四件目『幸福の恩返し』前編

 古い木造の平屋建て住宅が、竹やぶの中にひっそりと佇んでいた。

 一見すると、人が住んでないように見えるほど、ボロボロの家屋だったが、そこの縁側からは、しっかりと人の姿が見える。

 ちゃぶ台を囲むようにして、少女と老夫婦らしい人物が正座をして向かい合い、深刻そうな顔で何かを話し合っていた。

「もう知っていることだとは思うが。お前は人間ではない」

 老人は、開口一番に、少女へ向かって過酷な事実を改めて述べた。知っていたとはいえ、いざ面と向かって言われると、少女もあまり良い顔は出来ないらしく、少し顔を逸らしていた。

「だが、そんなことは私達には関係ない。お前は拾い子だが、私達の大事な娘だ。だから今日まで老骨に鞭打って、こうしてお前を育んできた。だが、巣立ちの時だ」

「おじいちゃん。私はまだ十八歳でしょう? それに、一人立ちするにも、私は二人に何の恩返しもしてないじゃない。私、行きたくない」

 そう首を振る彼女に対して、今まで黙っていた老婆が穏やかに話しかけた。

四季子しきこ。私達だってねぇ、この年になって子どもを真っ当に育てるって、とても楽して、幸せだった。それはお祖父さんも同じ」

「私だって、私だって昔から幸せだった。今だってほら、これだけ幸せなんだよ。これからだって、きっと」

「ええ。幸せでしょうね」

 老婆は目を瞑って、必死に訴えかける四季子の言葉に応える。そんな老婆の横から、老人はとても苦しそうに言葉を吐き出した。

「だがその幸せは、お前にとっては当たり前のことだということも、自分でわかるはずだな?」

「それは……」

「お前は“座敷わらし”様なんだ。私達がお前に仇を成したり、欲張らない限りは、恐らくずっと私達は幸せだろう。だがね、もうこの年でこれ以上の幸福を得たところで、空しいだけだ」

「私と一緒にいる幸せに、飽きたってことなの……?」

「この、バカモン!」

 涙目で弱々しいことをいう四季子に対して、老人は立ち上がって、眉間に大きくシワを寄せながら怒鳴った。そして涙を流した。

「もう、私達は幸せを抱えきれないと言っているんだ……!」

 震えた声でそう言う老人は、これ以上言葉を発することが出来ないとわかってか、明後日の方向を向いて、老婆にそこから先の言葉を言うように促した。

「私達は幸せを貰いすぎて、もう持ちきれなくなってしまったのよ。この世には、人生を不幸だと思っている人がたくさんいるわ。私達はね、四季子が生み出す幸せを、他の人に分けてもらいたいって、そう思うの」

「おばあちゃん……」

「傲慢に思うかもしれない。それはそうよね、幸せだから幸せを分けるなんて言うのだから。だけど、こんな年老いた私達がこれ以上幸せになってもね、正直空しいのよ」

「そんな寂しいこと言わないで」

 と、泣きそうになって腕を目に当てる四季子だったが、それを見た老人が、今度は笑い混じりに怒る。

「何言っとる。まだまだあの世にお呼ばれされるまでには、気が早いよ。ただ、お前には私達以外にも、幸せになれる者を見つけて欲しいと、ただそう思うだけだ。たとえそれが人間相手だろうと、異形の妖怪であろうと。それに……」

「それに?」

「本当の所私達はもう。幸せというものが、怖いんだよ」

 老人は、力無く俯いた。あれほど大声で怒鳴っていた快活な老人は、それから突然何も話さなくなり、自分の部屋へと戻っていってしまった。

 四季子は、老婆の方に目を向けたが、老婆もそんな彼女に対して申し訳ないような、どうしたら良いかわからないような、複雑な表情をしていた。結局話し合いはそこで解散となり、四季子は自分の部屋へと戻っていった。


「どうしてお爺ちゃんが幸せが怖いのか。それはわからないけれど、私がこの家を出て行って二人が不幸になるなんて、絶対に嫌」

 そういって、四季子はクローゼットから外着を取り出して着替えると、すぐに自分の家を飛び出した。彼女には、明確な目的地があった。

 自分にとって大切な二人である老夫婦が、これからもせめて不幸にしないため、そして……。

「座敷わらしの力なんかじゃない。自分の意思で、迷惑かもしれないけれど、二人に最後の幸せを残してから去りたい。そのためには……」

 四季子はそうつぶやきながら、ポケットから一枚の紙を取り出した。それは、“怪奇万能魂式会社”と記された、小さな名刺であった。

 百年以上、同じ場所から動かずに生活しろということになったら、人間は我慢出来るだろうか。僕はもう、とっくに慣れてしまったんだけれど、人間ならたぶん耐えられないだろうと思う。

