第138話 波紋の花

 湯気で覆われたギルドが遠くに見える。

 天然の防壁によってモンスターからの襲来が少ないこの特殊なギルドは中に入る前に厳重なチェックが行われる。安全なギルドは人気が高く、勝手に住みつかれないようにする対策らしい。

 俺たちは、前に来たときと同じようにギルドの入り口へと向かった。

 入り口は白い湯気の切れ目にある。

 到着すると、俺たちはすぐに異変に気付いた。


「なあ、ミリア。前回来たときはここでギルドに入るための申請をしたよな」

「そのはずよ。そして、ここには警備の者がいて然るべきだわ」

「今日はお休みなのでしょうか……?」

「それはありえないよ。それじゃあ何のための警備員かわからなくなるよね」

「……無用心だったということにして、とりあえず入ってみるか」


 俺の提案に、みんなはコクリとうなずいた。

 お化け屋敷に入る時のような緊張感を持って俺たちは『オオイタ』の中へと入っていった。


 *


 中に入ると、そこは前に来た時と同じような街並みが広がっていた。

 ギルドの中央に続くレンガ道。そしてその両端にそびえるマンションたち。全て同じだ。

 ただ、街の活気が感じられなかった。

 アイリの言っていたように、今日はお休みの日なんだろうか。


「ねえ、人がいたよ!」


 クレハが示す方を向くと、確かにそこには40前後に見える女性がいた。

 足並みはおぼろげで、今にもつまずきそうだった。


「何か様子が変じゃないか? 酔っ払ってるというか何というか」

「確かにタケルの言う通りね。まだ昼前だっていうのにお酒? だらしないわ」


 呆れたようにミリアはそう言ったが、拳は固く握り警戒をしていた。


 他の面々も既に気付いている。

『オオイタ』は朝からこんな浮浪者のような人間が徘徊するようなギルドじゃない。

 何かが起きている。


「みんなは下がっていてくれ。俺なら、どうなっても死にはしないからさ」


 そういって、俺は徘徊している女性に近づいた。

 1歩、2歩と彼女との距離を詰めていく。

 俺の動きに合わせて、相手もこちらに近づいて来た。

 徘徊している女性との距離があと一歩というところまで近づいたその時、女性は顔を上げ、突然牙を剥いた。

 比喩でもなんてもなく、本当に大口を開けて食らいついて来たのだ。


「一体何なんだ!? みんな離れろ!」


 俺は背後に向かってそう叫ぶ。

 何だこれは!

 まるでゾンビだ。

 力はおよそ通常の人間では考えられないほど強い。

 あの力自慢のゴウケンほどではないにしても、アラクネ以上の力は間違いなく出ている。

 女性は、歯を立てて首筋を噛んできて、チクリと痛みがあった。

 こいつ、俺の能力を貫通している。


 状況を整理しようと周囲を見渡すと、俺を噛んでいるこの女性が出てきた裏路地には何かが赤く光っていることに気づく。

 その赤い光は段々と数を増やしていき、ついにそれが何者なのかを認識した。


「おいおい、ゾンビ映画の撮影じゃな……」


 その言葉を言い切る前に赤い目をしたゾンビ(仮)たちが一斉に襲いかかってきた。

 どれ程の数がいるのか分からないが、俺はゾンビたちに覆いかぶされてお団子状態になってしまう。


 マズいぞ……死なない程度の力なのがかえって痛手だ。

 このまま俺が無力化されたまま、ミリアたちにゾンビが襲いかかって行ったら……


「(……やるしかないっ!!)」


 俺は抑えられた手足に力を込める。

 溜め込まれた力を一気に解放して、ゾンビを吹き飛ばすッ!!!!


「タケル先生、耳を!!!!」


 不意にアイリの叫び声が聞こえる。

 まさかもうアイリの方にゾンビが襲いかかったというのか!?

 急げ、急ぐんだ……!


