第147話 聖水かけちゃいます

 形成す炎クサナギを指から外し、ポケットへと入れる。

 そんな僅かな動作だというのに、それだけの時間があれば、無防備な俺を2回は殺すことができるほどの速さを【狂化バーサーク】の魔王は持っていた。

 地面スレスレの低姿勢から急激に飛び跳ねながらの掌底を首を傾げてかわし、そのまま空中で身を翻し放たれた回し蹴りを、太ももを押さえて受け止めた。

 足の先端であれば防御していても致命傷になる彼女の一撃であったが、回転軸に近い位置を押さえることで、なんとか俺の力でも対応が可能だ。


「(というか、俺ってパワーキャラだったはずなのに……全然歯が立たないんだよな……)」


 なんだかんだ俺だって筋力のステータスはSSSでカウントストップしている。

 それでも敵わないとなると、もうこれ以上のステータス表記が欲しいところだ。


 太ももを押さえられたまま、彼女は空中で頭突きを仕掛ける。

 頭同士の接触で勝てる見込みがなかったため、かわしながら、押さえた左脚に絡みつく。


 地面同士であれば速度に関して相手に分があるが、こちらが地面で相手が空中であれば流石に負けない。

 左脚に絡み付いたまま、彼女を地面へと落とす。


 寝技は俺の専門外だ。

 殴ったり蹴ったりは、空手をやっていたからある程度、様になっているはずだけど、寝技は本当にわからない。だけど、無力化するにはやるしかない!


 俺は力任せに、彼女の左脚に抱きついて、脚を締め上げる。

 馬鹿力を出しているといえど、きっと折ってしまえばそんな力も出せないはずだ。

 ミシミシと骨が音を立てている。


 危機を感じてか、彼女の動きが急に速まる。

 足と手を無造作にうごかし、出鱈目な破壊活動を行いながらも、俺は彼女の脚を離すことはなかった。


「……ッ!? カッ……!!」


 胸に激痛が走る。

 見ると、自由だった彼女の右脚が俺の胸に突き刺さっていた。

 致命傷を避けるために左腕で心臓は守っていたはずなのに、その胸ごと持ってかれた。

 意識が、飛びそうになる。


 やめろ。もう少し、もう少しで折れそうなんだ。

 持ってくれ、俺の意識……!!!!


