第三話『鏡境界』後編

 私は、要戒十が走っていった道を追って歩いていた。といっても、どこに彼がいるかはもうすっかり感覚的に把握していた。

 そのまま歩いていくと、不自然に盛り上がった山に出来た洞窟の入り口で、手を振っている人間がいるのが見えた。要戒十だ。

相変わらず無表情で馴れ馴れしく手を振っているのを見ると、不気味だ。私は、手を振り返さなかった。

 到着すると、早速要戒十は予想通りに蛇憎鏡のことを聞いてきた。私は、あの入り口で転んだ後、蛇憎鏡がどこに行ったのかを知っている。それを見せるのも簡単だった。

「人質は?」

「何人か死んでましたけれど、依頼人さんのお父上とサキさんはなんとか生きておられましたよ」

「そうですか」

「泣かせなくてすみましたね」

「そうですね」

 相変わらず腹の立つ子どもだと思っていると、また彼は蛇憎鏡のことを質問してきたので、鬱陶しくなって私は蛇憎鏡の末路を見せることにした。

 まず私は左手を地面につけると、そこに妖力を送り込んで、蛇憎鏡が今いるところと接続させた。これで右手の鏡に、蛇憎鏡が行った場所が映し出される。

「さあ、これを一緒に覗いてみてください」

 そういうと、要戒十は慎ましく私の隣に体育座りして、それを覗き込んだ。


 私の手の鏡に映し出されていたのは、右も左も暗雲のようなものに囲まれた、暗い世界だった。鏡の世界とは全く正反対に遮蔽物や障害物などは一切なく、それが逆に異質を醸し出していた。

 そんな暗い世界の中で、ポツンと取り残されたようにして、蛇憎鏡が倒れこんでいた。意識を失っているのか、立つ気力がないのかはわからなかったが、私はひとまず声をかけてみることにした。

「おはようございます」

「な、なんだ! ここはどこだ!」

 声をかけると、蛇憎鏡は驚いて辺りを見回した。でも、相手に私の姿は見えない、ただ声を届けているだけなのだから。

「お目覚めですか? 先程お世話になりました鏡明華です」

「小娘か! お前、俺に何をした!」

「もしかして、鏡妖怪ともあろうものが、この世界のことをご存じないのですか?」

「この世界だと……? どこに俺を落としたんだ、ここは地獄じゃないはずだ!」

「わかりました。私の隣には初心者の方もいらっしゃいますから、ご説明いたします。私はあなたを“かがみ境界きょうかい”送りにしました。正確には引っ張り落としました」

「鏡境界……?」

 蛇憎鏡は目を丸くして、聞き覚えのない単語を必死に理解しようとしていた。

「鏡境界というのは、鏡世界と別の世界を繋ぐ出入り口の間に出来る異空間です。人の世にある鏡の数だけ、この鏡境界は生まれます。あそこで、あなたのを尾を引いたのには、そういう理由があったわけです」

「テメエか、さっき俺を躓かせたのは!」

「面白いことをおっしゃるんですね。他に誰が居たと言うんですか」

「くそっ、姿を現せ! どこにいる小娘!」

「残念ですが、私は鏡境界にはいけませんし、行きたくもありません。鏡境界の出入り口は、鏡の世界とは違ってたった一つです。この無限に続く世界の中でたった一つの扉を探すのは、ほぼ不可能と言って良いでしょう、その前に力尽きるか、絶望して動きたくなくなるのが関の山です」

「嘘だ。絶対この近くに出入り口はあるはずだ! 俺をここから出せ!」

「それだけの意気込みがあれば、あと一ヶ月は大丈夫そうですね。では、頑張って私に復讐しにきてください。でも、もうあなたとお話することはないでしょう。ではさようなら」

 と最後に一言残して、私は鏡境界との交信を絶った。これでもう、あの世界とは話が通じなくなる。私自らがあの世界にいかない限り。

「では、仕事収めと参りましょう。行きますよ」

「その前に依頼主さんを呼んで宜しいですか? 一応人の確認をしたいので」

「そういうことでしたら、迅速にお願いします」

 そして、私達は依頼主と手早く合流し、仕事の仕上げにかかった。


「というわけで、この洞窟の中であなたのお父さんらしい方と、サキさんを発見致しました。確認をお願いして御代を頂戴したら、契約成立です」

「わ、わかりました……」

 依頼人の少年は、御代の話になると急に一段と塩らしくなった。もしかして、御代が用意されていないのではないだろうかと私は不安になった。不安を退けるために、すぐ要戒十を私は問い詰める。

