幕間(4.5章) 侵略前の一週間編

第131話 アイリ

 魔王が討伐されてから3日が経った。

 俺は今『トウキョウ』の上層部の壁の外にある街を歩いているが、巨大な建物……おそらくショッピングモールのような複合商業施設は全くの無傷でそびえ立ち、住宅地のある区画では洋風和風入り乱れた家屋が細い脇道に沿ってビッシリと建っている。公園もあり、子供たちが楽しそうに遊ぶ声がする。3日前まで魔王軍との戦闘があったとは到底思えない被害の少なさだ。

 しかし、歴代最悪の魔王と呼び声高い【闇】の魔王プレイグの爪痕は想像を遥かに越えるものであったらしい。


『トウキョウ』は原初の魔法使いの庇護下にあるため【闇】の魔力による影響が極端に少ないが、他の地域ではそうはいかなかったのだ。

【闇】の魔力が空気中に多くある環境というのは、二酸化炭素濃度の高い空気を吸っているようなもので、全滅してしまうギルドもあったらしい。ミリアやリリ、王様は【闇】の魔力の中でも行動ができていたが、それは彼女たちの魔力ステータスが高い……つまり魔力器官で蓄えられる魔力量が多かったからだ。地域のモンスターレベルが低く、優秀な人材がいなくても生活ができていた弱小ギルドなどはダメだったようだ。俺たちがもっと早く魔王を討伐できていれば、救えた命は確実にあった。不安になって旧『ニッコウ』を尋ねてはみたが、『オオサカ』から遠かったこともあり、全員無事でそこは安心した。


 元々魔王に対抗するために『トウキョウ』は各ギルドから優秀な人材を引き抜き育て、元のギルドに戻すという戦略をとっていたが、相手が【闇】の魔力による『災害』では意味をなさず、結果としては単に周囲のギルドからの不信感が募るだけであった。まあ、こんな事態になるだなんて誰も想像出来なかっただろうし、仕方ないと思うけどな。


 復興などという言葉とは縁のない『トウキョウ』の街並みを眺めて歩いていると、目的地が見えてきた。

 中心部から離れた外周に近い位置に建つ、巨大で威厳のある城──ゴウケンの家だ。緑の絨毯の広大な敷地内に、合計3つの建築物。真ん中のものが一番高い。おそらくゴウケン本人は真ん中の大きな城に住んでるんだろう。


 俺はそんな事を考えながら、一番左の城の門まで向かった。


 そう、今回の目的はゴウケンを訪ねることではなく、10歳そこらで城主を任せられた女の子に会いに行くことなのだ。


 城の前まで行くと、インターホンがあった。しかし、魔力感応式なので俺は使えない。仕方なく、ドンドンと門を叩いた。


「ごめんくださーい! 俺です。タケルです」


 お城というぐらいだからなんか執事とか清掃員とか色々いるだろうと、適当に中にいる人に聞こえるようにそう言った。

 実際俺の予想は的中して、門の中で何やら慌ただしく靴の音がする。

 そして、ガチャリと錠前が開く音とともに、扉が開けられた。


「こんにちは、城主のアイリの知り合いの……あなたは」


 扉を開けた人物の顔を見て、俺は驚きを隠せずにいた。

 灰色の髪をきちっと揃えた細身の彼を俺はよく知っている。


「久しいな、タケルくん。さあ上がってくれたまえ。お嬢様がお待ちしているよ」

「フクダさん!? まさかフクダさんもアイリに呼ばれて?」

「いいや、私は『ウツノミヤ』の長を辞めたのだ。今はこの城で執事として働かせてもらっている」

「辞めたんですか!? どうして……」

「その話は、この後することになるだろう。ついてきてくれ」


 どこか楽しそうな表情を浮かべながらフクダさんは俺を案内してくれる。

 どうなってるんだ。知り合いの家に行ったら、別の知り合いが同居していたとか中々ショッキングな状況だぞこれ。

 脳内が混乱しながら少し歩くとアイリの部屋に着いた。

 入り口である木彫りの扉は、もうそれだけでウン十万しそうだ。ここがゴウケンの家の隣に併設された城であることを再確認する。恐る恐る、扉を開ける。ズッシリとした重みを感じるが、作りが良いのかスムーズに扉は開く。