 死を免れない状況で、俺はその死に抗った。

 死に慣れた俺にしか与えられないであろう、死際のエクストラターン。

 命を燃やし切り、持てる力全てを彼女の左脚へと注いだ。


「グッ……ガァアアアア!!!!!!!!」


 化け物じみた悲鳴が響き渡る。なんとかギリギリ間に合った。

 痛さが伝わってくるほどの悲痛な叫びを聞きながら、俺は意識を落とした。


 *


 魔王は左脚を庇うようにうずくまり身動きが取れなくなっていた。

 それもそのはず、太ももの骨……大腿骨を折られたのだ。

 最も強靭で、歩行に最も重要なその骨を折られて無事でいられるはずがない。


 未だ苦痛に苛まれる彼女を見ていると、俺の脳内に連絡が入る。


『タケル、作戦開始よ。右腕で虚空を裂きなさい』

「虚空を裂く……? そんなの俺できないぞ」

『いつもこのミリア様がやってるようにやればいいのよ! 今のあんたは私の一部。疾風迅雷の細剣ブリューナグにできてあんたにできないわけがないわ』

「え、そういうことだったの!?」


 今明かされる新事実。

 ミリアがいつもやってた衝撃波で固有空間にアクセスする方法は別に疾風迅雷の細剣ブリューナグでなくてもできたらしい。


 俺は言われるまま右手を横に振ると、藍色の裂け目が現れる。

 マジでできちまった……。

 彼女の意思があってこそこの空間は開かれるんだと思う。


 俺が何度「開け〜」と念を込めて手を振っても固有空間は現れなかったから。

 現在進行形で恥態を晒す俺をよそに、ミリアは着々と作戦を進めていった。


 固有空間から瓶に入った水がポンポンと、それはもう鶏が卵を産むように、見事に召喚された。

「これは?」と俺が聞く前に、ミリアは説明する。


『聖水よ。これをあの魔王にかけなさい。そうすれば彼女の暴走は止まるはずよ』

「え、聖水なんてあげたら回復しちゃうんじゃないのか? それにこんな量の聖水どこから……」

『相手の回復狙いよ。詳しいことは後、とにかく今は彼女を回復させなければ解決は不可能だわ。聖水はクレハがそこら辺の売店から盗んできたわ』

「あのさぁ……クレハさん……とにかく了解だ。ありったけぶっかけてくる」

『言い方に悪意があるわね……変態』



 そう捨て台詞を残して彼女との通信は途絶えた。

 いきなり変態とか言われて憤慨ものだとか思ったけど、何か彼女の癇に障るようなことを言ってしまったのかもしれない。後で聞いてみよう。


 ミリアから送られてきた瓶入りの聖水を持てるだけ持って、【狂化バーサーク】の魔王へと近付く。彼女はまだ動けないようだ。そりゃあすぐに動けるようになったら困るけどね。


 俺の顔を見るなり、赤い瞳を光らせ、歯をむき出しにして威嚇した。

 これから何をされるのか、恐怖を感じているんだろう。止めを刺すとか思われているのかもしれない。

 だが残念、俺も事情が分かってないけど、お前は今から完全回復する。


 結構いい値段がしそうな聖水の蓋をとり、彼女にジョバジョバと注いだ。

 一本注ぎ、二本注ぎ、三本四本と注いだところで、聖水が無くなったので取りに戻ってまた注いだ。

 最初の頃は威嚇していた彼女であったが、害意がないことを理解したのか、暴れるようなことはしなくなっていた。


 そのまま八本目の聖水を注いで在庫を取りに行こうと踵を返したところで、俺は背後から心臓を一突きされた。

 これは明らかな裏切り行為だ。それはもう手塩にかけて育てた愛娘が思春期に入り「パパなんて嫌い! キモい」といってくるような可愛らしいものではなくて、愛娘のために用意した一人暮らしの拠点が彼氏とのヤリ部屋としてしか使用されなかったとか、そういうはらわた煮えくり返るような裏切りだ。

 娘をもつお父さんの苦悩を抱えながら俺は一度死んだ。


 *


 すぐに聖水が散らかっている場所へと生き返る。

 前が引きちぎられたローブを纏う彼女は、再び俺を殺そうと天地を揺るがすその一歩を踏み込もうと試みるが、不意にその動きが止まった。

 右目の赤き瞳の輝きが失われている。左目は未だ赤いまま。

 どういうわけか、彼女は正気を取り戻そうとしていた。


「止まって……止まって……止まれ……お願い!!」


 彼女は絞り出すように、吐き出すように言う。

 暴走した自分と戦っているのか?


 ミリアが聖水をかけろと言ったのはそう言うことか。

 きっと彼女は魔法で【狂化バーサーク】を押さえ込んでるんだ。

 だから、魔力を回復させて抵抗力が上がったから正気を取り戻そうとしている。

 ……というか、その理屈でいくと、彼女が暴走してるの俺のせいじゃない!?

 魔王への対抗策だぜ!とかドヤ顔で魔力器官をくりぬいたけど、完全にそのせいで暴走してるよねこれ!?

 また俺のやらかしじゃんかよ……


 自分の尻拭いは自分でやるしかない。

 とにかく今は聖水だ。

 手元にある聖水をありったけぶっかける!


「グガアアアアア!!!!」


 悲鳴を上げて聖水に抵抗した。

 再び瞳を赤くした彼女は上半身のみで対処を試みるが、そもそも俺は直接攻撃する必要はなく、聖水を離れたところからかけるだけなので完全に俺に有利な状態で戦闘は行われた。