「離せえええええええ!!!!!!!」


 俺は両手で地面を抉り拘束を解いたあと、身体を回転させてゾンビたちを弾き飛ばした。

 拘束していた赤い目の人たちが宙を舞う。


 すぐに踵を返してミリアたちをみると、まだゾンビに襲われていないようだった。

 仲良しこよし、手なんか繋いでいる。


 間に合った! あれ、だとしたらさっきのアイリの叫びは……


「狂い咲け、波紋の花……蒼狂屍そうきょうかばね


 震える女性の声が耳に届く。

 それに続き、キーンと高音が耳を貫いたところで、俺の意識は途絶えた。



 *



 タケル先生の背中を見ながら、ミリアさんが口を開きます。


「それにしても、死なない加護ギフトって本当に便利よね」

「うん。特に囮になるにはぴったりの加護ギフトだよね」

「みなさん、先生の扱いが酷すぎますわ……」


 ミリアさんも、クレハさんもタケル先生が好きだというのに、情というものがないようです。

 かく言うわたくしも、口にはしませんが、先生のことはあまり心配していません。

 死なない加護ギフトというのは、非常に強力です。

 わたくしも【支配】の加護ギフトで一時的ではありますが、一切の攻撃を無効化することができますから、先生の能力の強さは誰よりも理解しているつもりです。


「アイリちゅわん優しい! 天使! ネミディア家はいつでも養子を募集しているわっ!」

「養子は……最後の手段で考えておきますの。あ、ありがとうございますですわ」

「ミリア気持ち悪いよ……それよりアイリちゃん。そんなに心配なら、タケルくんがどうなるか見てみればいいんじゃない?」


 クレハさんがそう提案しますが、わたくしは何のことだかさっぱりでした。

 私が首を傾げているとクレハさんが続けます。


「その反応はどういうこと? アイリちゃんの加護ギフトのことは、フクダさんから聞いてるから隠さなくてもいいと思うんだけど」

「わたくしの加護ギフト……? あっ、見るってそういうことですの」


 私はそこで気づきました。

 クレハさんはきっと【感覚操作】のことをいっているのでしょう。


「残念ながらそれは出来ませんわ。あの力は、わたくしの未来はわかりますけど、他の人の未来はわかりませんの」

「へー、万能な予知じゃないんだね。でも、十分すぎるほど強いか」

「ええ、わたくしもそう思いますわ。この加護ギフトのお陰で、フクダさんにも勝てましたし」


 わたくしは胸を張ります。

 これまで【感覚操作】はお父様の【身体強化】の劣化版の加護ギフトだと思っていたのに、こんな使い方があると知って、自分の加護ギフトに自信が持てるようになったのです。

 タケル先生たちと旅をして、自分のことを知ることができて、本当に感謝しています。


 心の中で、先生たちにお礼を言っていると、ミリアさんが焦ったように言います。

 見ると、タケル先生が先程の女性に噛み付かれていました。


「ちょっと! タケルが噛まれてるんだけどおおおお!? どういうことかしら!?」

「あのクソアマ、タケルくんに首噛みなんて高度な愛撫しやがってぶっ殺してやる!」

「それより早く先生を……っ!?」


 発言の途中で、急に私の頭の中にモヤのかかったイメージが流れ込んできました。

 全感覚を少しずつ削って、第六感に常時100%ほど感覚を割いていると、身の危険が迫った時にこのようなことが起きるのです。

 急いで、第六感に視覚以外の感覚を注ぎ込むと、先程のイメージが鮮明に私の頭の中に浮かんできました。


 まだ体験していませんが、ハッキリとわかります。


「(次に来るを聴けば、わたくしは……!)」


 そうこうしている内に、タケル先生は路地から出てきた人たちに囲まれてしまいます。

 助けたいのは山々ですが、それをするには時間が足りないのはわかっています。


 急いでミリアさんとクレハさんの手を掴みます。そして聴覚を遮断。

 聴覚を遮断して、声の大きさがわからないので、力一杯叫ばないと……!


