第4章 彼は真実を隠した

「切れ端を買ってくれた人にはね、特典がついてきたの」

 健太との握手、さらにサイン帳を持ってきた子には直筆メッセージ。

「なるほどね」

 手が腫れるほどなんて、いったい何人と握手したのだろう。

「お母さん」

「なに?」

「お兄ちゃん、ちゃんと伝説残してたね」

 意外とやるじゃん、と美春が感心したように言った。恵子が苦笑していると、

「でも、ほんと言うとちょっとやだな」

「何が?」

「これから卒業するまで、お兄ちゃんと比べられそうだもん。あと」

 “妹だからって調子に乗ってる”とか言われないようにしなきゃ、と美春がまた気を揉み始めた。

 父親に倣って日頃は強引なくらい前向きな発言をする子なのに、意外と心配性なところがあるらしい。兄は兄で、細やかなようでいざという時には肝の座った行動を取る。兄妹の性質の違いを恵子は面白く思った。


* * *


 母娘でお茶を飲んでいたら、健太が帰ってきた。今朝も思ったことだが、1か月ほど前までの詰襟姿と高校の制服を着た息子とでは、随分印象が変わって見える。

 美春も健太も立派に成長してる。そう思ったら、胸の奥が熱くなった。

「お兄ちゃん、今日いろんな人に健太さん元気? って聞かれたよ」

 寄付金についても聞いたと美春が冷やかすと、健太は困惑した表情を見せた。

「お金、随分集まったらしいじゃない?」

 恵子も乗ってみた。

「みんなが制服やボタンをほしがるなんて、すごいわ」

「すごくなんかねえって」

 健太は決まりが悪そうに言った。

「制服取られて風邪引いたなんて、バカみてーじゃん」

「そんなことないよ。立派な伝説だって。お父さんにも教えようよ。すっごい喜ぶよ」

 妹の言葉に、

「だめ。親父には言うなよ」

 健太はそう言うと、二階へ上がってしまった。

「なんでよ~」

 美春は不満そうだ。 

「悔しくないのかな。卒業式の夜、お父さんから散々言われてたのに」

 恵子はふと思いついて言った。

「孝志は、わざとあんな風に言ったんじゃないかしら」

 健太の異変から、学校で何かあったと気づいた孝志は、息子を煽って語らせようとした。だが、健太は乗らなかった。

「お父さん、結局“がっかり”だね」

「ううん」

 きっと大満足だったはずだ。

「言ってたでしょ。自分の伝説自分で語るほどかっこ悪いことない、って」

 孝志の言葉は美春への回答だったが、最後の“なあ?”はきっと健太にあてたものだ。恵子が娘に自分の考えを話すと、

「そうかなあ」

 ほんとは伝説聞きたかったと思うよ、と美春は笑っていたが、

「あ、思い出した!」

 健太にもう一つ聞くことがあったのだと言う。

「第2ボタンの謎!」

 今日、先輩達が美春を訪ねて来たのも、ボタンの行方を美春から聞き出すのが主目的だったようだ。

 一番高額が設定されるはずのそのボタンは、争奪騒ぎが起きる前――女子生徒数名の証言によると卒業式終了直後――には、健太の制服からなくなっていた。

「誰がもらったのか、分かんないままなんだって」

 この件については健太が“だんまり”を貫いたので、その場は皆諦めたが、進級して2年、3年になった彼らは、新学期早々 “健太先輩の隠し彼女”をめぐる推理合戦を繰り広げているらしい。

「ほんと、うちの中学はのんびりしてるよ」

 うちの、という美春の言い方にほっとしつつ、恵子がボタンの謎について思いを巡らせていると、

「彼女なんていないと思うけどな」

 美春がつぶやくように言った。

 健太がボタンの行方を黙して語らなかったということは――美春や健太の後輩たちには申し訳ないけど――ここで私が話すわけにはいかないわね。

 卒業式の数日前、健太と話していて何かの拍子に第2ボタンの話題になった。母親が自身の学生時代について語りたがらないことを知っている健太は、意外そうな顔で恵子の話を聞いていた。 

 その時の“一度でいいからもらってみたかったな”という母親の感傷的なつぶやきを息子は覚えていてくれたらしい。卒業式の後、恵子が用があるので先に学校を出ると健太に告げると、健太はうなずき、

“息子のもらったって全然嬉しくねえだろうけど”

 と、下の方に視線を向けたまま、

“母ちゃんにとっては、最後のチャンスだから”

 そう言って、いつの間に制服から外したのか、第2ボタンを恵子に渡してくれた。

 あの時は息子の気持ちが嬉しくて、そのまま受け取ってしまったが、美春の話では、健太からボタンをもらおうと心待ちにしていた女の子が何人かいたようだ。健太にも、内心もらってほしいと思っていた相手がいたかもしれない。最後のチャンスなのは彼らも同じなのに。今さらながら申し訳ない気になってきた。

 普段着に着替えた健太が戻ってきた。

「晩メシ何にすっかな~」

 そのまま台所に向かう兄を、美春が追う。

「ねえ、まだ聞くことがあるんだってば」

 きっとしばらくは質問の嵐だろう。健太を援護してやりたいところだが、自分がその場にいるとかえってヒントを与えてしまいそうだから、少し離れていた方が良さそうだ。

 恵子は一人微笑むと、兄妹の賑やかな応酬を背に立ち上がった。


(お読みいただき、ありがとうございました。同じく卒業をテーマにした作品に「金魚博士の青春(お礼参り)」がありますが、こちらは似たような設定ながら、主役の待遇が全然違います。人徳の問題かなあ。また、おまけで健太君の高校卒業編も載せました。よろしかったらこちらもどうぞ↓↓)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る