 ミリアから再び聖水が送られてくる。

 後でクレハを叱らないといけない。

 送られてきた聖水を引き続きこれでもかと彼女にぶちまける。


 段々と、彼女の動きが鈍くなっていた。

 守るように使っていた両手はいつしか、自分の頭へ。

 彼女の戦闘対象が変わった。

 今では、彼女は俺ではなく、彼女自身と戦っている。


「……後3人……2人…………これで……終わり……!」


 引きちぎれんばかりに髪を引っ張る手の力が、不意に解かれる。

 その場に倒れ込み、彼女は拳を天に突き上げていた。

 先程までの、禍々しい雰囲気は感じない。

 どうやら彼女は彼女自身に打ち勝ったようだ。

 そのまま草原で大の字で寝転び、なにやらブツブツと呟き始める。


「…………も、戻れた……ね……偉い……リンちゃんは偉い………………にへへ…………ありがとう…………があああああ痛い!足痛い!こっちに押し付けんじゃねえ!………………リ、リ、リアクションは君の役目、だから……ですから…………2人してふざけやがって…………」


 ……………………随分独り言の多い子みたいだ。

 まだ狂ってるんじゃないか?と疑い深くなってしまうが、あばれる様子もないので、きっとこれで正常だ。

 正気が異常とはこれいかに。


 少し離れたところで伺っていたところ、彼女と目があった。

 前髪が目にかかってしまい、左目だけ見えている様子だったが、間違いなくこちらを見ている。

 なんなら手招きなんてしている。

 来い、ということだろう。


 今、彼女は正気に戻っている。

 それはつまり【狂化バーサーク】の加護を正しく……敵を狂わせるために使えるということだ。

 正宗を胸に近い位置に持ち、細心の注意を払いながら、彼女に近づいた。


「き、キミ強いんだ……ね。助けてくれて……あ、あ、あ……ありがと。みんなも……お礼してる」

「みんな……? お、おう。どういたしまして。君も強いな。全然歯が立たなかった」

「……にへへ…………嬉しい。優しくて…………キミの方が……好きかも」

「はへ?」


 不意に、背中を誰かに押された。

 いや、違う。誰か、じゃない。

 彼女が俺の背後に作り出した衝撃波で俺の身体は前のめりになる。そして、そのまま彼女は俺の胸に抱きついてきた。


「……キミなら……キミとなら……だ、だ、大丈夫……だから。もう……離さない」

「はあ!? ちょっと何言って」

「……ずっと……一緒だよ。ほら……聴いて? 彼女が怖がって……るよ? 強い人には……従順だから…………みんながいなくても……キミがいれば……いいの」


 彼女は俺の胸に顔を埋めてグリグリと鼻頭を擦り付ける。

 未だ頭が混乱している。

 どうしていきなりこんな懐いてるんだ!?

