第一話『異住料』後編

 僕は、思わず顔を引いた。物凄い熱気と、流れてくる悪い空気が、自己防衛本能を起こさせたのだ。致命的な害はないが、この居心地の悪さはゴミ屋敷でも味わえまい。

 上を見上げてみると、そこには空が無かった。代わりに牙のように尖った岩が、あちらこちらから飛び出している。こんなものが落ちてきたら一たまりも無い。

「おお、逃げんで着いてくるたぁ義理堅いの。そういう友達がおるっちゅうなぁ、人間にとっちゃぁそりゃぁもう幸福じゃろうな」

「喋ってないで、早く連れて行ったらどうだ」

 僕がそう急かすと、化け物はムッとしながら、改めて僕に戒十の顔を見せ付けてきた。刀付きで。

「どうもー」

 あろうことか、人質はこちらに向かって手を振っているではないか。こんな時に何余裕をぶちかましているんだろう、コイツは。

 つい怒鳴りそうになったけど、これは彼なりに僕に対するメッセージかもしれないと、ひとまず頭を冷やすことにした。

「ず、随分二人とも余裕じゃのぉ。そがぁに連れてって欲しけりゃぁ、とっとと連れて行くよ」

 化け物も、そんな彼の態度には動揺を隠せないらしい。身内である僕が面食らっているのだから当たり前だ。戒十一人に何故か振り回されている僕と化け物は、そのまま真っ直ぐと乾いた岩の大地を進んでいく。

 沈黙のまま歩いているうちに、僕は化け物に対して、どうしても我慢仕切れない疑問をぶつけた。ここがどこなのか、というただ一つの大きな疑問だ。すると、相手は意外にも素直に答えてくれた。

「ここは、ワレ達が住んどる人間界とも、ワシ達の住んどる“妖界ようかい”とも違う世界で。地獄の入り口ってところじゃのぉ」

「じ、地獄?」

「そうそう。人間って『善人は死んだら天国に召される』なんて考えとるがね、実際はそがぁなこたぁぁで。どがぁな善人だって、気づかんところで罪は犯しとる。それを清算するための場所が地獄で。しかも、ほいで清算したけぇって天国に行けるわけじゃない」

「なら、僕達はずっと地獄で罪を償わされ続けるのか?」

「結論を急いじゃぁいけんぞ、少年。地獄にゃぁ、罪を償った人間が気楽に暮らすことの出来る、“地獄街じごくがい”っちゅうのがあるんさ。まあ、これが俗に人間がゆぅところの“あの世”じゃのぉ。その中において、天使んように心美しいと認められて、初めて天国にゃぁ行ける」

 化け物は、神に拝むように手を合わせた。腕で首を絞められた戒十が、ちょっと苦しそうに抵抗すると、それはすぐに解かれた。

「じゃが、天国は気楽でもなんでもないぞ。天使ってなぁ、毎日毎日人間を監視し続けて、天恵と天罰を与えにゃぁならんうえに、罪を記録せんといけん。仕事だらけで休む暇も大概なぁで。神様気分なんて楽しゅうも無い、本当につまりもせん所で」

「行ったことあるのか?」

「いいや。天国を見物しにいった死神とかから、嫌ってほど聞かされとるんさ。「良いことって言ったら、自分が天にいるから、天罰がまず降りかからんことくらい」って」

 意外と死者の世界というのは複雑らしかった。僕は、すんなり天国に行けるとは、この年ですら感じていなかったけど、まさかそんな厳しいところだったなんて。死ねば苦労や苦痛から解放される、なんてことはないのだ。

「生きていても仕事、死んでも仕事か」

「何、絶望するこたぁなぁで。罪を清算すりゃぁ、後は遊んで暮らせる地獄街があるんじゃけぇ。そうすりゃぁ気楽な生き方も出来るようになるじゃろう」

 そんな死後の世界の事情を説明されているうちに、僕等は橋に差し掛かった。

 厳密には橋ではなく、ただ今まで歩いていた岩の道がより細くなっていただけだった。それだけに、余計恐ろしいものを感じる。化け物より前に出て、橋の下を見てみると、血の気が失せるような光景が広がっていた。

