第117話 北の防衛戦5

 戦いの火蓋はフクダの一撃によって切って落とされた。

 殆どノーモーションから繰り出される高速の突きを、彼女は体を横に向けるだけの最小限の動きで回避する。

 フクダは突きを入れた刀を横に倒すと、そのまま横に薙ぎ払うが、右手のナイフでそれを受け止められた。


 単純な力で考えれば、大人の腕力から繰り出される一撃を、10歳かそこらの幼女腕力で受け止められるはずがない。それをするためには、魔法少女リリのように【雷】の魔法によるブーストをかけることなど、何かしらの魔力補助が必要になる。彼女の場合はそれを【支配】によって行っていた。


 加護ギフトは、例えば同じ種類のものであっても、人によって千差万別の違いがある。ミリア・ネミディアとシャーリー・リデルは共に【召喚】の加護ギフトを所持しているが、前者は専用の空間からモノを出し入れする能力であり、後者は扉から別の扉の空間を繋ぐ能力である。

 直近でこの世界に現れた【支配】の魔王(仮)は他者の精神支配を行う能力を持っていた。しかし、同じ加護ギフトを所持している彼女……フジミヤアイリは別の形で【支配】の加護ギフトを授かっていた。


 彼女の持つ【支配】の能力の本質は自己支配であった。自分自身を支配し、その小さな体躯が触れるほんの少しの世界を支配する、物分かりがよく自分への抑圧が強い彼女らしい能力が発現したと言える。


 彼女は今、その手に触れているナイフを支配し、空間に縛り付けることで、フクダの岩を砕くほどの一撃を無力化している。彼女のそれは相手を上回る力による相殺ではなく、無力化であり、フクダの持つ宝具北斗に浮かぶは泡沫の夢シチセイケンの破壊の効果までも封じ込めていたのである。


 攻撃が通らないことにフクダは顔を歪めるが、彼は頭を切り替えつぎのプランへと移行する。


「(力比べではこちらに勝ち目は無いようだ。しかし、速さなら)」


 フクダはアイリから距離を取ると、宝具を腰に構えた。彼の出せる最高速。一瞬の抜刀のうちに繰り出される目にも留まらぬ斬撃であれば彼女のナイフが攻撃をはばむことはないと考えたのだ。


 彼は集中力を高め、アイリの一瞬の隙を伺っていた。しかしここで彼は気づくのである。彼女には隙があることを。寧ろ、隙がありすぎていることを。これまでに倒してきたどんな強者よりも強いはずの目の前の幼女は、どうしてか、そのどんな強者よりも隙で溢れていた。彼の頭の中には何パターンもの勝利の光景が浮かんでいる。どのように近づいても、どのように刀を振るっても、どのタイミングで攻撃を繰り出しても、彼は勝利している。戦闘に慣れていない溢れる素人感が彼女の立ち振る舞いからは感じられていた。


 勝ちを確信したフクダは己の一撃を信じ、構えた刀をついに解放した。一瞬の跳躍力によって、彼女との間合いを詰める。刀の柄が先行し、ゆっくりと刀身が動き出そうとしたところで、彼の一撃は失敗に終わる。


「…………っ!!!!?」


 フクダは驚愕する。彼の腰部分にあった刀の柄には、何故か既にアイリのナイフが添えられていたのだ。アイリは反撃と言わんばかりに、幼いながらには鋭い一撃を繰り出すが、それはフクダが後ろに引いたことによって外れてしまう。


 再び距離をとったフクダは今の現象を冷静に分析していた。


「(私は今の一撃で勝利していた。勝利していたはずだった。私の目に狂いはなかったはず。彼女の反応スピードを超える一撃を、私は出していた筈……だ。しかし、彼女は何故……)」


 そこまで考えたところで、フクダの背中には冷や汗が流れ始める。彼の中には、考えたくないある仮説が浮かんでいた。

 彼は疑問を解消すべく彼女に問いかける。


「……アイリくん。君の加護ギフトは……一体なんなんだい?」

「………………………………」


 彼女は答えない。


「君は確か、第六感と言っていた。そのような感覚、人間には備わっていない筈だ」

「………………………………」


 それでも彼女は答えない。そこでフクダは言葉が彼女に聞こえていないことを思い出す。


「聴覚を遮断しているのだったね。第六感という言葉を私は知っている。虫の知らせというやつだろう。不意に、神託のように何かの予感がするといったものだ。君はそれを…………未来が見えているというのか?」