 そこは日光がよく入る、気持ちのいい場所だった。

 プリンセスベッドというのか、天幕付きのベッドを俺は初めて見た。

 来客が来ても問題ないようにテーブルに椅子が4つ。

 椅子の1つに、紛れもなくお嬢様がいた。


「アイリ、見違えたね。とってもお嬢様って感じがするよ」

「お恥ずかしいですわ、タケル先生。これでも中身は変わっていないと思いますの」


 赤いドレスを着たアイリはそう言葉を返すと微笑む。

 これまで俺たちと冒険をしてきた彼女だったが、本来冒険とは無縁のお嬢様なんだ。

 偶々、魔王因子を持ってしまったが故に、家を追い出され、戸籍上抹殺されてしまったわけだけど、その本質は変わらない。彼女は幼稚園の中でも、冒険の中でも、今城の中でも、お嬢様だった。


 アイリに手招きされ、彼女の隣に座る。香水をつけているのか、甘い匂いが鼻をくすぐった。


「タケル先生、今日はわたくしのお城に足を運んでいただき、心より感謝しますわ」

「どういたしまして……じゃなくて、もうちょっと普通に話してもらってもいいか? いきなり話し方変えられちゃうと、話辛いからさ」

「そうですわね。少しわたくしの高貴な面を先生に見せようと思って見栄をはってしまいましたの。ごめんなさいですわ」

「謝るほどのことじゃないって。そうだアイリ、早速だけど聞いてもいい? フクダさんについて」

「先生も気になりますわよね。勿論お話ししますわ。今日はそのために先生を呼んだんですから」


 アイリはフクダさんにハンドジェスチャーで対面の席に座るように促す。

 頭を下げると、彼は席についた。


「タケル先生は、わたくしがこの城の主になった経緯について知っていますの?」

「それなら大体把握してるよ。確か、北から来た魔王軍……まあこれはフクダさんだけど、彼を跳ね除けたから、その報酬で、フジミヤゴウケンが城を1つ贈呈したんだよね」

「はい、その通りですわ。でも、それを考えたのはフクダさんですの」

「ええ!? そうなの! あの話聞いた時に、ゴウケンのやつ非常時に乗じて娘を家に戻すなんて中々やるなとか思ったんだけどそうじゃないんだ」

「フクダさん、戦いの後から話していただけますこと?」

「仰せのままに」


 時は魔王軍が襲来した初日に巻き戻る。

 フクダさんの口から、北の魔王軍との衝突の結末が告げられた。



 * * *



 彼の刀は空間に固定されたアイリの柔らかな服に阻まれ、地面に落ちた。

 勝負が決したところで、アイリは聴覚を取り戻し口を開く。


「わたくしの勝ちですわ。少しでも動けば……」

「私の心臓は君の【支配】で空間に固定され、血流が止まったことにより私は死ぬ」

「ええ。その通りですわ」

「そうするといい。是非、そうしてくれ。私はもうやりきった。短い人生だったが、目的に気付き、それを達成することができた。そこらの人間より十分幸せだ。それでもういいではないか」

「ですから、ダメだとさっき言いましたわ。貴方には、わたくしのこれからの、人生の道案内をしていただかなければなりませんの」

「やめてくれ。私は君が思っているような大人ではない」

「自分に自信がないのもわたくしによく似ていますわ」


 アイリははにかむと彼をからかうようにそう返す。そしてトドメの一撃を放つのだ。


「わたくし、今はお父様がいませんの。フクダさん…………わたくしのお父様に、なってはいただけませんこと?」


 彼女は優しい声音で彼にそう告げる。その言葉に、彼の灰色になった世界は一瞬の内に色を取り戻す。彼は一度、人生を終えた。そして、今日から新しい人生を歩むのだ。彼女のためであれば、再び歩みを続けられる。そのような予感が彼にはしていた。【魔力探知】などなくてもこの予感は外れはしない。彼の瞳からは年に似合わず、自然と涙が溢れていた。胸に添えられた小さな手を握り、彼は祈るように膝をつく。