「ご本人の魂で支払う、とのことです」

 という返答が返ってきた。なるほど、浮かない顔をしているのはそのためか。

 依頼人の心中はこの際無視することにして、私達は洞窟の奥へと入っていった。明かりが無かったので、要戒十にマッチとロウソクを渡して明るくしてもらうと、そこには空腹に耐えかねて、呻き声をあげている人間が放置されていた。みんな両腕と両足は縛られて、自由を奪われていた。

 奥にいくと、飢えに負けて死んでしまっている人間もいた。死者の腐臭で顔をしかめる人間で一杯になった洞窟は、流石の私でも笑って見ていられる光景ではない。だというのに……要戒十は、先ほどから眉一つ動かさないどころか、平然と当たり前のような顔で私の横に立っていた。

「こちらがお父上で間違いありませんね?」

「はい、そうです」

 確認が取れると、要戒十はすぐさまそのお父上を自由の身にした。無精ヒゲが生えた、あまり近づきたくない風貌だったけれど、それは他の人間も同じことなので仕方ない。父親は自由になった途端、すぐさま息子に抱きついた。

「助けにきてくれたんだな、お前が」

「……」

「父さん嬉しいよ、タキ、ああ、愛しのタキよ!」

「……」

 父親に抱き疲れても、少年は何一つ答えなかった。再会の喜びなど、対価を払うことによって、すぐまた離別の悲しみへと変わってしまうから、答えたくないのかもしれない。

 私達が仕事をしたことで求める御代とは、人間の魂だ。すなわち人一人の命を要する。今回の仕事は、相手が凶暴な鏡妖怪だっただけに、これくらいが丁度良い対価だろう。実際、うちの新入社員が下手をしたとはいえ、死に掛ける場面もあったわけであるし。

 ふいに依頼人の浮かない様子を見て、父親はどうして子どもがこんな悲しい顔をしているのかと、理由を私達に聞いてきた。なので、私達の素性と御代の仕組みや理由を説明すると、父親は膝を突いて絶句した。

「お前、命を懸けて俺を助けようとしたのか」

「……」

「そんなこと許されるものか! お前はそんな自分を犠牲にして助けられたお父さんが、明日から笑って会社にいけると思ったのか!」

「……」

「いいか、家族を……子どもを助けるのは、父親の務めだ!」

 と、鼻息を荒くしながら、父親は立ち上がった、そして自分を指差して、堂々と私達に言ってきた。

「あなた達には悪いが、御代は私の命で払わせてくれ」

「お父さん!」

 父親と対面してから初めて依頼人はその父に対して言葉を発した。息子は「本当に良いのか」ということを父に何回も聞いたが、父は結局それを断固として貫き続けた。

「それに、父さんの死は無駄にはならないさ。お前がこの方々に頼んでくれたおかげで、この周りの人間達も助かるんだろう?」

「まあ。そのことで暴動が起こっては困りますので、助けますよ」

「……と、とにかく、父さんの命一つで、多くの人の命が助かるんだぞ? 嬉しいよ父さんは。だからお前は気にすることは何もないんだ、帰っても母さんの前で胸を張れ」

「……うん」

「さて、気が変わる前にさっさと私を殺してもらおうかな」

 愛想笑いを浮かべながら、父親はフラフラしながらも、胸を張って私達にそう催促してきた。要戒十は、そういうことでしたら早速と、何の反論も無しに準備を始めようとする。が、彼は何かに気がついたらしく、私に寄ってきて質問をしてきた。

「すいません、抜魂輪をお持ちでないですか?」

「まだ貰っていないんですか? わかりました、私がやりましょう」

 仕方なく私は、懐から抜魂輪を取り出した。これは、生き物の心臓に近いところに輪をあてて、少しだけグッと押すと魂が飛び出る仕掛けになっている、魂を抜くための道具だ。これを使うことで、依頼人に対する苦痛を、最初の押される感覚だけに留めている。

 父親は、その説明を私から聞くと、何も答えずに目を瞑って頷いた。どうしてここまで迷いなく子どものために、自らの命を張ることが出来るのか。私には最後までわからなかった。