 それに、こんなところ見られたらまずい。

 具体的には身内で手がつけられない犯罪者がいて……


 視界の端から黒い物体が飛んでくるのが見えた。

 それがナイフだと気付いたその時、急にナイフは進行方向を真下に変更する。

 地面に叩きつけられたそれは、それがよく目にしているあのナイフだった。

 魔王は目に見えない攻撃でそれを打ち落としたのだ。


 ナイフに追従する形で、エプロン姿の少女が猛スピードでこちらに向かってきているのを確認する。

 まずい。クレハが危険だ。


「彼女に攻撃しないでくれ。でないと、両手も折ることになる」

「……い、いいよ……? キミになら……何されても……いいから」

「いや、そういうわけじゃなくてさあ!」


 そうこうしている内にクレハが到着してしまった。

 どうやら、攻撃はしないでくれたようだ。

 これまでの情報から、彼女が俺たちの誰よりも強いことは理解している。

 精神を支配する音、そしてその音による不可視の攻撃が任意の方向から発動可能。

 俺が知っている人間の中でも3本指に入る強さだ。


 しかし、どういうわけかこの引きこもりの様な見た目をした彼女は俺に懐いてしまい、俺のいうことなら聞き入れてくれるらしい。

 それなら暴走しないでくれと言いたいところだけど、きっとあれは気持ちでどうこうできるレベルの話じゃなかったんだろう。


 クレハは青筋を立てながら、ぎこちない笑顔を浮かべて問う。


「タケルくん? これってどういうこと? 見境なしに女作りすぎじゃないかなあ? 私たちの戦いに4人目はいらないんだけど?」

「いや、クレハ待ってくれ。何かの手違いだ。いや、勘違いだ。彼女は何か勘違いをしている」

「何? あなた……誰? 私の……邪魔しちゃ……ダメ……なんだ……だぞ! ま、ま、魔法使い……が怖くないの……か!」


 突然、彼女が俺を押し飛ばす。

 腕だけの力じゃない。加護ギフトによって生み出した衝撃波ではじき飛ばされる。


「なんだ、やるのか? 私は強いよ。こちとらもう処女じゃない」

「え、クレハ前処女って……」

「ち、違うのタケルくん! ここでの意味は人を殺したことがあるってこと!」

「あ、ああそういうこと。そんなところで張り合わなくたって、というか誇る場所じゃないからなそれ」

「わ、わたしだって……したこと………あるから……何自慢してんだこのクソアマ…………ですよ。ですので……なので……お、お前の負け……なんだぞ!」

「こらこら、不名誉なところで張り合うな」


 飛ばされて汚れた服を払いながら彼女たちのところに戻る。

 新キャラは随分と情緒が不安定だ。

 ヤンデレ少女ことオカザキクレハさんが最近病んで無いので、というか最初から病んでなくない?最初から最後まで一貫して暴力少女だった。

 なんの話をしていたのか迷子になってしまったが、とにかく【狂化バーサーク】の魔王は情緒不安定で病みに病んでいて、いわゆるメンヘラとかいうタイプなんだろうと推測される。

 リストカットされないように注意しなければならない。

 こちとらリストどころかネックをカットされてるからな。


 自分の殺人数で言い争いをする2人を宥めていると、ミリアたちが送れて登場した。

 2人がいがみ合っているのを見て、ミリアとアイリは若干呆れ気味だ。



「なんとか事態は収束したようね」

「ああ、なんとかな。それより、どうして聖水をかけようと?」

「それね」


 ミリアは端的に理由を説明してくれた。

 かなりざっくりとだが、俺の予想も当たっていて、彼女は魔法で人格を増やしていて、数の暴力で狂った人格を押さえ込んでいたらしい。

 さっきから情緒不安定だったのは、その作り出した人格が精神の乱れで現れてしまっているからなんだな。


「それより、あの子。ずいぶんあんたに懐いてるみたいじゃない」

「そうなんだよ。俺も驚いてる。たぶん、彼女を止められる人間が稀すぎてそれで好かれてしまったんだと思うけど」

「なるほどね。確かに、彼女にとってはあんたは自分の暴走を抑えられるストッパーなわけだものね。好かれてしまっても仕方ないわね。それであんたはどうなのよ」

「俺……? 俺がどうしたんだ?」

「直接的に言わないと伝わらないのかしら? 彼女に良い印象を抱いてるのかってこと! あんたは既に3人から好意を寄せられてる。じゃあ4人目はどうなのって話よ! これから5人目6人目と現れたらあんたはどう……」

「待て! ミリアまでヒステリックになってしまったら俺たちのパーティーの半分がメンタルやられてることになっちまうだろ! それだけはやめてくれ!」


 頬を押さえ顔を青ざめさせる彼女の手を握る。

 新入り魔王様まで入れれば5分の3が精神やられてることになる。

 これはまずい。俺がアイリママに絶対の信頼を寄せている理由はこれだ。

 お姉ちゃん組頼むからしっかりしてくれ。


「とにかく、俺は彼女に好意を持ってはいないよ。恋愛に至るまでのストーリーがない」

「あんたそういうタイプだったの? つまりひとめぼれはないってことよね……なら少しは安心だわ」


 納得してくれたようでミリアは安堵した様子で大きく息を吐いた。

 後でアイリもほっとした様子なのが可愛い。


 いがみ合っている2人の脳天にチョップをする。

 2人は「イテッ!」と似通ったリアクションをとりながら俺を睨んだ。

 とにかく、このままだと拉致が開かない。


「【狂化バーサーク】の魔王、キミに聞きたいことがあるんだ。答えてくれるかな?」

「わたし……? わたしは……魔王じゃ……ないよ?」


 とぼけた顔をした彼女は、そう否定した。

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