 彼女の加護ギフトに彼の剣技は支配され、彼女の言葉に彼の心は支配されてしまうのであった。


 フクダは涙を頬に伝わせながら、声を震わせて口を開く。


「とても、魅力的な提案だ…………だが、私はその案に乗ることができない」

「どうしてですの? 生きる目的が見つかっても尚、死にたいとフクダさんは思って……」

「違う、そうではない。私を救ってくれた君の夢を壊す事はできないから断っているのだ」

「それはどういう事ですの?」

「本当のお父さんと一緒に暮らしたいのだろう?」

「……っ! その通りですわ。フクダさんには隠せませんわね」


 アイリは自分の本心を見透かされ、苦笑いを浮かべる。

 彼の指摘通り、彼女は自分の一番したい事を蔑ろにしてまで、1人の男性を救おうとしていた。それを許してしまうほど、彼は人生の目的を軽く見て生きていない。そもそも、目的にこだわりすぎた結果、命を投げ出すような選択を取ってしまうような男なのだった。

 フクダは両軍の兵士の死体が広がる草原に座り込む。すでに敵意はない。アイリは彼の胸から手を離すとちょこんと女の子座りをした。


「さて、まず今の私の本心を話そう」

「ええ、お願いしますわ」

「私はアイリくんの父親にはなれない。しかし……君は私の人生の目的にはなってもらおうと思っている」

「ん? いまいち理解ができませんわ。父親になることが目的ではダメですの?」

「さっきそれはダメだと言ったばかりだろう。これより私は、アイリくん……君を幸せにする事を人生の目的にしようと思っている」

「えっ! そ、それってプロポーズ……ですの?」

「そうではない。君の幸せを私が支援していこうという事だ」

「そ、そちらでしたか……とてもヒヤヒヤしましたわ」

「例えば、君の好きな人はタケルくんだろう。ライバルは多そうだが、恋が実る様にサポートさせてもらう。歳が離れているといっても10歳も離れていない、勝ち目は十分にある」

「ど、ど、ど、どうしてそれをっ!?」


 瞬間、アイリの顔は赤く茹で上がる。これまで隠し通せていたと思っていた気持ちをまだ数回しか会っていない男性に見透かされてしまったのだ。仕方がないだろう。


「分かるさ。魔力など見なくてもこれくらい経験で。とにかく、この様に私がアイリくんの幸せを支援しようという話だ。理解はできただろうか?」

「ええ、理解しましたわ。わたくし、とんでもないことに足を突っ込んでしまった気がしますの……」

「人の人生を左右するというのは責任がつきまとうものだ。アイリくんが気に病むのも分かるが、あまり深く考えないでくれ。私は、勝手に君を幸せにする。いつもお菓子をくれる祖父や祖母と同じと思ってくれて構わない」

「そう考えれば少しは気が楽ですわね」


 アイリはそう言って強張った顔を崩した。彼女にとってフクダは数少ない頼れる大人である。そんな彼が自分を支援するというのだから、心強いことこの上なしである事は彼女自体わかっていた。彼女が望めば、それが何であれ、フクダは確実に任務を遂行するだろう。ただ、自分の思い通りになることの少なかった彼女にとって、それが幸せなのかそうでないのかあまり実感がわかなかった。

 いざ何かお願いをしてみようかと思ったが、アイリは自分の言動で人が動くということを強く意識してしまい、口を噤んだ。【支配】という加護ギフトを持ちながら、彼女は絶望的に他人を支配する勇気が足りなかった。

 彼女はフクダの目を見る。彼の真っすぐな瞳を見ていると、彼女は何か命令をあげなければならないという使命感が湧いてきた。アイリは彼のためと自分を言い聞かし、最も自分が強く抱く欲を露わにした。


「でしたら、フクダさん。1つお願いしてもよろしいこと?」

「ええ、勿論だ。我が主人よ」

「主人!? その呼び方はやめていただけると助かりますわ」

「そうかい? 個人的には良いと思うのだが……気に入らないのなら仕方がない。今はこれまで通りアイリくんとでも呼んでおくとしようか。それで、お願いとはなんだ?」

「それは……わたくしをお父様と一緒に暮らせる様にして欲しいですわ」

「聞き受けた。その願い、必ず叶えよう」

「えっ、そんなに安請け合いして良いのですの? 難しいお願いだとわたくしはわかっていますの」


 アイリは表情を曇らせる。彼女の願いは冒険の初期から一貫している。彼女は父親との復縁を望んでいるのだ。しかし、これまでの旅の中でそれは厳しいと思い知らされた。なぜならすでに、フジミヤアイリという名前の人間は『トウキョウ』の戸籍から抹消されているのだから。彼女の父が尽力しても叶わなかった復縁を、そうあっさりとできるわけがないと彼女は男を疑った。