「タキ。母さんによろしくな」

 最後の言葉も聞き届けたところで、私は胸のあたりに輪で圧力をかけた。そして、父親の魂は吐き出されるようにして飛び出した。少し苦痛に歪んだ顔をしたが、魂になった父親の顔は、ずっと笑顔であった。

 消える直前に少しだけ、もう触れることが出来なくなった息子の頭を撫でるようにしたかと思うと、そのまま父親の姿は霧のように消えた。私が魂の生気を手早く抜いたのだ。意識せず一連のことを眺めていても、感動も何も無かったが、胸に何か支えが残る光景だった。

「あの、すいません」

 それを見届けたところで、依頼人がふいに声をかけてきた。まだ何かあるのだろうか。

「父さんの魂の意思は、もう地獄に向かったんですか?」

「魂の流れをご存知なんですね。そうですよ、もう地獄へと向かいました。何か言い残したいでもありましたか」

「いや。父さんに残したい言葉なんて、何もありませんよ」

「ではこれにて、契約は成立。仕事は終了ということですね」

「ありがとうございました。これで、清々しました」

 依頼人は、さっきまでの意気消沈した様子がどこへ吹き飛んだのか、急にクスクスと笑い始めた。その笑いは、すぐに洞窟中に響く高笑いへと変化する。小学生の笑いとは、到底思えなかった。

「予想通りだよ。親馬鹿の父さんは、間違いなく僕が魂を差し出すっていったら、代わりに出てきてくれる。上手くいったよ!」

 歓喜する依頼人を見て、私達は顔を見合わせた。不思議そうな顔を向ける私達に対して、依頼人は勝ち誇ったような顔で私達に野卑な笑顔を向けた。

「お礼に説明させていただきますよ。僕の本当の目的をね」


「僕が助けたかったのは、あんな人じゃない。サキさんさ」

 サキさんがいる洞窟の最深部へ向かう中で、私は彼の思惑の一部始終を説明されていた。

「実を言うとサキさんが行方不明になった時、僕もその所を目撃してたんだ。でも、間近で見ても信じられなかった」

「確かに、信用出来ない出来事でしょうね、人間にとっては」

「僕はそんな時に要さんに出会った。そしてサキさんを救うには怪社を使うしかないって、そう思った。でも、その対価は人の命だった……。悩んだよ、誰を犠牲にするかって、でもそんな時、父さんが同じ奴に捕まった所を目撃した。それはもう最高のチャンスだった。父さんの命を対価に、サキさんを救うためには」

 なるほど、小学生にしては、よくもここまで思い切ったことが考えられたものだ。いやむしろ、私が抱いている小学生への勝手な印象付けが間違っているのかもしれない。中学生だから知能が優れているとは限らないし、小学生だからといって知識が不足してるということも断定は出来ないのだ。

 大体の概要を聞いたところで、私達はサキさんが捕まってる最深部までやってきた。ここは特に餓死者が目立つ場所で、腐臭が蔓延して空気が淀んでいた。そんな中に、サキさんは虫の息で倒れていた。

「サキさん! 助けにやってきました!」

 父を助けにきた時とは正反対に、元依頼人は、快活な様子でサキさんを抱きかかえた。物凄くやつれた少女は、骨と皮しかないとまではいかないまでも、相当に痩せこけていた。一体いつにさらわれたのかは知らないが、これは二日三日の話ではないだろう。

「面倒ですから、ここにいる人間の拘束を全部解除しましょう」

「そんなこと出来るんですか? なら最初からやってくださいよー」

「私は今、このあたりを支配していますが、一度に違う行動をするということは、とても難しく厄介なことなのですから、簡単に言わないでください。それに人間の死体なんて汚くて、出来れば触りたくありません」

「すいません」

 意外と要戒十は素直だった。その素直さに免じて許してやることにして、私は生死関係なく、洞窟内の全ての人間の拘束を解いてやった。すると、たちまち元気が残っていた人間達の歓声があがり、洞窟の中は少しやかましくなった。うるさいと思ったので黙らせようとしたが、要戒十が僕にやらせて欲しいというので、私は彼に任せた。

 要戒十は、早速助ける代わりに、「虫の息で動けない人を抱えて外に集合してください」言って、皆を外まで誘導していった。もし要戒十が誘導していなかったら、今頃はどれほど出口が混み合っていた事だろう。

