3章 新学期と最初の事件

7. 五年生、始まりの通学路のこと

 そして4月も何日か過ぎて、新学期がやってきた。初日は始業式と入学式だけですぐ帰ってきたけど、今日からは授業が始まる。


「いってきまーす」

「はい、いってらっしゃい」

「気を付けてね~」


 パパとママの声を背中で聞いてアタシは玄関へ向かう。


「あの子、頭にメガネつけてなかった?」

「そうだったかい? まあおもちゃか何かじゃないの」


 そんな会話が聞こえてきたから、ちょっと後ろめたい気持ちになったけど、黙って外に出る。ごめんねパパママ、説明するとややこしいんだ。


 風があったかいなってほっぺたで感じながら歩く久しぶりの通学路。交差点を曲がるとタンポポの花が咲いてる。これって先週、メガネで見たタンポポだ。あの時見た未来の花は、今こうやって間違いなく咲いていた。

 未来メガネが見せてくれた景色は、こうやってどんどんアタシに近づいてくるんだなあって思う。


「おはようさゆちゃん」

「おっはよー! リリカ!」


 アタシとリリカの通学路は途中から一緒だから、こうやって合流して登校できる。


「さゆちゃん、今日もメガネつけてるね」

「もっちろんだよ。せっかく手に入れたメガネ、たくさん楽しまなきゃ損でしょ」


 アタシたちはそんな会話をしながら歩いていく。ちなみにアタシとリリカは5年生でも同じクラスになれたんだ。

 通学路の最後の曲がり角を曲がると、そこから校門まではまっすぐな一本道。まだけっこう遠いけどここからでも校舎が見える。

 そして校門の向こうに立つ水明桜の姿もバッチリ見通せる。今はまさに満開の時期だ。春休みにメガネでみた姿そのままの、ううん、もっともっときれいなんじゃないかって思うぐらいたくさんの花が咲いてる。


「今日も咲いてるね~、水明桜」

「うん、毎日みても飽きないよね」

「わかる! ほんとウチの小学校の一番の自慢だわ」

「さゆちゃん、あの時の約束守れたね」


 春休み、まだつぼみの水明桜の下で、桜の花を二人で見ようねっていう約束のことだ。


「だね! 未来メガネで見る景色もすごいけど、どうしても独り占めになっちゃうのが寂しいとこだよね。でもリリカもユキ兄もわかってくれてるから、それもうれしいよ」

「そっか、ならよかった」


 そう言ってリリカが微笑む。ああもうほんとありがとうね、リリカ。


「お、美沢に島田じゃん」


 後ろから聞こえてきた小憎らしいその声は……


「空野陽太!」


 そう、未来メガネを手に入れたあの日、ベランダから遠くの山並みを眺めてたところを見られた、空野陽太だ。


「おはよう、空野くん」

「おう、おはー。あ、美沢、メガネつけてるじゃん。でもなんで頭に乗せてんだ?」

「あんたに関係ないでしょ。これは伊達メガネなの、オシャレなのっ」

「へえ、そうなんだ。よくわかんねーな。あ、でもこないだはちゃんと顔につけてたじゃん。なあ、あれやらねぇの?」


 そう言って空野は顔の横でメガネをつまむふりをして、上下にヒョコヒョコ動かした。やっぱあの時、そこまで見られてたんだ!


「う、うるっさい! やらないよ!」


 そう言うアタシの顔は恥ずかしさで真っ赤になってたと思う。


「あれ、面白かったな~」

「あーもう、あっちいけ!」


 アタシはシッシッって手を振って、空野を追い払った。


「おーこわ」


 空野はそう言い残して、学校の方へ走っていった。


「さゆちゃん、空野くんは何の話してたの」

「う、やっぱ気になるよね」

「話したくないなら、だいじょぶだよ」

「いや別に大したことじゃないんだけどさ……」


 アタシは、メガネをヒョコヒョコさせてたのを空野に見られたときのことを話した。


「ふっ、フフフっ、それは確かに、おもしろいかもね、フフっ」


 リリカは明らかに笑いをこらえながらそういう。


「あ~、リリカにまで笑われた~。新学期早々、運が悪いよ~」

「ごめん、ごめんねさゆちゃん。でもさっきの空野くんの顔がおもしろくて、思い出しちゃって。フフっ」


 リリカは一度笑いがツボに入っちゃうと、かなり長引くところがある。でも、必死で我慢してくれてるのが伝わってくるから、別に気にしてないよ、リリカ。

 アタシたちは気を取り直して学校へと歩き出す。空野はといえば、サッカークラブの仲間と合流して、なんか楽しそうに話してる。


「男の子たちのああいう、仲良さそうな感じって、私好きだな」


 空野たちの様子を見てリリカがそんなことを言う。


「ええ~、そう? あんなのガサツなだけだよ、特に空野なんてデリカシーのかけらもありゃしない」

「そっか、さゆちゃんはそうなんだね。でも私は時々、あんなふうに話してみたいな~って思うときもあるよ」

「そんなこと考えてたんだ! けっこう驚きかも。じゃあ、ちょっと試してみる?」

「え、今?」

「うん、じゃあアタシからいくよ。おっすリリカ、元気してたか?」

「え、え~? えっとえっと……コホン」


 いきなり言われて戸惑ってるリリカ。ひとつ咳払いを入れて、なぜか眉間にしわをよせてる。そして頑張って低い声を出して、出てきたセリフは――


「おう、さゆちゃんじゃねえか、おっす」

「あっははははははは!」

「ひどい! 笑わないでよさゆちゃん!」

「ごめん、あんまりにも似合わなすぎてつい。……クククク」

「まだ笑ってる!」

「だって、こんなにかわいいリリカが険しい顔で『おっす』だって」

「あ~あ、もうこんなこと絶対しないっ」

「ごめんねリリカ、でもアタシはリリカならどんな風に話しかけられても許しちゃうってことがわかった。だってかわいすぎたんだもん」

「もう、まじめにやってるのに!」

「ごめんてば~、もうあの校門入ったら言わないから」

「わかった、許してあげる」

「よかった~。でもさ『さゆちゃんじゃねえか』はさすがに面白すぎククククっ」

「もう、さゆちゃんのバカ!」


 リリカはそう叫んで走り出してしまった。しまった、やりすぎちゃった!


「あっ、ごめん、ごめんてば~」


 アタシは必死で追いかける。かけっこはアタシの方が得意だから、その差は縮まっていくんだけど、追いついたのは、校門を越えてからだった。


「はい、校門超えたから、もうこの話はなし、ね?」


 リリカがハアハアと息を切らせながらそういうから、アタシは思わず笑ってしまった。


「ははっ、おっけーだよ、リリカ。」

「ふふっ、こっちこそ笑ってごめんねさゆちゃん」


 というわけで、アタシたちは仲直りして教室へと向かったのだった。だけど、今はこう言ったけど、さっきの「さゆちゃんじゃねえか」は正直言ってほんとにおもしろすぎたし、それにかわいすぎたから、なかなか忘れることができないと思う。たぶん夜寝るときふとんの中で思い出しちゃうよぜったい。

 ていうか、今もだいぶ顔がにやけてると思う。アタシはリリカに気づかれないうちにほっぺたを軽くたたいて表情を引き締めた。

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