 見渡す限り真っ赤な溶岩ばかりだった。こんなところで万が一足を踏み外したら、一瞬で消し炭になってしまうことだろう。僕は後ずさるが、化け物はそんな僕を足で蹴飛ばして急かした。

「ここを超えりゃぁすぐなんじゃけぇ、はよぉ行けって」

「行きたくも無いところまで、どうして急いで行かなくちゃいけないんだ。ここで牛歩してやる!」

「牛歩って、可愛くない言葉を使うガキじゃのぉ。コイツの首を切り落とされたいんかい?」

 僕は、その一言を繰り出されると抵抗が出来ず、仕方なく溶岩が下で煮え立つ火口上の足場に、一歩踏み出した。踏み出した途端、下で何かが強く燃えたような気がした。貧血になりそうなくらい血の気が薄れる。

「あんまり張り切って落ちるなよ。ここで死なれたら魂を回収出来なくなるけぇねえ」

「魂を回収って、僕等をどこかで殺すのか」

 渡りながら僕は、後ろに着いてきている化け物に聞いた。化け物は、当然のように、そうだよと答えた。冗談じゃない、そんなことが当然であってたまるか。

 命の危機を目前にした僕は、焦っていた。だが、ここで冷静にならなくてはいけない。そう思って僕は、頬に貼られた湿布に触れた。ひんやりとしたそれは、僕にとって良い冷却材になっていた。

 と、その湿布の冷気から、僕はある一つの打開策が閃かせた。今これを渡りきった後なら、相手も油断するし、機会はある。僕は、起死回生の一撃を決めるため、覚悟を決める。

「おいおい、早ぉしてくれ。コ、コイツを落としてしまうぞ」

 幸い、相手はここで強がってはいるが、やはり恐怖心があるらしい。ここを渡り終えたなら、必ず気持ちを落ち着けて油断が出来るはずだ。そこだけが、生き延びるための最大にして最後のチャンスだろう。

 決意を固めた僕は、少し足早にその難関を超えた。気負いしすぎなければ、意外と簡単な道であった。そのあっけなさに、思わず僕はニヤけた。化け物は、それを見ると少しだけ拍手をして、僕のことを何故か称えてきた。