 辺りが慌しくなる中で、元依頼人はサキさんの下へと一目散に駆け寄った。そして、今にも折れてしまいそうな身体を支えて、ゆっくりと歩き始める。

「わかる? 僕だよ、一条タキオ」

「一条、クン……?」

「覚えていてくれた? 助けに着たんだよ、僕が」

「そうなんだ、ありがとう……」

 消え入りそうな声で、サキさんは一条少年に答えた。そして、彼が屈んで自分におぶさるように催促したので、彼女はそれに素直に従った。背丈は同じくらいだったのにも関わらず、彼は軽々しく少女の身体を背負えてしまった。

「では、いきましょうか」

「そうですね。後の人はみんな息もないようですし、あなた方が最後です」

 私は、後ろに転がる屍を最後に一回だけ振り返ってから、出口へと進んでいった。目視で生きてるかどうかわからない人間を助けても、今更助からないことはわかっているのに、何故振り返ってしまったのか、私にはわからない。


 軽々しく背負ったものの、衰弱しているサキさんを背負いながら早く歩くのは危険だったので、一条少年はゆっくりと出口を目指していた。かなり遅く進んでいたおかげで、生還した人間達を整理して出口まで誘導していた要戒十がこちらに帰ってきた。やはり後は私達だけらしい。

「かなり弱ってますね」

 というのが、サキさんを見た要戒十の第一声だった。後ろにいた一条少年は、少しだけ私達を睨んだけれど、それには気づかない振りをした。

「あと少しだから、頑張ってサキさん」

「……ぅん」

 私達の会話を無視して、一条少年は必死にサキさんを励ました。でも、返ってくる返事は一層小さくなるばかりだった。これは出るまでもたないかもしれないと、私と要戒十は思わず顔を見合わせる。そんな私達の様子に気づいてか、彼は急に声を荒げた。