 フクダは、柔和な笑顔を浮かべて返す。


「ああ、できるとも。そのための駒は既に手中にある」

「何か策がありますのね……?」

「私が『トウキョウ』に攻め込んだ理由については知っているな? 簡単に言えば復讐だ。そして私の復讐相手はどうやらアイリくんの父のようだ。そこを突く」

「と言いますと……」


 フクダはサラが落としていった宝具群れを食う手枷グレイプニルを拾い上げる。五宝人であるサラの使っていたそれは、魔力によって数や大きさを変化させる拘束具だ。


「これで私を拘束するんだ。『知り合いだったため隙が生まれて拘束できた』とでも説明すれば通るだろう。そうすれば、北の魔王軍の襲来から国を守ったのは君になる」

「そ、そうなりますわね」

「そこでアイリくんが事情を話して、本件の処分をフジミヤゴウケンに委ねるよう要求すれば良い。彼と個別で話ができれば全て上手くいくだろう」

「そうでしょうか……?」

「大丈夫さ。不測の事態が起きれば拘束具を私の宝具で破壊し、『トウキョウ』内で暴れ回るとしよう。それをアイリくんが止めてくれれば最悪君は英雄になれる。そうすれば住処など如何様にもできるだろう」


 フクダはそういうと、群れを食う手枷グレイプニルを腕にはめるように言う。

 手の自由が奪われた後、彼は不可視の宝具に魔力を流し、6度、拘束具を叩く。

 既に透明に戻った北斗に浮かぶは泡沫の夢シチセイケンを腰に携え、彼は歩き出した。


 *


 初老の男を10歳かそこらの女の子が拘束し連れて歩くという状況は、ほとんどの人間から異常な光景に映った。

 彼女が国王の城に繋がる道を歩く間、何度も「2人はどういう関係なのかな?」「おじさん上級者だね」だなど声をかけられるが、拘束している男が魔王軍の危険人物であると伝えると、人々はいっせいに散っていった。

 魔王軍……つまり【闇】の加護ギフトを使える物だと人々は勘違いしていたのだ。

 実際のところ、フクダはそのような力を使うことはできないが。


 王城に入りアイリは受付に用件を告げるとすぐに王様の元まで案内される。

 彼は、王室で地図を開いて何かをしているようだった。

 アイリに気づくと作業の手を止める。彼女がただならぬ圧力を持つ男を連れていることで、

 大方の事情を察した。

 闇魔法を毛嫌いする彼は、あまり浮かばない表情で口を開いた。


「ええっと、君はタケルくんと一緒にいた闇魔法の子ですよね」

「そうですわ。北の魔王軍について、サラさんから何か聞いていらっしゃること?」

「聞いていますよ。彼女は今医務室にいます。傷が深くて……死ぬことは無いと思いますが、復活に3日はかかるかもしれません」

「この人がサラさんを倒した男ですわ。わたくしが拘束して連れてきたんですの」

「それはサラさんに渡している宝具……宝具の回収まで本当にありがとうございます。彼については知っています。『ウツノミヤ』の人ですよね。どうして彼が」

「フジミヤゴウケンを出せ! 私に復讐をさせろ!」

「この方から話は聞きましたわ。フジミヤゴウケンの部隊の誰かが、この方のお父様を殺してしまったそうですの。その復讐で魔王軍に手を貸してしまったようなのですの」

「そのような経緯があったのですね。えっと……あれかな? 正宗の件ですよね?」


 王様は今にも噛みつきそうなフクダに、恐る恐る尋ねた。

「そうだ……そうだとも! 君たちが宝具を回収するなどという愚行を企てたばかりに! 私の父は……!」

「それは本当に悪いことをしてしまいましたね。国を代表して、僕が謝ります。ただ、正宗の返却は少し遅らせてもらっても……」

「貴様の謝罪で私の怒りが収まると思うか!? 奴を出せ! ゴウケンの口から直接の謝罪がない限り、私は決して止まらない!」


 演技と分かりつつも、迫力のあるフクダの叫びにアイリは顔をしかめる。そして話をまとめるように、アイリは提案する。


「王様? 私はこの方の処分は、フジミヤゴウケンさんに委ねた方がいいと思いますわ。『ウツノミヤ』で少し話をしただけですがゴウケンという方は、見た目の割に冷静にお話ができる方だと思いますの」