「こういう度胸のある奴の魂は良質な場合が多いけぇのぉ。こりゃぁエエ価値が付くかもしれんぞ」

 またキキキと化け物は呑気に笑っていた。今自分がどこにいるか忘れているかのように、ニヤニヤとしていたので、僕は一言煽ってやることにした。

「そんなところでケラケラしてると、毛ダルマが火ダルマになるぞ」

 と脅かしてみると、化け物は、ひぃっと声をあげてこちらに走ってきた。こちらの思惑以上に、相手は慌てふためいていた。よっぽど度胸に欠けているのだろうか。

 化け物は、素早く渡りきると、なんだ大したことのないといった顔で冷や汗を拭うと、その場で一息ついていた。明らかに油断している。

 僕は、それを最高の好機と見て素早く行動を起こした。頬から湿布を引っぺがした僕は、化け物の懐へと飛び込んだ。

 そして、間抜けな面を晒している化け物の鼻に、そう簡単には取れないよう、両手でしっかりと湿布を貼り付けた。

「ふがあーっ! なんだこりゃぁ! 息が!」

 化け物は、戒十と刀を離して、その場でゴロゴロとのた打ち回った。僕等人間より鼻の利くだろうコイツラには、辛い一撃だろう。

 倒れている間、鼻から湿布を剥がそうとして、手で湿布を掻く姿を見ていると、動物を虐待しているみたいで気が引けたが、コイツは化け物だ。僕等を殺そうとしているのだ。

 怯んでいる相手に向かって、僕は猛獣のように飛び掛った。そして、苦しむ化け物の首をぎゅっと絞めながら、溶岩の方へと押していった。

「ふぐぐっ、や、やめんかコラ! 溶岩に落ちるっちんさい!」

「ああそうだ。僕がお前を毛ダルマから火ダルマにしてやろうって、こうしてるんだ!」

 鼻からも息が出来ず、口からも息が出来なくなった相手は、次第に力を失って、抵抗が弱くなっていった。

 これが人間なら、僕は真っ青になっていただろうが、相手が違う。それでも、罪悪感が全くないわけではなかった僕は、このまま溶岩に落としてやったほうが慈悲深いと感じて、さらに崖の方へと僕は化け物の身体を押していった。日本流で火葬にしてやれば、奴もまだ浮かばれる。

「ダメだよ」

 と、ふいに背後から声がしたかと思うと、僕の首に丸太のようなものが引っかかり、いきなり首を上に持ち上げられたあげく、身体を軽くひっくり返された。

受身を取れなかった僕は、後頭部をしたたかに打って、そのまま気を失ってしまった……。


「いやあすいませんじゃったんじゃ。まさか、あがぁなツーンと来るもんを鼻につけられるたぁ思わなかったので」

「妖怪が人間みたいな言い訳をしないてください」

「て、手厳しいことで……」

 目が覚めた時、僕はフカフカした毛ダルマに抱えられていた。あまりの触り心地の良さに、もう一度僕は意識を閉じようとすら考えた。

「それよりコイツ、涎とか垂らさんじゃろうね」

「彼は居眠りはしても、そこまではしたない事はしないですよ」

「えかったんじゃ。これでもワシ、この毛に自信持っとるけぇね」

「売ればさぞ値がつくという訳ですか」

「じょ、冗談キツイのぉ。まったくもう」

 誰かの会話が聞こえた。だが、意識が戻ったばかりの僕には、誰と誰の会話かはわからなかった。ただ、どこか懐かしいような、身近なような、こんな声だった。

 少し首を起こしてみると、どうやら僕が気がついたことを抱えてた奴が察知したらしく、横の者に報告していた。すると、そいつは僕に顔を近づけてきた。

「目が覚めた?」

「まだ焦点が定まらない」

「君が手荒な真似をするからだよ。本当、計画していたことがみんな総崩れしたから、僕も手荒な真似になってしまったけど、許してね」

 聞き覚えがあるけど、どうしても意識が朦朧としていて、その声が誰のものか、よく思い出せない。いや、理解したくなかったのかもしれない。

「お前誰だ?」

 単刀直入に僕はその質問をした。相手は、焦らさずに答えてくれた。

「え? 僕は“要戒十”だよ」

 思考が真っ白になった。聞き間違いだと思って、僕はすぐに聞き返す。

「……何だって?」

「そろそろ目をちゃんと覚ましてごらんよ。ほら」

 そう言われて、僕は顔を思い切りあげてみた。戒十が隣に立って歩いていた。僕が開放してあげたのだから、そうなっているのもわかる。でも、逆に僕がどうして、何者かに抱え上げられているのかが理解出来ない。

「君はあの化け物さんに抱えられてるんだ」

「どうも~。乗り心地はどうかね?」

 化け物さんと聞いて、僕は改めて毛に触れてみた。この触感は、確かにあの時戒十が触らせてくれた、あの化け物の毛の触り心地に似ていた。

「悔しいけど。眠くなるくらいフカフカしてる……」

「なら寝ててつかぁさいよ。もう面倒なことに頭使いとぉないんでね」

「今の一言で目が覚めた」

「まったくもう、どうしようもなく可愛げが無いガキで」

 化け物が鼻息を荒くした。僕がそうしたい気分であった。


 さらに僕ら一行が進んでいくと、遠くのほうに巨大な鳥居のようなものが見えた。それを入り口として、中には巨大な一つの丸穴が開いている。僕はあれが何なのかを戒十に聞いた。戒十は、さらに化け物に聞いた。

