17. 久しぶりの蔵と、メガネ講義
蔵に来るときはいつもリリカといっしょだったけど、今日は一人できた。
だって、ユキ兄を怒らせたのは、アタシだから。これはアタシとユキ兄の問題なんだ。
蔵に入ると、ひんやりした空気がアタシの頬に触れる。この感覚って久しぶりだ。そのまま階段へ向かい、2階へ上がる。本棚に挟まれた通路の先には、机があって、その上の窓から光が入っている。
あの時みたいだな、って思う。初めてメガネと出会った日。そしてユキ兄と再会した日。いま、蔵の中に一人でいるのもあの時と同じだ。思い出せば、あの日からずっと、蔵の中でアタシとユキ兄はいっしょだった。そこにリリカが加わって、ほんとにうれしかった。アタシは、未来メガネとの出会いを運命みたいに思う。でも本当はメガネよりも、ここでユキ兄とリリカと楽しく過ごせることが大切だったんだ。そしてだからこそ、その大切な時間を作ってくれた未来メガネのことも大切に思う。
アタシは、あの時未来メガネが置いてあった机の前まで来てつぶやいた。
「ごめんね、未来メガネ。いらないなんて言って」
ユキ兄は来てないみたいだけど、来るまで待とう。もし来なかったらどうしよう。その時はまた明日もまってればいいさ。
それからどれくらいたっただろうか。時間を見てないからよく分からないけど、一時間以上たったような気もするし、5分ぐらいだったかもしれない。まあとにかくその時が訪れた。
トントントンと階段を上る足音。聞きなれた足音。アタシはメガネ越しではなく、自分の目で、そいつをしっかりと見た。
「久しぶり、ユキ兄」
アタシの方から声をかけた。ユキ兄は一瞬驚いた顔を見せた。
「なんだ、来てたのかさゆ吉」
「はい、さゆ吉きてました~」
そう言っておどけて見せると、ユキ兄は笑顔を見せてくれた。
「なんだよ、さゆ吉って呼ばれるの嫌じゃなかったのか?」
「さすがにもう慣れたし。そんな呼び方するのユキ兄だけだし」
ケンカしてから会ってなかったのに、会えば普通に軽口を言い合えるのがすごく不思議で、でも安心できた。これだけで来てよかったって思う。けど、忘れちゃいけない、言わなきゃいけないことがある。アタシは少し間をおいて、言った。
「ごめんなさい、ユキ兄。未来メガネのこと、いらないなんて言って」
「めずらしく改まった顔してるから何かと思ったよ。そのことならいいよ、気にすんな」
「そんなわけにいかないよ、ユキ兄を怒らせちゃったのに」
「ストップストップ、さゆ吉に謝られたら、オレも謝んなきゃだろ」
「え、何を?」
「ごめん、もっとさゆ吉の気持ちを考えるべきだった。オレの方が年上なのにな、大人げないよな」
アタシは少しびっくりした。謝りに来たのに逆に謝られるなんて思ってなかったから。ユキ兄は自分のことを大人げないというけど、その言葉を聞いてアタシはむしろ、やっぱ大人なんだな~って思った。
「じゃあ、仲直りってことで」
そう言って差し出されたのは、ユキ兄の右手。
「なに?」
「握手だよ、大人っぽいだろ?」
「じゃ、じゃあ」
アタシはそっとユキ兄の手を握ろうとする。軽く触れたところで、ユキ兄がしっかりと握り返してきた。手、でか! 力、つよ!