「うーんそうですね……一応確認なのですけど、フクダカズアキさんは【闇】の加護ギフトを譲渡されてはいませんよね?」

「ああ、もちろんだとも。私は飽くまで魔王軍に力を貸しただけだ。【闇】などという得体のしれない力に頼らずとも、五宝人の1人を倒せるくらいには強いという自負がある」

「……サラさんからも、それについては少し聞いています。貴方は、剣技のみで五宝人を打ち破ったそうですね」


 王様はそこで言葉を一度切ると、諦めたような表情で続けた。


「全く……こんなに強い方がいるなら『ウツノミヤ』周辺の強化など必要なかったのかもしれませんね。ええっと、タケルくんのお友達の方……ゴウケンさんの家はわかりますか?」

「…………この近くですの?」

「いえ、上層部の外にあります。1人付き添いで道案内をつけますね。先に城の外で待っていてください」

「感謝いたしますわ。それでは」


 アイリは頭を下げる。下げた途端に、汗が床に落ちた。

 最後の最後で、彼女は地雷を踏みかけた。

 相手は鎌をかけた意識はないだろうが、彼女からすれば明確な鎌であった。

 踵を返し、2人は歩き出す。

 部屋を出たところでフクダは「よく回避した」と一言褒め、アイリはその言葉で胸を撫で下ろした。


 * * *


 フクダさんはそこまで話すと、お辞儀をして話を止める。


「そこから先は、フジミヤゴウケンとの話し合いで全てが解決したとだけ伝えておこう。いやはや、あまりに順長にことが進みすぎて怪しさを覚えたが、罠というわけではないようだ。事実、私とお嬢様がこの城に住み始めてから、国王の方から圧をかけられることもない」

「五宝人のすることにあまり干渉しないんですかね。彼は、闇魔法以外のことについてはあまり興味を持っていないようなので、当然といえば当然かもしれないですね」

「わたくしの加護ギフトについては、どうなのでしょう? 【支配】は闇魔法の1つですわ」

「ああ、もしかしたら、そっちの件で偵察とかにはくるかもしれないね。一応、俺の方から王様に言っておくよ。アイリは危険じゃないから心配しないで欲しいってさ」

「ありがとうございますわ。そうしていただけると本当に助かりますの」


 アイリは深くお辞儀をしてそう言った。


 それから、しばらく沈黙が続く。

 隣に座るお嬢様の頬が赤く染まっているのを俺は確認する。


 これは何か? 新手のいじめか何かなのだろうか。

 気遣いをしすぎた結果主人を追い込むのは執事としてどうなのだろうか?

 とかなんとか考え、フクダさんを心の中で責めたりしてみるが、よっぽど俺の方が酷いことをしていたなと思ったりして彼のことを責め切ることができない。


 このまま2人で黙りこくっていても話が進まない。

 アイリから話を切り出すのは中々勇気がいることだろう。

 話題を変えるということもできるが、それは人としてどうかと思うのでしたくない。

 まあ俺人間じゃないけど……せめて人間らしいことをして存在していたいのだ。


「えっと、アイリ?」

「な、なんですの……?」

「アイリって俺のこと好き……だったの?」

「え……ええ…………そうですわね……」

「い、いつから……?」

「は、はじめから……? ですわ。モンスターから救っていただいたあたりから……」

「あっ、本当に最初からだ……ごめんね……俺全然気づかなくて……」

「いいのですわ……わたくしも極力、表に出さないように努めていましたもの……」

「なんだいこのぎこちない会話は?」

「フクダさんのせいですよ!」

「フクダさんのせいですわ!」


 突如会話に入ってきたフクダさんに俺たちはツッコミを入れる。それがどこかおかしくて、俺たちは顔を見合わせて笑い合った。

 回想シーンでヒロインの気持ちをバラした張本人はどこか楽しそうに表情を崩していた。

 最初から最後まで、俺たちはフクダさんの掌の上で踊らされている。


「アイリの気持ち、分かったよ。正直、複雑な気持ちだ。嬉しいって気持ちもあるんだけど、これまで娘のような気持ちでアイリには接していたから混乱してる」

「でしたら、タケル先生は今まで娘みたいな女の子に甘えていたんですの?」

「…………俺の元いた世界では、常識なんだ。年下の女の子をママって呼んだり……一種の愛情表現だね」

「それなら安心しましたわ。わたくしの好きな方が変な嗜好を持っているのかと思いましたの」


 胸が痛い。いや、実際俺にはそんな趣味はないんだけど、アイリは俺が一緒に旅をしていたどの女の子よりお姉さんだったから甘えざるを得なかった。

 むしろお姉さん組、もっとしっかりしてくれないかと声を大にして主張したい。


「わたくしの方は、思っていた通りなので、別に特段驚いたりしていませんわ。先生が私の気持ちに気付いていないことも、先生と教え子という関係で接していたこともわたくし分かっていましたから。……タケル先生?」