「ありゃぁ人の身体を溶かして、魂を安全にかつ綺麗に取り出す、魂の溶鉱炉じゃ。あれを俗に“ようこん”と皆は呼んどるんじゃね」

「つまり、あそこには溶岩が眠ってるんですか?」

「そうじゃけど、人間界のたぁ訳が違いますけぇの。生き物が落ちたら、死んだ瞬間もわからんうちに一瞬でドロドロじゃ」

 つまり僕は、これから溶岩に落とされるということであろうか。そして何より、戒十がどうして僕のことを騙したのだろうか。

「戒十。何故僕のことを裏切ったんだ?」

「目的のためだよ。ただ、僕は君ほ騙しはしたけど、友情を裏切ったつもりはない」

「この状況でも、お前は笑えない冗談を言うんだな」

 僕は、親友に対して、とてつもない憎悪をこめた皮肉を吐いた。相手はまったく動じなかった。感情的な反応など返ってこないとはわかっていたが、本当に返ってこないと寂しい。

 親友だと思っていた人物に裏切られ、失意と絶望に暮れる僕に対して、戒十はようやく言葉で反応を返してきた。

「全てを話すけど、この誘拐事件を仕組んだのは、全て僕だ。つまり首謀者はその“ぜにいたち”さんじゃなくて、この“要戒十”というわけ」

 そして、この事件について、包み隠さず話し始めた。

「うちの先生は十三人と言っていたけど、本当はもっと前からこの計画は始まっていたんだ。連休中に故郷に帰ったんだよ。つまり転校前の土地にね。そこで前々から練っていた作戦を決行した。まずスキー計画に誘ってから、十五人くらい雪崩遭難に見せかけてみんなあの溶魂炉にかけた。あ、これはよく考えたら誘拐と関係ないね」

「まさか、僕等の知らないところでそんなことまでやっていたのか」

「うん。でも二回も同じ手は使えない。だから手数料がさらにかかることを覚悟で、僕は誘拐事件を企てた。それで君が十五人目」

「十五人目ってことは、都中さんは」

「とっくに」

 僕は、それを平然という戒十に対して、怒りよりも悲しみが湧いた。戒十は人懐っこくはないし、皆から好かれるような性格ではないけれど、悪い奴ではない。

 それは、長い間親友として胸を張ってきた僕が断言出来ることだ。

「そして次が君で、この誘拐事件も終了するというわけ。今日までに魂を合計三十集めないと、契約していた僕が大変な目に合うところだったけれど、これで助かるよ」

「親友やクラスメイトを犠牲に自分は助かるってことか」

 戒十は、もう言葉で返すのも億劫になったのか。堂々と頷くだけに終わった。僕は、それでも彼の良心に食い下がって、一番重要な質問をぶつけた。

「そこまでするほどのお前の目的ってなんなんだよ」

「目的? そうだね。ちゃんと教えないと、人間的には筋が通らない」

 いつの間にか前に歩いていた戒十が立ち止まって、銭鼬とやらもその場で静止した。そして戒十は、いつもと同じ顔で、僕に振り返って言った。

「僕は、妖怪になりたいんだよ」


 溶魂炉の入り口である鳥居まで、僕達はたどり着いた。いよいよこの世とも、忌々しい銭鼬とも、そして親友ともお別れの時が近づいてきたらしい。

 僕は、戒十の妖怪になりたいという目的のために殺される。はっきりいって納得など出来ないが、抵抗することも出来なかった。戒十は僕の急所でも打ったのだろうか、身体に力が入らないのだ。