「いたい、痛いってば」
「あはは、よし、これでオッケーだな。さて、今日はなにしにきたんだ? ただ宿題やりに来たわけじゃないだろ?」
「うん。未来が見えちゃったんだけど、あ、見ようと思って見たんじゃないんだ、ちょっと、事故みたいな感じで」
「うん」
ユキ兄はただうなづいて、アタシの言葉を待ってる。アタシは一回深呼吸してから、話した。
「実は、実はね、水明桜がね……折れちゃうんだ」
ユキ兄の顔を見ると、さすがに目を丸くして驚いてる。こんな顔見たの初めてかも。
「……マジかよ。そりゃまた、すごいのを見ちゃったな」
「だよね。一体どうすればいいのかな」
「ちょっと待って。確認しておくけど、さゆ吉は、その未来を変えたいの?」
「うん!」
「たぶん、すごく大変だぜ、クラムチャウダーよりもずっと」
「でも、水明桜が折れちゃうなんていやだよ!」
「その気持ちは分かる。けど、精一杯やってもダメかもしれない。それでもやるか?」
「だって……見ちゃったんだもん、なのに知らんぷりするなんてできないよ。……それでもダメなら、しょうがないけど」
「よっし、じゃあ考えよう。だけど対策を練るにしても、情報が少なすぎるな」
「どうすればいい?」
「う~んそうだな。二つ、知りたいことがある。一つは、なぜ水明桜が折れるのか。もう一つは、いつ水明桜が折れるのか。それが分かれば、少しは対策が考えられるかもしれない」
「うう、どっちも難しそう……」
「あのさ、話は変わるんだけど、と言いながらたぶん関係あるんだけど、こないだ、試したいことがあるっていっただろ、それやってみてもいいか」
「なになに?」
「まずここに、月水堂のまんじゅうがあります」
「でた~」
「よし、じゃあこれ持って。ああ、メガネかけといてな。んで、ここに、こう。そのまま持っててくれ」
ユキ兄は、おまんじゅうをアタシの左手に持たせる。そしてその手をアタシの顔の前。左目の下あたりで止めた。
アタシの視界半分ぐらいが大きなおまんじゅうになってる。そしてユキ兄は自分の人差し指を立てて、今度はアタシの右目の前へ。
「今、まんじゅうはカビてるか?」
「カビてないよ、こんだけ近いからね」
「オッケー。じゃあまんじゅうはそのままで、オレの指を見てくれ。そのまま目を離すなよ~」
そう言いながらユキ兄はゆっくりと後ずさりしていく。指はどんどん離れていく。
「この辺でいいか。指みてるよな?」
「うん」
「じゃあ指見たまま、まんじゅうのカビ生えてるか分かるか」
「えっ?」
アタシはおまんじゅうに目を向けるけど、皮は白いまま。
「ああ、違う違う。目線は俺の指のままで、視界の端っこのまんじゅうの色を見るんだよ」
「えっ、ええ?」
なんかすごく難しいことを言われてる気がする。けど確かに、ユキ兄の指を見てるときは、おまんじゅうにカビの色が見えるような。
「カビ、生えてるっぽい」
「マジか。成功じゃん。オッケー、とりあえずやめていいよ」
言われてアタシはおまんじゅうを下ろす。
「ねえ、今のってなに?」
「未来メガネは遠くのものほど遠い未来が見えるよな。じゃあ近くのものの遠い未来を見たかったらどうするか。遠くのものを見るようにして近くのものをみればいいってことさ」
「え、え、意味わかんない」
「いま、離れたオレの指を見たまま、近くのまんじゅうを見たよな。でも近くにあるのに遠くにある時みたいにカビが生えて見えた」
「うーん、なんとなくわかるけど」
「あ、じゃあさ、こうしてみよう」
ユキ兄はアタシの手からおまんじゅうを取ると、半分に割った。そしてその片方をアタシに持たせる。
「よし、さっきみたいに顔の前で持ってみて、あ、皮が見えるようにしてな。んでこっちは、こう」
アタシは左手で顔の前におまんじゅうを持ってくる。ユキ兄はアタシが持つおまんじゅうの右側にもう片方を持ってる。
「じゃあ、オレの持ってる方を見てて。そんでできれば、さゆ吉が持ってる方がカビるかどうかも気にしてて。オレの方見たままね」
そう言ってさっきと同じく後ずさりし始める。ユキ兄の持つおまんじゅうはカビが増えていく。同時にアタシの顔の前のおまんじゅうも、確かに色が変わっていくのが分かった。すごい!