 僕は、特に近くに名所や名店があるわけじゃない、本当に何の変哲も無い、特徴も無いところに根を張って生きている、自分で言うのもなんだけれど、ちょっと変わったゾンビだ。名前は“腐乱花ふらんか”っていう。よく外国の妖怪ですかと言われるけれど、僕は果たしてどこの国の妖怪なのだろうか?

 というのも、ここに根を張っているのは僕だけではないからだ。むしろ、彼のおかげで僕は、ここから動けない身体になってしまったのである。そんな彼は、僕の頭に生えていた。鼻ちょうとんを膨らませながら、彼はぐっすりと寝ている。例え私みたいなゾンビでも、これはちょっと汚いなと感じてしまう。

「起きて不嵐死子ふらんしす。あんまり寝てるとしおれちゃうよ」

「ナニよもう! せっかく、人間世界を一人で空飛びながら渡っていく夢を見ていたのに、なんで起こすのよ!」

「ごめんね。本当にごめん。だからあまり頭の上で暴れないでくれるかな? 君が背伸びしようとすると、頭が痛いんだ」

「知ったことじゃないわよ! あー腹が立つ、どうしてアンタはいつもこう、間が悪いというか何というか……どうしてこんな奴に寄生しちゃったりかしらね! あーもう、イライラするわ!」

 というわけで、これが僕の頭に寄生している相棒だ。典型的なオカマ口調で、すごい口やかましい性格だけれども、すごく優しい奴だ。だから僕は、こうして百年以上、彼とここに根付いていられるのだ。

「聞いてるの?」

「あはは。聞いてるよ、あはははは」

 僕がそう笑うと、不嵐死子はもっとやかましくなってしまった。こうして始まる毎日も、なかなか良いものだった。

 でも、全く飽きないわけではない。特に何が起こるわけでもないこのちっぽけな行動範囲では、この世界の広さを実感することが出来ず、とても悔しい思いをしている。

 同じ風景、同じ会話相手、そして同じ愚痴の話……僕は六十回くらいまではとても我慢出来ていたのに、もう飽きてしまったなーと、最近よく感じるようになった。

 だからこそ、たまの来訪者達との会話は、僕にとっては、人間で言うところの外食同然だ。そして、今日は珍しくそんな来訪者がやってきたのだ。

「あら、あれ要くんじゃない」

「あ、本当だ。おーい、要くーん」

 今日始めての来訪者となった要くんは、僕達が呼ぶ声に気づくと、今まで行こうとしていたらしいコースを変更して、僕達の方にやってきた。なんだか悪いことをしてしまったかもしれない。

「こんにちわ。腐乱花さん」

「いきなり呼び止めてごめんよ。姿が見えたものだから、どこかにいく予定だったんでしょう?」

「ええ、まあ。でも時間に余裕がありますからね」

「要くんって本当に誠実で良い子だわねー! それに比べてアンタってゾンビは、どうしてヘラヘラしてられるのかしら!」

「あはははは」

 不嵐死子いつもそうやって僕のことをあれこれ言って叱るけど、僕は特に彼の言葉を気にしたことはない。

 そんなこと言ってるけど、のんびり屋と、不嵐死子みたいな騒がしい奴のペアは、凸凹だけれど、これがなかなか丁度良いんじゃないだろうか。僕はそう思う。

「でも、どこに行く予定だったんだい? また仕事?」

「偉いわー、その年でしっかり稼いでるんですからねぇ、コイツに見習わせてやりたいわ」

 返事も聞いてないのに、不嵐死子は勝手に憶測して、そのまま捲し立てた。しかし要くんは、それで特に気を悪くしたことはないようで、普通に答えてくれた。

「今回は初めて妖怪のお客さんのお相手をすることになったんです。といっても仕事を貰ったのは銭鼬さんですけれどね」

「ああ、銭鼬さんかあ。かれこれ二十年か三十年くらい会ってない気がするなあ」

 と、僕は記憶を巡らせる。銭鼬さんとはもう結構長い付き合いだけど、ほとんど来てくれないので顔見知りみたいな感じになってしまっている。面白い人なだけに、ちょっと残念だ。