 どうして親友にこんな目に合わされなければならないのか、僕は悔しくて、ため息が漏れるばかりだった。

「ん? 銭鼬じゃないか」

「相変わらず目付きが悪いなあ。それでは客が寄り付かないぞ」

 ようやく降ろされた僕の目の前には、身体が赤く染まった二人の大男がいた。明らかに人間ではない、これは僕の記憶によれば、鬼に近い姿をしていた。改めてここが人間の住む世界とは違うことを思い知らされる。

「なんだね、今日はまた人間のガキを二人連れてか。いやはや、お前も子沢山になったものだなあ。あっはっは」

「もう……ほんま、やかましい奴等じゃ。ほら、今日はこうして、ちゃんと契約の期日通りに最後を連れて来たんじゃよ?」

「ああ、そっちのガキをコイツに放り込むってわけか。良かったな坊主、間に合って」

 大男が戒十にそう言うと、戒十はこくりと頷くだけで、何も言わなかった。戒十にしては、どこかあからさまに不服そうな表情(それでも眉が少し動いたくらいだが)だった。これから長く積み重ねてきた目的を果たすというのに、どうしてこんな顔をするのだろう。

 僕は大男に手を掴まれる前に、待ってと静止してから戒十に食いついた。

「どうして、そんな不満そうな顔をするんだよ。犠牲になるのが僕じゃ不満かい?」

「それは不満だよ。僕が回りくどかったのが原因で、親友の君を頼るしかなくなったんだからね」

「お前、この期に及んで親友の面をするつもりかよ」

 さっきから軽々しく親友と口走る戒十に、とても苛立っていた僕は、ここに来て爆発し、戒十に掴みかかって身体を揺する。すると鬼達が駆け寄ってきて、僕は二人係で羽交い絞めにされた。おかげで、戒十に一泡吹かせることも出来ずに引き離された。むしろ逆に、僕が鬼の怪力で苦しんでいた。

「すいません。親友にあまり手荒な真似しないでください。それに、魂にも傷がつくんじゃないですか?」

 と、戒十は僕を締め付ける鬼を止めた。まだ戒十は親友という呼び方を辞めなかった。まだ、戒十は僕をコケにするつもりなのか。

 僕は、力の緩んだ鬼の拘束をすり抜けて、再び戒十に掴みかかる。

「何故だよ、何故僕を親友って呼ぶんだよ。どうせなら言ってくれよ、捨て駒でも何でも良い、潔く僕を掃き捨ててくれよ! さあ!」

「落ち着いてよ雅。どうしてそんなことをしなくちゃいけないんだ」

 戒十は白々しく、平然と言葉を返してきた。もうこれ以上怒り様が無く、僕はそのまま戒十に掴みかかったまま睨み付けた。

「いい加減にしろよ。親友をこれから捨てようとするお前が、僕を親友なんて呼ぶ資格あると思うのか!」

「なるほど、君がそういう基準を設けてるなら、別に君だけで絶好すればいい。でも僕は君が親友だから、一番大事な時に選んだんだよ」

「なんだと? そんな屁理屈で善人気取りのつもりか!」

「まあ、そんなに絶好したければすればいいんじゃないかな。僕は止めない。でも、僕は雅が親友だから信じた、君なら僕のために絶対一緒に来てくれるとね」

 何を言っているかわからなかった。さらに怒鳴ろうかと思ったが、その前に何故か涙が流れてきた。喋れなかった。

「最後の最後は絶対に失敗出来なかったから、一番信頼のおける人にするしかなかった。そう考えたら、僕には君しか候補には挙がらなかった。少し後ろめたさはあるけれど、いずれ僕も君と同じ地獄には行くことだしね」

「お前っ、それで、そんなことで僕が納得出来ると思ってるのかよ……!」

「ただ僕が言えるのは、君を信じてここに呼び寄せたということだけ。まあ、騙したと言われたら、君にとってはそれまでかもしれないけどね」

「そうだ。僕はお前に騙された、すごい悔しいよ。でも、本当に悔しいのは、そこまでされても、お前が親友って呼ぶことだ。僕だって、お前の親友辞めたくないってことだよ!」