「僕は、サキさんのことが好きだ!」

「えっ?」

 一条少年の告白に驚いて声をあげてしまったのは、私だった。あまりにも唐突だったので、思わず躓きそうになる。

「こんな時に何言ってるか自分でもわからないんだけど、答えは元気になってからでいいからさ。あはは、なんか恥ずかしくなってきちゃった。その、なんといいますか……」

「……いいよ」

 か細い声が聞こえた。

「だから答えは今度でいいって……今何と?」

「いいよ。今日から、私達は恋人。誰もが羨む、かはわからない、けど、正式な、カップル」

「えっ? その、本当に。えっと、つまりどういうことで?」

「私は、あなたの、カノジョってこと」

「わあっ!」

 途切れ途切れながらも、サキさんがハッキリとそう答えると、思いもかけない返答を受けた一条少年が思わずバランスを崩しそうになる。

「ほ、本当に?」

「嘘は、言わないよ。今日から、私と、あなたは、恋人同士」

「なんだか実感沸かないけど、う、嬉しいなあ、はははは!」

 明らかに動揺して思考が吹っ飛んでいる一条少年だったが、彼はサキさんが体力の限界を超えて話そうとしてることに気づいているのだろうか。

「だからね。私、一つだけ、お願いが、あるの。いい?」

「も、勿論。僕に出来ることなら、なんだってするよ!」

「とても簡単なこと。今こうしてる、だけでも、できること……」

「サキさん?」

 眠気に耐えかねて、途中で言葉が途切れたようになったので、一条少年は少し慌てたが、すぐに返事が聞こえてきたので、ホッと安堵した。

「じゃあ、いくよ」

 と、彼女が何か合図する声が聞こえたかと思うと、後ろから人間が倒れた音が聞こえた。私は、誰か屍にでも躓いたのだろうかと思って、呆れながら振り返る。

「ご、ごめんねサキさん。急に背中がすっごい痛くなったから転んじゃって」

 一条少年は、全ての言葉を言いかけて、その口の動きを止めた。次に彼の口から搾り出されたのは、絶叫だった。

左肩に、サキさんが噛み付いていたのだ。

 彼は、自分の左肩の異常に気づいた途端、さっきまでの余裕や、穏やかな雰囲気を全て捨て、私達が見てることなど忘れているように騒ぎ始めた。

「何するんだよ、サキさん! 痛い、痛いよ! もう少し我慢したらすぐファミレスだから!」

「もう我慢出来ないの。ごめんね一条くん。でも恋人なんだから、これくらいしてくれるよね」

「そんなの、そんなのないよ! 痛いっ! やめてよ、本当に痛いよ!」

「やっぱり暖かい食べ物が一番だよね。身体が温まるもの食べたの、久しぶり」

「助けて! だ、誰か! 誰か助けて!」

 地面を必死に這いながら、一条少年は私達の方を見上げて、噛まれていない右手を伸ばしてきた。子どもとは思えない、恐怖に歪んだ醜い表情をこちらに向けていた。

「早く引き離して! アンタラ、客は神様って言うんだぞ!」

「残念ながら。もう契約は完了しました、あなたを出口に誘導してるのは、アフターサービスに過ぎません」

 私より先に要戒十が、そんな一条少年の願いを一蹴した。予想外の返事だったのか、彼は狂ったような裏声をあげて、私達に訴えかけてくるが、要戒十は聞く耳を持たない。

「もし、あなたをお助けするとすれば、もう一度対価を頂くことになります。丁度良いですから、その女の子を排除して、その魂で賄いましょうか」

 一条少年は目を潤ませながら、自分の左肩に食らいつく恋人の顔を見た。そして、無意識に彼は首を横に振った。振り続けた。出来るわけが無い、恋人を対価になんて出来ないと、恐怖と好意の狭間に歪んだ顔が物語っていた。

「お願いだ。彼女を止めて! 絶対に殺さないで、なんとか止めてよ!」

「僕達も慈善事業をやっているのではありません。対価の宛てもないような方の仕事は受け入れられません。申し訳ありません」

「ぎゃああああああああ!」

 赤子の泣き声よりもやかましい悲鳴が、洞窟の中に響いた。外で待っている人間に聞こえたら、また何か一悶着ありそうだ。

「やめ、てよ……」

「一条くん」

「ナ、ニ」

 意識が途切れそうになっている一条少年に対し、少しだけ元気になったサキさんが、口元を真っ赤にしながらいった。

「私達、最高のカップルだよね」


 私達は、失踪事件のその後の状況を確認するために、電気屋にやってきてテレビを眺めていた。

 あれから事件はすぐにその決着を見たようだ。学校の裏庭で、衰弱した人間が数人発見された後、全員即効で病院に運び込まれた。入院が必要な人間もいたが、命に別状はない。ついでに事件の記憶もない。私がその間の記憶を消したのだ。

 ただ、その搬送された中に一条タキオとサキさんは含まれて居なかった。結局一条少年は洞窟から出てくることはなく、代わりに出てきたのは口を真っ赤にしたサキさんだった。彼女は出てくるや否や、私達にこう言った。

「一条くんの魂を使って、私を綺麗にしてください。そして、何事も無かったようにちゃんと家の近くまで送ってください」

 魂を受け取った私達は、彼女の依頼を引き受けて、報酬として魂を手に入れた。仕事一つで二つの魂を儲けることが出来るなんて、なかなかの収穫だ。

 事件の後処理が完全に済んだ私達は、電気屋を出て街中を歩いていた。二人きりで歩いていると恋人に間違われますよと要戒十が茶化してきたので、私はわざと彼の腕にすり寄ってみた。こうすると男は喜ぶものだということを私は知っている。

 しかし、要戒十という人間はそうはならなかった。むしろ彼は鬱陶しいという感情を眉間のシワだけで私に訴えかけてきたので、私はつまらなそうにして腕を解いた。そうやって私はふざけて遊んでいたが、ふいに目の前に見覚えのある顔が二つ並んでいることに気づいた。

 サキさんと、サキさん救出を頼んだ少女が、仲良さそうに手を繋いで歩いていた。彼女も失踪事件の被害者だったけれど、彼女だけ自力で帰ってきたうえに、私が口添えしたとおり、特に覚えていないの一点張りだった。よって、世の怪奇論者達が、こぞって「記憶を奪い取る神隠しだ!」と騒いだのには笑わせてもらった。

 彼女だけ記憶を消していないのにも関わらず、すれ違っても私と要戒十だということに二人は気づかなかったようで、そのまま二人は仲良さそうに行ってしまった。

私はあの時着ていた着物とは違って、“今時”を意識した私服を着ていた、要戒十は素性がバレないように顔を隠していたから、まあ当然だろう。

「僕等、上手いことタダ働きさせられちゃいましたね。あのサキさんのお友達に」

 なるほど、と苦笑いしながら帰り道を歩いていると、次は元クラスメイトの原崎さんとすれ違った。彼女とはこれに近い姿でも会っているから、この格好でも気づくはずだったが、反応無く行ってしまった。でも、これは当然のことだった。

