2. 未来を見ること、変えること

「み……がん、かがみ?」

「ああ、そうか。これは、『みらいめがね』って読むんだ」

「ええっ、未来の『来』ってこんな形じゃないよ」

「昔の人はこう書いてたらしいぜ。でもそんなことはどうでもいいんだ。だって未来メガネだぜ、どういうことか分かる?」

「もしかして……未来が見えるの……?」

「ビンゴ! この本にはそう書いてある」

「そんなことって」

「信じられないよな、オレもそうだった。この蔵の中で、じいちゃんの集めた本の山からこれを見つけた時にはね。ていうか、ついさっきまでだ」

「ユキ兄はかけてみなかったの?」

「かけたさ、でもオレは目が悪いからな」


 ユキ兄は自分のメガネをつまみながらそういう。


「この、未来メガネは度が入ってないだろ。オレが未来メガネをかけるとなんにも見えないんだ。もしかしたら未来が見えてたのかもしれないけど、ボヤケちゃって全然わからない。どうせ本物じゃないんだろうと思ってたから、誰にも見せてなかったんだけど、そこに現れたのが……」

「アタシだった、ってわけだ」


 アタシはユキ兄の言葉を引き継いだ。


「そういうこと」

「そっか、じゃあこれアタシにちょうだい!」

「いきなりだな」


 ユキ兄は少し驚いた顔。


「だってアタシ、これすっごく気に入っちゃったんだもん。ううん、気に入ったってレベルじゃない、これは運命だよユキ兄。アタシと未来メガネはここで出会う運命だったの。そう決めた!」


 アタシはさっき初めて未来メガネに触れた時の感触を思い出してた。指に吸い付くような、でもイヤな感じじゃない。お風呂に入って、お湯の中で自分の肌をなでているみたいな……


「おおげさな奴だな」

「ね、いいでしょ、ちょうだいちょうだい!」

「まあまあ、待て、いったん落ち着け」


 ユキ兄はあたしの肩に手を置いて、なだめた。


「まずは、これが本物かどうか、もっとよく確かめてからだ」

 

そう言ってユキ兄は「フッフッフ……」って笑ってる。ちょっと気持ち悪いぞ。


「確かめるってどうやって」

「オッケー説明しよう、これ返すぞ、壊すなよ。」


 そういうユキ兄から、アタシは未来メガネを受け取った。やっぱり、なんか手になじむ気がする。温かみがあるっていうか。それにレトロな形がかわいいなあ。これ、ほしいなあ。ほしーなあー。


「あ、まだかけるなよ」


 メガネの感触を楽しんでるアタシを邪魔するユキ兄のひとこと。ユキ兄は自分のカバンを開けてゴソゴソとなにか探してる。


「よし、これでいこう」


 そう言って取り出したのは……


「おまんじゅう?」

「そう、向かいの月水堂のつぶあんまんじゅう。うまいよな」

「いや、たしかにおいしいけどさ、どうやって確かめるの?」

「まずは、この包装を外します」

 

ペリペリと外側のフィルムを剥がしていくユキ兄。


「で、どうだ?」

「どうって……手のひらにまんじゅうが乗ってるだけでしょ」

「確かに。じゃあ、いよいよそのメガネをかける時だ、ほらほらかけてかけて」


 そう言われてアタシはメガネをかける。ツルが耳にそっと乗り、鼻あてもスッとなじむ。


「今度は、どう見える」


 アタシは、ユキ兄の手に乗っている、おまんじゅうを、しっかりと、見た。


「うわっ!」


 思わず声が出ちゃった。


「なんだよ驚かすなよな」

「だって、だって。うわー、なにこれ気持ちわる~」


 アタシが見たのは、ユキ兄の手に乗ってるおまんじゅう。そしてその白い皮のおまんじゅうを、未来メガネのレンズ越しに見たら、緑色のカビがびっしりと生えてたんだもん。


「それ、カビてるよ! いつのやつ?」

「さっき買ってきたんだぜ、宿題しながら食べようと思って。」

「え~だって、うわ~、なんかフサフサになってるし、うわ~」


 こんなにまじまじとカビの生えたまんじゅうを見たのなんて、人生で初めてだよ。


「じゃあ、メガネ取ってみて」

「うん」


 メガネを外して見ると、ユキ兄の手の上のまんじゅうは、きれいな白い皮に戻っていた。


「成功だな」

「まんじゅうの未来が見えたってこと?」

「そう考えるしか無いだろ。まさかウソついてないよな」

「ついてないよ!」


 アタシは首を横に何度も振った。あんなリアルなカビを見たリアクションなんて、なにも見ないでできるわけない。うわ~、おまんじゅう見るたびに思い出しちゃいそうだよ~。


「なら、この未来メガネは本物だってことだ! いや、すごいよこんなものがじいちゃんのコレクションに入ってたなんて」


 ユキ兄はうれしそうな顔で、メガネを持ったアタシの手を取ってブンブンと振る。メガネが飛んでいかないかって心配になっちゃったからだと思うけど、アタシの心臓はすごく早くドキドキと動いていた。