「銭鼬さんは、今回の依頼人は妖怪といっても人間みたいなものだからって、僕をペアに指名してきたんです。まあ僕ももっとお仕事に慣れたいですから丁度良いんですけどね」

「そういう心がけは素晴らしいわねぇ、まったく! もうアンタ、要くんの誠実な勤務っぷりを見て、シャキッとしてきなさいよ!」

「でも、お二人は動けないですよね」

「そんなことないわよ。こうすれば良いの」

 僕は、不嵐死子を見上げて止めようとしたけれど、尋ねる前に彼は行動を開始していた。頭からペッと一つ種を吐き出すと、僕にワーキャー言いながら催促した。

「早くアンタも投げて! 出ないと種が腐っちゃうでしょ! まったく、グズなんだから!」

「う、うん。わかったよ……慌てないでよ」

「答える暇があったら早くやりなさい! このノロマ!」

 あまりにも罵倒されるので、僕は悲しくなりながらも、脇腹のあたりの肉片を掴んで引きちぎった。そして、ポップコーンが弾けてるみたいに、何かパワーを放っている種に向かって、僕は肉片を投げつけた。

 肉片を種に投げつけると、それはどんどん大きくなっていって、僕等と会話している要くんの背の高さくらいにまでなった。そして巨大化が止まったかと思うと、肉片は徐々に何かを形成し始めていく。同時に僕の意識はそこで消えた。

 目が覚めると、僕はスーツを着ていた。身体に華は纏わりついてないし、ましてやゾンビではなく、要くんと同じように、人間となっていた。一連の動作を眺めていた要くんは、平然とした顔のまま、口をポカーンと開けて僕を眺めていた。

「どうも、僕腐乱花です」

「え、そうなんですか」

「こうすると、僕は人間の姿に一時的に戻ることが出来るんですよ。服はスーツとか地味なものしか覚えてないので、それしか着られないし、こんなおじさんにしか、なれないんですけど」

「そんな力があるなら、どうしてそこから動かないんですか?」

 当然の疑問を投げかけてきた要くんに、不嵐死子は意識を失った僕の頭の上で、偉そうになって語り始めた。

「その身体は見てくれは普通の人間だけどね、中身は腐敗したゾンビの体のままなのよ。だから殴られたり、ちょっとでも肩がぶつかったり、転んだりすると身体が一気に崩れてしまうの。雨にも弱いし、食事も取れないし、走ったりしてると段々身体がバランスを悪くして結局崩れてちゃうし。だから、生活なんてとても無理ってわけ」

「身体が崩れると、僕の意識はまたこの身体に戻れるんだ。かといって、自分の肉片を使うから、そう簡単に何度も何度も出来るわけじゃないんだ。不嵐死子はこの姿にはなれないし、一人で置いていくのは可哀想だから、僕はここから逃げようとは思わないよ」

「何よ、恩着せがましいことを言って、フンだ!」

 そういって、不嵐死子そっぽを向いた。あれは喜んでいる時のポーズだ。

「この時の身体の記憶は、後になって不嵐死子にも伝えられるんだ。だから、ちょっと旅行がしたいなって思った時に、僕はこうして人間に化けるんだ」

「仕組みはわかりました。それで、結局腐乱花さんは、僕達の仕事を見に来るんですか?」

 要くんが、そう聞いてきたので、僕は改めて不嵐死子に良いかどうかを聞こうと、彼の顔を伺った。すると、自分で考えなさいとばかりに、僕に向かって手の変わりになっている葉でシッシッ! と追い立てていた。行っていいってことだ。

 相棒の承諾も得たところで、僕は要くんに行きますとはっきり頷いた。すると彼は、「じゃあ着いてきてください」と行って、先に行ってしまった。本当に時間に余裕があったのだろうか。

 僕は、慣れない身体でフラつきながら、転ばないように転ばないようにと、慎重に要くんのことを追った。やっぱり定期的に歩かないとなあ、としみじみ感じた。


 怪奇万能魂式会社、通称“怪社”といえば、支部も多く持っているそれなりに有名な妖怪企業だ。人間の魂さえ払えば、その御代に見合ったこと範囲内で、なんでもやってくれる。僕は大昔にその概要を銭鼬さんから聞いただけで、依頼はおろか、会社の社屋から見たことも無かったけれど、実際の社屋はイメージととてもかけ離れていた。