「僕も願わくば、親友をやめたくないね。親友、と僕が呼べるのは君だけだし、君以上に信頼出来る人間はいない。勿論、自分の父も含めてね」

 あくまで戒十は、僕のことを親友と呼び続けた。それどころか、僕が絶好しても、自分は僕を親友だと思い続けると言った。なんて自分勝手な奴だろう。でも、どうしてか清々しいものがあった。

「……信じて騙したって、なんか妙な感覚で納得出来ないけど、つまり僕は、お前の親友として、絶大な信頼を得たまま、死ねるんだよな?」

「僕はそういうことだと思うよ」

「地獄でまた、会えるんだよな?」

「妖怪になったらいつ死ぬかはわからないけど、目的が叶ったら妖怪なんだし、地獄に遊びに行く機会も出来るかもしれない。そしたらまた話せるようにもなるし、泣くほど寂しいとは思わないね」

 そう言われて、僕は知らないうちに頬が痒くなるくらい泣いていたことに気づいた。情けない顔なんだろうなと、僕は死ぬ前だというのに、大笑いしてしまった。

 銭鼬と鬼達は、そんな僕を見て唖然としていた。でも、戒十の顔だけは、微笑んでいた。いつも通り、ほんの少しだけど、見ていて清々する笑いだ。

「そういうことなら、僕はお前のために、行ってやるよ」

「ありがとう。あ、じゃあ絶交は無し?」

「当たり前……な話ではないけどさ。僕はどうやら、神様も呆れるとんでもないお人好しらしいからね」

 戒十にそう別れを告げた後、僕は後ろの鬼達に堂々と手を差し出した。鬼達が顔を見合わせる姿が、どうしようもなくおかしかった。

 鬼達に手を引かれ、僕は鳥居の中にある穴まで連れて行かれた。後ろを振り返ると、戒十と銭鼬が近くまで見送りにきていた。僕はそれに、涙と熱気で赤くなった笑顔を作った。すると戒十は、腹の立つことにピースでさらに返してきた。

「また地獄で」

 僕は怒鳴る気も失せて、静かに頷いた。

「また、地獄で……」

そして、戒十と同じ言葉を復唱して返答した。

 そして、僕の身体は鬼達に投げられ、宙に浮いた。途端に不快な熱気の中心へと晒される。

 重力に引かれ溶岩に落ちていく中、家族のことを思い浮かべた。僕は親友のために家族全員を捨てたことに気づいた。大事な家族だったけど、ここまで信用してくれる親友の頼みを、断るわけにはいかないんだと、心の中で詫びる。

 最後の最後、戒十の顔が見えなくなる寸前に、僕は叫んだ。

「絶対にまた、地獄でなくても、どこだって、いつだって、どんなに時間が経ったって、いつか絶対に会おう! 約束だ!」

 戒十の同意を聞く前に、僕の意識は、そこで消えた。

 


 とても無表情な少年が転校してきた。要戒十という少年だ。彼は、中学の夏休み後に突如として現れた、不気味な中学生だった。

 転校早々から、他人を近づけないオーラを漂わせ、誰一人として自分の机には寄せ付けないような様子だった。故意に全てを拒絶しているのではなくて、彼自身が定めた領域に入って来られない人間に興味はない、と言った様子であった。