「よし、じゃあそのメガネ、さゆ吉にあげるよ」

「え、いいの?」

「ああ、オレが持っててもしょうがないしな。っていうかもともとオレのじゃねえけど」

「やったー、アタシのメガネだ!」

「でも分かってると思うけど、それただのメガネじゃないからな。未来が見えるってどういうことか、まだナゾだし、あんまり長い時間かけない方がいいかもしれないぞ」

「え~、そうなの?」

「あと、そのメガネの見え方がどんな感じか知りたいからさ、これからもここに集まって聞かせてくれよ。そうだなあ、高校始まったらどんだけ来れるか分からないけど、とりあえず金曜の放課後ってことでどうだ?」

「別にいいけど。メガネもらうためならしかたないかな」


 口ではそんな風に言ってみたけど、確かにこのメガネのことを話せるのはユキ兄しかいないし、誰かに相談できるのは心強いかもしれないなって、アタシは思った。おばあちゃんちは校区のちょっと外にあるけど、アタシでも自転車で来れる場所だ。


「ところでさあ、ユキ兄はなにしにこの蔵にきたの?」

「ん? だってオレはいつもこの蔵に通ってたしな。今日もいつも通り、問題集でもやるかなーって」


 ユキ兄の話では中学生の間この蔵によく通って、勉強場所として使ってたらしい。

 ちなみに、ユキ兄の成績はすごくいい。アタシのママから「紗雪も雪弥くんぐらいの点数取ってくれないかしらね」ってよく言われるしそのことはよく知ってる。4月から通う高校も進学校のひとつで、ほんとはもっと上も目指せたらしいんだけど、家から近い方がいい、って理由でそっちへは行かなかったんだって。ちょっとイヤミだよね。


「おーい、沙雪~、いるのか~?」

「あれ? パパの声?」


 蔵の1階から急にアタシを呼ぶ声が聞こえた。これはパパの声だ。そうだった、アタシがこの蔵に入ったのは、物を探してくるように頼まれたからだったのだ。すっかり忘れてた!


「沙雪~、もう脚立はいいから出ておいで、そろそろ帰るぞ」

「あー、うん。パパごめーん今行くー!」

「ああ、表に止まってた車はさゆ吉のお父さんのか」

「ねえユキ兄、ちょっとお願いがあるんだけど。」

「ん、なんだよ」

「アタシ、パパに頼まれごとしてたのすっかり忘れててさ。だからお願い! 一緒に謝ってくれない?」


 アタシは顔の前で両手をパンと合わせて、ユキ兄にお願いした。


「え~、どうしよっかなあ~」


 そういってニタニタと笑うユキ兄。そうだった、小さい頃もいつもアタシにいじわるだったんだ、この男は!


「なんで、いいじゃんいじわる!」

「ははっ、ウソウソ。わかったよ、なんか驚かせちまったみたいだしな」

「ほんと? あーよかったー」

「さてじゃあ行くか。あっと、その前に、メガネの秘密をもう一つ、解き明かしてからな」

「え?どういうこと?」


 ユキ兄はおもむろに、さっき使ったおまんじゅうを手に取って、二つに割った。そしてその片方を、パクリと口に放り込む。


「えっ、このタイミングで食べる? ふつう」

「ふぁふぁふぁへたんひゃねーひょ」

「あはは、何言ってるか全然わかんない。食べながらしゃべらないでよ」

「んっ、んぐっ、ふう。ただ食べたんじゃねえよ。言ったろ、秘密を解き明かす、って」

「どゆこと?」

「さっきさゆ吉が見たこのまんじゅうの未来は、緑色のカビに覆われてる、そうだよな?」


 アタシはこくんとうなづいた。


「けど、そのまんじゅうの半分は、オレが食べちまってもう胃袋についた頃かな」


 そう言いながらユキ兄は自分ののどを指さして、その指をお腹まで動かした。なんか想像しちゃうからそういうのやめてよね。


「だからまんじゅうにカビが生えることはもうない、つまり、つまりは」

「つまりは?」


 もったいぶるユキ兄。


「つまりは、未来は変えられるってことだ!」


 ものすごいドヤ顔でキメるユキ兄だったけど、なんかアタシはピンと来なくて、たぶん口をポカーンと開けてたと思う。


「なんだよ反応わるいな」

「え、いや、だっておまんじゅう食べただけでしょ、それで『未来を変えられるんだ!』とか言われてもびっくりしたし。っていうか、ほんとにそうなの?」

「ええ? 実際そうだろ。未来メガネで見た光景が実現しないんだから」

「う~ん、まあ、そうだけど」

「確かにこのまんじゅうをずっと置いておけばカビが生えると思う。それはほぼ間違いない。その光景をさゆ吉はみたんだ。けどカビが生えるはずだったまんじゅうはもう半分なくなっちゃったんだから、未来は変わったんだよ」


