何か代わりにもらいましょう」

「そんな、私魂に見合うものなんて……」

 僕は、それほど関係ないのに四季子さんをなんとか助けられないかと考えた。あれから彼女は両親である老夫妻に、改めて自らの意思で家を出て、自らの意思でちょくちょく遊びに来ることを宣言した。

 せっかくの門出なのに、酷い目にあってしまうなんて、あんまりだ。自業自得ではあるとはいえ、幸先も何も無くなってしまう。でも、僕に出来ることはない、そもそも身体はかなりモロくなっている。

「銭鼬さん。彼女は座敷わらし、とのことですね?」

「は、はい。その通りじゃが」

 自分のことで精一杯になりかけているところで、今まで黙っていた妖仙狐さんが、いきなり話に割り込んできた。彼の不敵な笑みに、僕はとても嫌な予感がした。

「でしたら、戒十さんよりもすんなり入社出来そうですね。アルバイトとして」

「……え?」

「払えぬのなら、労働力で払っていただきましょう。道楽に雑用係が欲しかったところです、私の下僕はここに入れないですから。おまけに座敷わらしさんとなれば、人間への接客がある意味楽になるかもしれません」

「ほぃじゃが、御影さんのことだってあるんじゃ?」

「お二人ともお雇いすれば良いじゃないですか? うちは基本的に給金制ではなくて仕事をこなした数次第で決まりますし。まあパートナーが増えて分け前が減ることもあるでしょうが、片方はアルバイトですし常駐するわけではありません。あとは御影さん次第です」

「そうじゃが、ねぇ」

「は、社屋にまだ部屋が余っているんですが、住み込みで働きませんか?」

 その誘いに、御影さんは二つ返事で承諾した。銭鼬さんは、急いで採点メモを取り出すも、しばらく頭を掻いた後で、がっくりとうな垂れた。妖仙狐さんを説得するだけの失態が無かったのだろう。

 地獄に二人でいった際、一体どんなことがあったのかは知らないけれど、少なくとも社員として不採用とするだけのことは無かったんだろう。だから途中完全に御影さんに仕事を任せていたんだろうし。

「ああ、魂の分け前が減ってしまう」

「一人暮らし早々、借金生活なんて、ごめんなさいお爺ちゃんお婆ちゃん」

 二人は、涙を流しながらそれぞれ不安なことを嘆いていた。どちらもまあ仕方ないことだと思う。特に会社のシステムを甘く見ていた四季子さんは……。

 それを横目で見ながら、妖仙狐さんは思惑通りとばかりに満足気な笑みを浮かべていた。ああ、やっぱりこの人には勝てないんだなあと思った。

「じゃあ僕はそろそろ帰ろうか……」

 一通り見学し終えたところで、僕はお礼を言うと、帰るために客間の扉の取っ手に手をかけた。そしてそのまま普通に開けようとしたところで、いきなり扉が開いた。おかげで僕の腕は取っ手に引かれて契られ、扉の角にぶつかった頭は吹き飛んだ。

 一体何が起こったかわからなかった僕は、吹き飛ぶ頭で消えいく意識の中、扉を開けた人物を無意識に眺めることになった。

 そこには、相変わらず平然とした要くんの姿があった。

「あ、ごめんなさい」

 その謝罪の言葉を最後に、僕の意識は飛んだ。そして僕も口パクだけで「こちらこそごめんなさい」と謝り返した。

 僕が散ったその後には、腐った肉片だけが残って、掃除が大変だろうから……。


「ひゃーっ、ビックリしたー」という第一声とともに、僕は元の身体に戻った。

「わあ何よ! 挨拶も無しにいきなり帰ってきて、全くアンタってゾンビは本当に駄目ね!」

 そして、いつものように不嵐死子の愚痴が始まった。ああ、本当に戻ってきてしまったんだなあと思うと、安心感とがっかりした気持ちが入り交ざって複雑になる。

 僕は、耳を塞いで、不嵐死子の話をいくらか聞き流した。一通り怒鳴りつくして息切れした彼は、最後に「今度こそ気をつけなさいよ」と言って、小言をやめた。そして、一番聞きたかったであろう本題に入る。

「で、どうだったの? お仕事見学は? 段々と今記憶が頭に入ってきてるけど。やっぱり実体験談を聞きたいわー」

「ああ、うん、そうだね」

 少し考えたあと、長い御喋りが苦手じゃない僕は、簡潔にこう答えることにした。

「今度は、不嵐死子も連れて行けたら“幸せ”だろうなって思える見学ツアーだったよ」

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