「ほんとだ。ユキ兄のと同じように、こっちもカビていくね」
「お~、いいね」
「で、これができると何かいいことあるの?」
「近くのもののちょっと遠い未来が見れるってことだよ。今までは、遠い未来のものは遠くからしか見れなかったから、細かいところまで分からなかっただろ? でも近くに置いたまま遠い未来の姿が見れたら、便利じゃないか? たとえば、水明桜とか」
「あ~、そうか。今はだいぶ遠くからしか見れないけど、近くから見れたらいろいろわかるかもね」
「だろ? でもたぶん、これ一人でやるには練習が必要だと思うから。がんばれ。」
「がんばれ、ってどうやって……?」
「この本によると、自分の人差し指を右目の前において、その指先を見ながら腕を伸ばしていく。腕が伸びきったら、指を伸ばすイメージをする。その想像上の指先を見る感じで遠くにピントを合わせるらしい」
「むずかしそう」
「まあ、やるだけやってみよう。あ、あとこれつけてみて。」
そう言って渡されたのは、腕時計だった。デジタル表示で日付も入ってる。けどだいぶ古くておもちゃみたいだ。
「うわ、ダサ」
「お前な、オレが小さいときにもらったやつだぞこれは」
「あ、そうなのごめん。でもやっぱ、ダサい……」
「いいんだよダサくても、動いてるんだから。オレは物持ちがいいんだ。とにかくつけてみて、左手にな」
「こう?」
「うん、そんでその時計が見えるように顔の前に持ってきて。そんで右手の人差し指を立てて右目の前に」
「これでいい?」
「よし、そして指先を見たまま、ゆっくりと腕を前に伸ばしていく。できれば時計の日付もみといて」
アタシは言われた通りに腕を伸ばす。
「あ、あ、時計動いてるね」
腕を伸ばしていくと同時にデジタルの表示の時刻が目まぐるしく変化していた。そして腕が伸びきる。
「ここから難しそうだな。指を伸ばすイメージでピントを遠くに合わせる」
「ん、ん~!」
アタシは目に力を入れる。なんとなくこうかなって感じで。確かに時計の表示は少しづつ進んでるような。
「あ、日付変わった」
「おお、すごいな、できてるんだな」
「ねえ、もういい?」
「よし、オッケー!」
その声と同時にアタシは目を閉じた。
「あ~、なんかつかれたー」
「大丈夫か? 目が痛かったりする?」
「いや、大丈夫だけど、妙に体に力が入っちゃって」
「そっか、やりすぎるとまずいのかもなあ。なんか変だと思ったらすぐ教えてくれよ?」
「うん、大丈夫だと思うけどね」
「できたら、この方法で水明桜を観察してほしい。大体の日付が分かると助かるし、どんな感じに折れてるか分かれば、原因も推測できるかもしれない」
「なるほどね」
「でも、マジで無理するなよ。」
「うん、ありがと」
「あとはなあ、さゆ吉が見てる景色を、なんとかオレも見れたらいいんだけどな」
「どうやって?」
「写真……は無理だし、絵とか」
「うええ、アタシ絵は無理。へったくそだよ」
「いや、自分で書けなくても、誰かに話して描いてもらうとかさ」
「あ、それなら! リリカは絵すっごい上手なんだよ」
「ほんとかよ、なんという偶然」
「うん、頼んでみるよ」
こうやって、アタシはユキ兄と仲直りできた。思ってたよりもあっさりできて、なんだか不思議だった。でも、本当に仲直りできてよかった。いつもと変わらない、でも久しぶりの講義を聞きながら、アタシはそう思っていたんだ。
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