 その外観はちょっと古い木造住宅といった感じで、とても支部を持っている大企業が運営されているとは思えない、至って普通の民家みたいだった。でも、こんな荒野の真ん中にポツンと家屋が佇んでいるということを考えると、やっぱり普通じゃないんだろう。

 僕は、そんな社屋の前で要さんを待っていた銭鼬さんと久々に出くわして、軽く挨拶を交わした後、社屋の中に案内された。銭鼬さん曰く、もしお気に召したら今度から怪社の看板でも持って、立っていてもらおうということらしい。

 それでも別に良かった。ただあの場所で暮らしているだけの僕達は、いつも何の目的もなくあそこで雑談しながら生きて、眠っている。食事は根が張られているからいらないし、誰かに抹消されない限り、僕らはあそこに佇んでいるだけなんだ。それなら誰かの役に立ったほうが、生きていて楽しい気がした。

 早速仕事の準備と報告のため、いつも社員が集まるという客間に案内された。そこには、一人の若い少女と、確か妖仙狐さんといったこの会社の副社長さんがソファーに座って向き合っていた。僕が知ってる鏡明華さんではない、別の女性だ。

 きっと新社員だろうと思って僕は隣にいた二人の顔を伺うと、二人とも驚いたような顔をしていた。

「あの、妖仙狐さん。突然でなんじゃが、そちらの方は一体誰なんじゃろぉか?」

「そちらこそ。二人で連れてる人間の方は、どなたです?」

 と聞く妖仙狐さんに、要くんが軽く事情を説明すると、妖仙狐さんはソファーから立ち上がって、久しぶりですねーと親しげに挨拶をしてきた。

 しかし、僕は妖仙狐と話した記憶がなく、初対面の状態だったので、戸惑ってしまった。少しビクビクしながらそのことを伝えると、妖仙狐は「無理も無い、百年以上前に一言挨拶しただけですから」と、その疑問に答えた。なるほど、だから僕は妖仙狐のことをすらすらと言えたのかもしれない。

「腐乱花さんのことはともかく、そちらの女性はどなたですか? まさか鏡明華さんが無愛想な顔からイメージチェンジしたなんて言わないですよね」

「あなたに言われたくありません」

 と、後ろからいきなり鏡明華さんがやってきたので、僕は驚いて転びそうになった。すると、要くんと銭鼬さんが、ちゃんと僕のことを崩れないように支えてくれた。まったくありがたい。

 鏡明華さんは、何か用があるのかと思ったら、仕事だからと言ってすぐにその場から去ってしまった。新入社員に対して興味はないのだろうか、はたまた事情を既に知っているのか。それは最後までわからなかった。

「さて、鏡明華さんじゃないとすると、あなたはどちら様? 依頼人の方ですか?」

「違うわ。ただ、あなたのような人間よりは役に立てる、天才妖怪よ」

 自称天才妖怪さんは、胸を張りながら髪をかきあげて僕達に堂々とそう要くんに宣言した。僕と銭鼬さんは拍子抜けしていたけど、要くんだけは怯むことはなかった。

「失礼ですが、僕より年が低いように見えるんですけれど、おいくつですか?」

「じゅ、十六よ、十六。悪い? まったく、人間っていうのは年だけで判断するからいつまで経っても駄目なのよ」

「それは実年齢ですか? 人間の見た目としての年齢ですか?」

「うるさいっ! 実年齢よ! 妖仙狐さんみたいな千年も生きてるほうがおかしいのよ!」

「銭鼬さんも確か二百年は生きてましたよね? 腐乱花さんも、鏡明華さんなんて、あなたより少し上くらいの外見なのに、銭鼬さん達と同じくらいでしたし、ねえ?」

 僕等は二人で「ええ、まあ」とハモって答えた。追い詰められたのか、その少女は顔を真っ赤にして怒ると、不嵐死子みたいに喚き散らした。そして、興奮冷めやらぬままに、僕等の目の前からいきなり姿を消した。

 みんなでどこにいったのかとキョロキョロしていると、少女は要くんの背後に突然現れて、彼の首をグッと締め上げていた。一体いつの間に回りこんでいたのだろう、自他共に認めるのんびり屋の僕にはわからない。

「これで、格の違いがわかったかしら?」

「ごめんなさい」

 要くんが、とっても素直に謝ると、少女もそれに免じてか、すぐに彼を解放する。そしてまた姿を消すと、先程と同じ場所に戻っていた。すると、横にいた妖仙狐さんが、うんうんと感心して頷いた。