 そんな戒十の強固な障壁を、あっさりと掻い潜ってきた男子生徒が、一人だけいた。少しぐらい恐れを見せるかと思えば、その人物は第一に笑顔を浮かべて、手を差し伸べる。

「僕は平菅、平菅雅隆。今日からよろしく、要くん」

 予想外の人物の登場に、戒十は動揺するどころか、平然とした顔でそれに応じた。

「出来れば戒十って呼んで欲しいな、要くんって名前と勘違いされやすいんだ」

「じゃあ僕は雅隆、いや、みんな雅って呼んでるから雅って呼んでよ」

「わかった。これから宜しく、雅」

 転校初日から、要戒十には予想外の友達が出来た。同時に、彼が厳しく張っていた領域も弱まり、友達も普通に集まっていった。

 そんな友達の中でも、唯一互いに親友と認め合えたのは、ただ一人だけだった。



 要戒十が、巨大な溶岩の穴を見下ろしていた。しれっとした顔だったが、どこか哀愁も漂っている。

 戒十の手には、白い布のようなものが握り締められていて、それは下から吹き上げてくる熱風で、少しだけ揺れていた。

「この湿布。君の大事なものだから、最期の手向けに返そうと思ったけど、君に言えなかった嘘が、まだあるからやめたよ」

 そういって戒十は、湿布の半分を少しだけ破って、溶岩の中に放り込んだ。すぐにそれは灰と化したのも見えないうちに消滅した。

「君が最後の一人、つまり誘拐事件の十五人目というのは本当だ。でも、その一つ前は都中さんじゃないんだ」

 戒十は、もう一切れ投げ込んだ。するとそれ以上は汚くなると、鬼に止められて、投げ込むのはそれっきりになった。だが、話は続いていく。

「僕は、最後の一人を君にしようとしていた。他にいなかったし、今度失敗すると後が無かったから、確実にしたかった。決行しようと君の机にいったら、都中さんがいて、そこで計画を変更した。最後は彼女にしようって、でも帰り道の途中で彼女は友達に捕まっていってしまった。流石に僕も焦った」

 溶岩の上には、何も浮いていなかった。人の遺灰も、手向けの品の燃えカスも。

「途方に暮れた僕は、君の家の前を通って、どうしようかまた悩んだ。でも、他に方法がなくて、仕方なく最後は君にしたんだよ。失敗出来なかったから、父よりずっと信頼出来る、平菅雅隆を」

 大方の事を、雅隆が放り込まれた場所に全て話すと、戒十の横から手が伸びてきて、何かを掴んだ。それは、銭鼬の手だった。何かを掴んだ彼は、背後に背負っていた巨大な財布の口を開けて、何かを取り出した。そして、目に見えない何かを目一杯掴み取った銭鼬は、それを鬼達に渡す。

「これで魂十五個。この要戒十の“異住料いじゅうりょう”が揃いましたんじゃ。お確かめつかぁさい」

「ああ。えーっと……うむ、確かに十五個揃っている。人間がよく集めたもんだな」

「只者じゃなぃけぇねえこの人。ワシも人間世界を行き来して長いが、こがぁなこと頼んできた人は始めてで、驚きの連続じゃったんじゃ」

 と話し込む銭鼬の尻尾を、戒十は思い切り踏みつけた。銭鼬は、ギャーッと叫びながら倒れ、ゴロゴロと転がった。転がり着いた先が溶岩の崖っぷちだったので、彼は息を呑む。

そこへ、戒十が通りかかった他人みたいな様子でやってきて、彼を見下ろす。

「このまま蹴落としてもいいのですよ?」

「わかった! わかった! わかったんよ! まったく、戒十さんは、とにかくせっかちでいけんよ」

 尻尾を摩りながら立ち上がった銭鼬は、戒十と一緒にそそくさと鳥居を抜けて、地獄の入り口の、暗い方の道へと進んでいった。道中、銭鼬はソロバンを取り出し、戒十に話しかける。