「タケル先生、耳を!!!!!」


 その言葉の数秒後、先生を覆っていた人たちは、吹き飛ばされます。

 先生の力は圧倒的でした。

 しかし、次の攻撃は先生でも防ぐことができないと、わたくしは既に答えを見てしまっているのです。


 目に見えるほど震える音がタケル先生にぶつかり、先生は膝を折ります。


 繋ぐ手から、2人の焦った気持ちが伝わってきます。

 事態は一転したのです。


 音が止んだところで、私は聴覚を戻しました。

 2人はわたくしに状況を説明するように言ってきました。


「わ、わかりませんわ! ただ、さっきの音を聞いていたら、わたくしたちもやられていましたの!」


 そうです。

 さっきの音を聞いた後、わたくしの脳内に流れるイメージは止まりました。

 だから、そこから先のことはわからないのです。


 また、脳内にイメージが飛んできます。

 すぐに2人の前に出て、ドレスのスカートの部分を外し空中に固定。

 音による攻撃を防ぎました。

 ドレスは2層構造になっていて、中のスカートは膝の上ほどの丈しかないので足の間がスースーします。


「ど、どうして……わたしの攻撃が…………効かないんですか」


 路地から、のっそりと、真っ黒のローブで顔を半分隠した人物が現れました。

 声を聞くに女の人のようです。

 彼女は大きな音叉が両端についた杖を手に持っていました。

 あの武器で音を発生させて、タケル先生を……


「やめて……やめてください…………わたしの邪魔を……しちゃダメなんだ……ですよ。だって……わたしは……ま、マ、マ……魔法使いなんだ……ぞ!」


 錯乱しているような、気味の悪い口調でその女の人はそういいました。

 魔法使い……? 魔法が使えるのは普通なのではないのでしょうか?

 もしかして、タケル先生のように別の世界から来た人なのかもしれません。


 彼女は再び音を飛ばして、攻撃を仕掛けてきます。

 もう一度、外したスカートで音を止めました。


「何で! 何で! 何で!!!! どうして届かないの! おかしいじゃん! ズルい、ずるい、ズルイ!!!!」


 頭を掻き毟り、駄々をこね始めました。

 この人は、危険だ。わたしくしの本能がそう告げています。


「ま、まあいい……や。みんなが……きっと倒してくれる…………くれますから。新しい……のも、強そう……なので……それでは…………逃げます。さ、さようなら」


 彼女は杖で地面を叩くと、跳ね上がります。

 建物の屋上まで飛び上がると、もう姿は見えなくなっていました。


「クレハ、行くわよ! 『オオイタ』の人たちがおかしくなってしまったのは、彼女のせいだわ!」

「合点承知! あいつの位置は【理想の彼氏】でもう見えてるよ。ついて来て!」


 そう言って、走り出す2人を追いかけようとしたその時です。

 視界の外から何かが高速で迫ってくるのがわかりました。

 再びスカートで攻撃を受け止めようとして、そこで誰が攻撃してきたのかを知ります。


「タケル先生!? どうしてわたくしたちを攻撃して……」


 空間に固定したスカートに拳が当たります。

 その威力は想像を上回るもので、拳の威力自体は受け止められてはいますが、拳によって巻き起こった竜巻のような風がわたくしたちを吹き飛ばしました。


「……っ! タケルあんた何してるのかわかって……」


 ミリアさんも気づいたようです。

 タケル先生の目が、辺りをうろつく『オオイタ』の人たちと同様、真っ赤に光っていることに。


「なるほど……これはマズいことになったわね」

「タケル先生はどうしてしまったんですの!?」

「ローブの女……あいつは【狂化バーサーク】を使う。つまり、魔王因子所持者よ」


 先生はよだれを垂らし、赤い目を揺らします。

 それは、ミリアさんから告げられたものが紛れもない事実であることを示していました。

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