「なるほど、それは影女の得意技……しかし、あなたは影女にしてはちょっと格好が異なっている気がするのですが」

「私ハーフだから。西洋の水の怪物がお父さんで、影女がお母さん。お父さんは死んじゃって、今はお母さんだけが家族だけど」

「だからどの妖怪とも言えない妖気を発していたわけですか、なるほどなるほど。これは面白い」

 妖仙狐は、本当に楽しそうに頷きながら、ソファーにどっぷりと腰をかけた。

「まあまあ積もる話を立ち話で、というのもなんですから。どうぞ皆さんおかけください」

 そう催促されて、僕等はそれぞれ譲りながら慎ましく座ることになった。この中で一番権力が高いのは、やはり副社長さんだった。


 僕等は、銭鼬さんを先頭に、要くん、僕、そして先程の少女の四人で、仕事の話をするため、人間世界にやってきていた。

 依頼人は妖怪なのに人間世界で暮らしているらしく、僕等は銭鼬さんという唯一人間の姿をしていない重荷をどうしようかと考えていたけれど、その心配は無用だった。僕等は、誰もが入りたがらないような、竹やぶに来ていたからだ。

「この竹やぶの奥に、依頼人さんのお宅があるそうじゃ」

「何よここ、せっかく面接のためにって着てきたお気に入りの服が汚れるじゃない! いきなりサイアクな派遣先だわ……」

「そがぁなこゆっとる場合じゃないじゃろう。こりゃぁアンタの入社試験でもあるんじゃけぇのぉ。はあ、どうしてワシゃぁこういう新人研修ばっかりやらされるんかね……」

 銭鼬さんは、がっくりとあるか無いかわからない肩を落としていた。いつもがま口財布背負ってるだけあって、この人ががっくりすると、その財布に押しつぶされるんじゃないかと心配になる。

「アンタ? 鼬さん、さっき言ったでしょ! 私にはシェーミィ=御影みかげ=シェイディという気品ある名前があるんだから、ちゃんと呼んでよ」

「ワシにだってね、銭鼬っていう立派な名前があるんじゃ! アンタの名前よりかずっと短いんじゃけぇ、ちゃんと覚えてつかぁさい!」

 そう、彼女の名前はとっても長かった。なんでも“シェーミィ”が他国で使う名前、御影が日本で使う名前、そしてシェイディがハーフ妖怪としての本名なんだそうだ。

 人間の世界に溶け込む時は、洋名と和名のどちらかを使って、苗字をシェイディということにするらしい。確かにそれっぽい名前ではあるし、便利だなあと思った。僕等には御影ととりあえず呼ばせるつもりらしい。

「銭鼬さん。タジタジですね」

「人事みたいにゆわんでつかぁさいよ戒十さん! ちぃとゃぁあの方に協調性っちゅうもんを一から教えてあげてつかぁさい」

「僕に協調性があると思って頂けるんですね」

「少のぉても、あの御影って小娘よりかは何百倍もマシ……いやいやいや、元々協調性があるじゃなぁんか~! 戒十さんにゃぁ」

「ありがとうございます」

 銭鼬さんもこんな二人に囲まれて大変だな、と思った。そして、僕まで抱え込んで、銭鼬さんの胃に穴でも開いたらどうしよう……と、僕は勝手に不安になっていた。

 そんなそれぞれの思惑を他所に、僕等は先の道が良く見えない、長い竹やぶの中へと足を進めた。こういう風景を見るのが始めてなのか、御影さんはずっと辺りを見回していて、不思議な顔をしている。

 僕も初めてだったけれど、これによく似た森の風景を、普通のゾンビだった頃に見たことがあるので、それほど物珍しくは無い。ただ、竹という植物は今までに見たことが無かったので、すごく興味をそそられた。しかし、今は仕事の見学なのでそんな勝手な行動は出来ない。

 でも、時間が経つにつれてそんな景色にも慣れてきて、その場の不思議な空間の雰囲気を楽しめるくらいになってきた。御影さんも飽きてきたのか、髪をいじったり、あくびしたりしている。そんな彼女の様子を、銭鼬さんは逐一メモに取っていた。たぶん採点をしているんだろう。なんだかんだ言っても、仕事熱心な人だ。

 ただ一人、要くんだけは、最初から最後まで歩調と感情を揺るがせなかった。まるで自然の空気に溶け込んでいるかのように、ビックリするくらい動じていない彼の姿は、大同小異僕等を驚かせた。