 それでも納得いかない顔をしてると、ユキ兄はおまんじゅうの残りをアタシに押し付けた。


「あと半分は任せたぜ。協力して未来を変えよう! じゃ、もういくぞー」


 そう言ってドタドタと歩き出すユキ兄。


「あ、ちょ、待ってよ!」


 アタシも慌てて追いかけたのだった。

 階段を降りていくと蔵の入口でパパとユキ兄がしゃべってた。


「雪弥くん、見ないうちになんかたくましくなっちゃって。だいぶ大人びたねえ」

「ありがとうございます。ほんとはもうちょっと身長欲しいんすよね」

「はっはっは、大丈夫さ成長期なんだもの。僕なんかすぐ追い抜かれちゃいそうだ」


 ユキ兄、アタシの前と態度が違うぞ。真面目ぶっちゃってさ。


「おお、沙雪おいで」


 パパはアタシを見つけて手招きする。


「聞いたぞ、雪弥君に遊んでもらってたんだって? 蔵に行ったっきり帰ってこないから心配したぞ。でも雪弥君なら安心だな」


 遊んでもらってた、だって。なんかアタシのイメージと違うんですけど。一緒にいたけどべつに遊んで“もらってた”わけじゃない。

 けれどユキ兄はアタシを助けたつもりかこちらに顔を向けてウインクとかする。似合わないよ、けどまあ助かったのは確かにそう。


「ごめんね、パパ。なかなか見つからなくて探してて、そしたらユキ兄が来てさ」

「そうそう、俺も久しぶりに会って話してたら長くなっちゃって」


 ほーんと、言い訳もうまいんだねえユキ兄。頭のいい人は違いますね。


「あっはっは、まあ雪弥くんなら安心だよ。沙雪もよかっただろ退屈しないで」


 パパにそう聞かれたけど、なんとなく「うん」という気になれなかった。退屈しなかったのは間違いないけど、すごく驚かされたし、イヤミもいっぱい言われたし、完全にユキ兄のペースだったし。


「んー、どうかな~」


 あたしはそう答えて地面の土を足でいじってた。


「おや、恥ずかしがってるのかな」

「ちがうし!」


 パパのことは好きだけど、こうやってからかってくる時は、ほんとめんどくさいんだよね。


「あなた、沙雪は見つかった?」


 そう言いながらおばあちゃんちの玄関から出てきたのはアタシのママ。ユキ兄のお母さんとも友達で、よくお茶して帰ってきては、ユキ兄の話題を出す。そう、「雪弥君ぐらいの点数取ってくれないかしらね」というやつだ。


「おばさん、お久しぶりです」


 ユキ兄はすかさずママに挨拶する。この外面のよさはアタシも見習った方がいいかもね。


「あら、雪弥君? 大きくなっちゃって!」


 パパと同じリアクションで思わず笑っちゃった。

 その後、久々に会ったパパママとユキ兄でひとしきり会話が弾んだ。


「さて、じゃあそろそろ帰ろうか、用事も済んだし」

「じゃあ、俺も帰ります。」


 そう言ってマウンテンバイクを起こすユキ兄。これでそこらじゅう、走り回ってるのかな。


「おう、またなあ」

「気を付けてね」


 見送るパパとママ。アタシはなんとなく気恥ずかしくて、バイバイと手だけ振ってみた。

 それを見てペダルを踏むユキ兄。


「じゃ、さゆ吉、あの件頼んだぜ」


 そんな一言を残し、さっそうと去っていった。

 アタシは家に帰る車の中、その後ろの座席で、一言もしゃべらずにさっきまでのことを思い出していた。

 なんだか信じられなくて、体がフワフワと浮いているような感じだ。

 机の上、陽の光を浴びる不思議なメガネ。

 さわった時、つけた時の、なめらかさ、やわらかさ。

 突然現れたユキ兄。

 未来メガネの実験。

 半分になったおまんじゅう。

 そこまで思い出したところで、アタシはパーカーのポケットに両手を突っ込んだ。

 出てきたのは、右手に未来メガネ、左手におまんじゅうの半分。


「ウソじゃ、ないんだよね」


 そうつぶやいて、アタシは確かめるようにおまんじゅうを口に運んだ。


「おいし……」


 外側はもう乾き始めてたけど、中のつぶあんは、とても甘くて、しっとりしていて、おいしくて、すぐに全部食べちゃった。

 こうやってアタシは、未来を変えたのだった。

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