「そうだそうだ。今回の手数料ですけどね、結構手間取りましたから、十五の魂じゃ足りなくなるかもしれないですよ。追加の手間賃はえーっと」

「またまた銭鼬さん、そんな冗談僕に通じないですよ」

「え? 冗談って戒十さん」

「まさか、自分のミスに気づいていらっしゃらないなんてこと、ないですよね?」

「み、ミス?」

 銭鼬がうろたえる中、戒十は銭鼬を見ないで、前だけを見ながら解説を始める。

「雅を見つけたあの時に、銭鼬さん、“お前等”って言いましたよね」

「そうですけど……?」

「ドラム缶に僕等が隠れてた時、飛び出したのは雅だけだった。なのにあなたは、見つけた一人を複数系で呼んだ。雅の気が動転していなかったら、とっくにバレて全て台無しだったかもしれないんですよねえ。あ、他にもあります、例えば」

「わ、わかったけぇ! もう、今回の件は残りの十五で手を打つんよ。ほんま、戒十さんは人の失敗ばっかり見るんじゃけぇ、お人が悪すぎで。トホホ」

 そして、さらにその道を進んでいくと、洞窟の洞穴のような大きな穴が開いていた。その先は、また別世界のような色をしている。

「ところで、妖怪になりたいと申されますが、簡単でないこたぁご存知なぁず。それもあんたぁ弱小妖怪も拒んでおって。するとかなり高くつくんじゃが、払える宛ては本当にあるんじゃろうね?」

「ありますよ。だからこれから銭鼬さんと一緒にお願いしようと言うのではありませんか」

「お願いって? ただでさえ御代が高いんじゃよ? あんたのご依頼は」

 呆れた様に言った銭鼬に対して、今度は向き合いながら、戒十はその疑問や不安に答えた。

「僕を、怪社に雇ってください」

「……えっ?」

「その分の報酬、働いて返させていただきますから」

「エーッ!」

 そして二人は、巨大な穴の中に消えていった。



 翌日のニュースを見た都中家の一人娘は、箸を落とした。

 テレビで、連続誘拐事件の新しい被害者が二人も出たと報じられ、表示された被害者の名前に彼女は驚愕し、血の気が引いていた。

「そん、な」

 テレビに、見慣れた顔が二つ映った。彼女のクラスメイト、要戒十と平菅雅隆の写真だ。そんなの嘘だと、彼女は独り言のように、でもはっきりとつぶやいた。

 だが、それと同時にかかってきた連絡網で、母から二人が被害者となってしまったということを聞いて、それが甘い考えだと知った。絶句した彼女は放心して膝を突く。

「平菅くん……戒十くん……」

 魂の抜けた人形のようになってしまった彼女の後ろでも、テレビは淡々と映像を切り替えていった。すると、被害者家族の記者会見の映像が流れ始めた。

『犯人に慈悲の欠片でもあるのなら。今すぐにでも子ども達を返して欲しい。殺してしまったのなら、その償いをして欲しい。それが被害者達の総意です』

 そう語る平菅雅隆の父親の後ろで、母親はおいおいと泣き崩れていた。そんな中で、記者の一人が「要さんの親御さんと、お宅の長男はどうしていますか」という質問が出た。

 雅隆の父は、あくまで冷静に答えていく。

『要さんは、唯一無二の家族を失い、ショックで倒れてしまいました。今は安静にしていますが、ここに出られる状態ではありません。うちの長男は、昨日突然暴れだして自殺未遂を起こし、病院に入院中です。どうか報道の方は二人の心を察して、ソッとしておいてくださることを願います』

 願いを伝えて、深く一礼する雅隆の父に対して、たくさんのフラッシュがたかれる。それが収まって、不意に静かなすすり泣きが聞こえてきたかと思うと、雅隆の父は「畜生」と怒鳴りながら、机を叩いた。

『馬鹿者が。あれを“最後に交わした会話”にするなって、朝言っただろうに』

 机に泣き崩れた雅隆の父に対して、無情なフラッシュが彼を幾度もなく照らした。

 しかしこの時、会見を開いた両親も、その場に集まった報道陣も、それを見ていたテレビの視聴者も、そして、この事件を必死に追っている警察すらも、全く気づいていなかった。

 もう既にこの誘拐事件は、終わりを告げていたのである。

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