「あ、池だ」

 気づけば僕達は、御影さんが言う通り、竹やぶの中に開かれた人工的な池のところまでやってきていた。僕は思わず息をのんだ。あそこに落ちたら、僕は溶けてその場で消えてしまうのだから。せっかくここまで来て、元の場所に戻るなんて嫌だ。

「こりゃぁ随分と深いのぉ。おっ、鯉が一杯いるじゃないか。焼いて食ぅたら結構上手そうで。キッキッキ」

「僕達は一応遠慮しておきますよ。あはは……」

 銭鼬さんは、鯉の品定めをしようとしたが、すぐに自分の仕事を思い出したのか、ちょっとわざとらしく咳払いしてから、すぐ先に進もうとする。僕もそれに続いていこうとした。が、そんな僕等の前に、奇妙な体勢で竹やぶに背中をピッタリくっ付けてる人がいた。

「……戒十さん?」

「なんですか?」

 要くんだった。顔はいつものように平然としていたけれど、その竹やぶに後ずさる姿は、不自然極まりない。

「どうして張り付いとるんか?」

「最近背中の調子が悪いので、竹マッサージでもしようかと思いまして」

「そがぁなマッサージが人間世界じゃぁ流行っとるんか?」

「流行ってるかどうかは知りませんが。まあ、肩もほぐれましたし、とにかく先を急ぎましょう」

 と、竹やぶに張り付きながら、要くんは前に歩き始めた。そんな彼の様子を見た御影さんは、ニヤリと何か企んでいるような笑みを浮かべ始めた。何かする気なのかなと思っているうちに、御影さんの身体がまた消えた。

 足元を見て見ると、黒い影の塊が地面を這って動いているのが見えた。あれが、影となって地面を動いている御影さんだ。彼女は影女と水の怪物の血筋を引いていることから、こうして溶け込むように丸い影に変身し、地面であれば自由に移動することが出来るらしい。そして彼女はそのまま上半身だけ地面に出して、要くんの背後を取ると、膝の後ろを手刀で叩いた。

 流石の要くんもこれには抗うことが出来ず、意思とは逆に膝をカクッと曲げた。バランスを崩したところで、全身を地面から出した御影さんが、さらに要くんの背中をドンッと押した。間髪無く二段攻撃を受けてしまった彼は、そのまま池の近くまで押し飛ばされた。

 なんとか池に落ちる前に持ち直した要くんは、磁石に吸い寄せられるみたいに、また竹やぶに同じような体勢で、勢い良く張り付いた。あまりにも勢いが良すぎて、体当たりするような形になってしまう。

「痛い……」

 銭鼬さんと僕が唖然とする中で、御影さんは要くんの前に立って、腰に手を当てながら、彼を見下すようにふんぞり返る。

「アンタ、水が駄目なんでしょう」

「何するんですか」

「答えなさい。カナヅチなんでしょう?」

「僕は何もしてないのに、酷いじゃないですか。横暴ですよ」

「……白を切るつもり? 意外と意地っ張りなのね。可愛い所あるじゃない」

「お返しです。ていっ」

 御影さんの質問を全部無視したまま、要くんは彼女の背後にしゃがみながら素早く回り込むと、自分がされたのと同じようにして膝の裏を叩いた。妖怪でもその攻撃に抗うことの出来なかった彼女も、膝がカクッと折ってバランスを崩した。そのまま彼が背中をトンッと押すと、そのまま彼女は竹やぶに顔面から激突した。

「では行きましょうか。あっ、もうここを出ればそれらしい民家があるじゃないですか。時間を無駄にさせないでくださいよ」

「は、はあ。すいません」

 自分の弱点を自ら明かすことをしないまま、要くんは先へと歩いていってしまった。それを追おうとして、僕と銭鼬さんは後ろ髪を引かれるように、竹やぶに激突したままの御影さんに振り返った。

「や、やってくれたね、あのガキィ~!」

「戒十さんをそう呼べる立場じゃないじゃろう、アンタは」

「御影だって言ってるでしょ! ドケチ鼬!」

「はいはい、札束鼬でも金貸し鼬でもなんでもいいじゃけぇ、行くんよ」

「くぅ~。これで済まさないんだからね、要戒十……!」

 とても女の子とは思えないくらい、苦虫を噛み潰した顔になった彼女は、憤りを包み隠さぬまま、銭鼬さんに着いていった。僕は、とてもタイミングの悪いときに来てしまったのかもしれない。

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