「お知り合いですか?」

「この間まで通っていた学校のクラスメイトさんです。仕事に集中しようと思って、通学を無かったことにしたので、私の記憶がないんです。だから、今は他人ですよ」

 フーンと、要戒十は答えにそれほど興味が無かったのか、鼻で返事をしたかと思うと、そこから妖界に戻るまで、一言も喋らなかった。

 原崎さんは、記憶の残りかすにも存在していない私のことを見ないまま、他の友達と合流して、すぐ近くの建物に入った。カラオケだった。


 双宮狐さんに案内されて、怪社の社屋の前まで戻ってきて見ると、何やら騒がしくなっていた。よく見ると、今まで横にいたはずの双宮狐さんが妖仙狐さんと、真剣に、でも違う目線の高さで向き合っていた。ふいに、横にいたはずの二人を探して見ると、そこには丸太が一本転がっていた。

 その話に聞き耳を立てて見ると、彼等は必死に“名前”という言葉を連呼していた。私達はようやく、何があったかを尋ねてみることにした。

「なに、ちょっと下僕二人が、自分達にも一人一人の名前が欲しいなんて言うもんですから。すぐにあしらいますのでお待ちください」

「妖仙狐様! 逃げないでください!」

「妖仙狐様! ご逃亡されないでください!」

 いつに無く大真面目な二人は、珍しいことに妖仙狐さんを圧倒しようとしていた。実際、妖仙狐さんはタジタジになっていた。

「なるほど。さっき私達を導いてくれたのは、変わり身の術ですか。お仕事をサボったんですね、二人して」

 と指摘してやると、意気盛んだった二人は痛いところを突かれて萎れた植物のように項垂れてしまった。そんな二人を見下ろして、妖仙狐さんはため息をつく。

「名前がないおかげで、毎度仕事をサボられたらたまったものではありません。良いでしょう、最低でも二百以上は私に奉仕してくれた君達に、褒美を与えよう」

 妖仙狐さんは、そう言うと同時に、指から二つの鬼火を出して、二人の胸にそっとつけた。二人は燃やされると思ったのか少しジタバタしたが、それは二人の着ている宮司の服を燃やすことなく、むしろ炎が文字となって、段々と分かれていく。そして気づけば、二人の着物には文字が印刷されていた。

「今日から右の君が“まが”。左の君が“たわ”だ。これで文句ないでしょう?」

 しばらく自分達に何が起こったか理解していない様子だった二人は、着物に印字された自分の名前の文字を見た途端、飛び跳ねて喜んだ。彼等にとっては、これほど嬉しい褒美はないのだろう。彼等の年齢は人間を遥かに超越しているが、要戒十よりも行動が幼く見えた。

 そんな二人を見守る妖仙狐さんが、ふと私達に耳打ちしてきた。

「名前をつけようと、二人が元は一つだったことに変わりは無いんですがねえ」

「どういうことですか?」

「戒十くんには話してなかったかな。昔、あの二人は“命滅めいめつ”という狐妖怪で、私の弟子でした。ところがある日謀反を起こしたので、私が真っ二つに切って、妖力の源は消してやったのです。だから元々一つの存在だった二人が、どんなに別の行動をとろうとしたたところで、悩みの思考が具現化したに過ぎないわけです」

「まあでも、本人は喜んでるんですし、良いのではないですか?」

「そうですね」

 と、妖仙狐さんも、最後は納得したようだった。

話が終わってから、気づいてみれば今ここには、他の仕事に付きっきりで出かけている銭鼬さんと旅行中の社長を除けば、社員全員がその場に揃っていた。今まで興味があったけどなかなか出来なかった“アレ”をするには絶好の機会だ。

私はそれに気づくと、少し考えてから、みんなに訴えかけた。心のどこかに湧き上がっていた興奮を覆い隠しながら。

「あの……」

「なんですか?」

「勾さんと戯さん名前誕生祝いということで、何か祝杯をあげませんか?」

「下僕相手にそんなことしなくても良いんですよ」

「いいえ、どちらかといえば私自身の興味からでして。実は……」

「実は?」

 私は少し恥ずかしそうにして、でもすぐに意を決すると、妖仙狐さんに進言した。

「カラオケに行きたいんです」

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