「ん? どうかした?」


 アイリが急に俺のシャツの裾を握る。瞳を滲ませながら上目遣いになる。


「わたくし……可能性があると思っていいですの?」

「それは…………」

「タケル先生が他の女性からも言い寄られていることをわたくしは知っています。でも…………わたくしもその方々と同じくらい……いえその方々以上にタケル先生が……好きですの」


 一回りも二回りも小さい女の子だというのに、その仕草はとても色っぽい。

 親に物をねだるそれとは異なる、艶美なおねだりに俺の胸は大きく跳ねる。

 誰にそんな顔教わったんだ!先生許しませんよ!とこの事態を茶化しにきた俺を拳でねじ伏せ、俺は彼女に真剣な表情で向き合った。


「可能性はあると思ってくれていいよ。ただ……俺はこれまでの関係が壊れるのが怖い。アイリを好きになることはある……というかもうすでに好きだけど、全員を選ばない可能性だってある。それでもいいの?」

「ええ、タケル先生ならそういうと思っていましたわ。それで構いませんわ。それでも、わたくしの気持ちを受け止めてくれた先生には感謝しますの」


 そして、一呼吸おいて彼女は続けた。


「今日から、わたくしたちの関係は壊れはしませんが……変わってしまいますわね」

「そう……だね。これまで通り、娘のような見方をするのは失礼なことだと思う」

「だから先生。先生のことは……これから『タケルさん』と呼んでもよろしいこと?」

「っ!? ……そうか……そうだよね。わかった。先生って呼ばれなくなるのは寂しいけど仕方ない」

「いえ、呼ばなくなるわけではないですわ。2人きりの時だけそう呼ばせて欲しいですの」


 アイリは音もなく、軽やかな身のこなしで俺の懐に入り込む。

 そして、唇を耳元に寄せ、囁いた。


「だって、そちらの方が興奮しますでしょう? タケルさん?」


 その言葉に、俺は椅子から転げ落ちる。心臓の鼓動が……治らない。

 脳裏に、彼女の甘い声が、耳にかかる優しい吐息が焼き付き、離れない。

 床に腰をつく俺を見下ろし、頬を赤く染めて艶やかな表情を浮かべる。


「タケル先生、赤くなって可愛らしいですわ。これからも、よろしくお願いしますわ」


 こんなことされたら、これまでの関係に戻るのは確かに無理だろう。

 否が応でも、意識させてしまう彼女の女性の部分に俺の胸は未だ早鐘を打つのであった。


 *


 その後しばらくお茶をしたり城の中を案内された後、俺は帰ることになった。

 案内されている間、城内にいた使用人を数えたところ、10人は超えていた。

 ゴウケンのやつ本当に金持ちなんだな。

 家訓がなんか強くあれとか言ってたし、もしかしたら代々傭兵家系で、『トウキョウ』を支えてきたのかもしれない。それで一定の地位が与えられているということだろう。


 俺が今日ここにきた理由を忘れかけていた。帰り際、俺はアイリに尋ねる。


「俺たちの旅は終わっちゃったわけだけど、アイリはこの後何をしようと思っている?」

「そうですわね……ミリアさんたちとも旅できるのももう終わりですものね」

「あ、なんかごめんね。悲しい話題振っちゃって」

「いいのですわ。わたくしは、これから闇魔法のイメージアップ運動に努めて行こうと思っていますの。昨日、王様から直々にお誘いがあって、それに乗る形ですの」

「そうなんだな。わかった。俺の力が必要な時はいつでも呼んでくれ」

「もちろんですわ。その時はよろしくお願いしますの」


 ドレスの端を摘み、軽く会釈する。

 彼女の思いは聞き届けた。闇魔法の迫害については、俺はかなり踏み込んでいる。彼女についていくのも、きっと有意義な時間になるんだと思う。

 まだ外は明るい。どこかに寄って帰ろうか。

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