「………………………………」


 彼女は答えないが、フクダの中には確信があった。自信を持って打ち込んだ一撃が、その技の出始めを封じられているのだ。フクダ自身、敵の行動の先読みを【魔力探知】で魔力の動きを見ることで行なっているため、彼女のそれはそんな生易しいものではないことはすぐに理解できていた。彼は未来予知にも似た先読みを、魔力を感知し、分析・判断をし、その過程を通って実現している。しかし、彼女はそのような過程を一切経ることなく、何が起きるのかを、するべきことがなんであるのかを、一瞬にして理解して、理解した時には行動を終えている。そう思わなければ説明ができない反応速度を彼女は有していた。これが未来予知でなくてなんであるというのだ。

 本当に彼女が未来視をしており、攻撃全てを読みきっているというのであれば、彼の勝機は限りなく薄い。しかし、絶望的な状況であるにもかかわらず、彼はそれでも諦めてはいなかった。否、この先の人生を諦めたからこそ、彼はこの勝負を諦めることはなかったのだ。


 彼は北斗に浮かぶは泡沫の夢シチセイケンを己の出せる力全てを出し切って振った。一太刀が三太刀に見えるほどの攻撃をくりだして尚、彼女には届かない。

 アイリは、必要最小限の動きで、ナイフを細かく動かし、時に体を反らし、フクダの斬撃全てをかわした。


 体力の限界などとうに超えている筈だというのに、フクダの身体はなぜか動いていた。5分にも及ぶ激しい斬撃の雨を降らすが、彼は一度も彼女の体に触れることができなかった。


 しかし、彼に勝機が訪れる。これまで攻撃全てが、打ち始めと同時に防がれていたが、彼の力に負けてか、彼女のナイフはその手から離れたのである。彼女にも魔力の限界がある。フクダは魔力、体力ともに彼女に勝利したのだ。


 彼は一瞬攻撃を躊躇う。しかし、もう何もかも全て諦めてしまった彼は、幼子一人手にかける事をやめなかった。


 彼の一閃がアイリの腹部を横薙ぎにする。する筈であった。しかし、それは叶わない。肉薄したアイリは、フクダの胸にそっと手を当てた。そこでフクダは自身が完全に敗北していることに気づくのだ。初めから、彼女の手玉に取られていたことを理解する。彼は刀を握る手の力を緩める。


 彼の刀は空間に固定されたアイリの柔らかな服に阻まれ、地面に落ちた。


 勝負が決したところで、アイリは聴覚を取り戻し口を開く。


「わたくしの勝ちですわ。少しでも動けば……」

「私の心臓は君の【支配】で空間に固定され、血流が止まったことにより私は死ぬ」

「ええ。その通りですわ」

「そうするといい。是非、そうしてくれ。私はもうやりきった。短い人生だったが、目的に気付き、それを達成することができた。そこらの人間より十分幸せだ。それでもういいではないか」

「ですから、ダメだとさっき言いましたわ。貴方には、わたくしのこれからの、人生の道案内をしていただかなければなりませんの」

「やめてくれ。私は君が思っているような大人ではない」

「自分に自信がないのもわたくしによく似ていますわ」


 アイリははにかむと彼をからかうようにそう返す。そしてトドメの一撃を放つのだ。


「わたくし、今はお父様がいませんの。フクダさん…………わたくしのお父様に、なってはいただけませんこと?」


 彼女は優しい声音で彼にそう告げる。その言葉に、彼の灰色になった世界は一瞬の内に色を取り戻す。彼は一度、人生を終えた。そして、今日から新しい人生を歩むのだ。彼女のためであれば、再び歩みを続けられる。そのような予感が彼にはしていた。【魔力探知】などなくてもこの予感は外れはしない。彼の瞳からは年に似合わず、自然と涙が溢れていた。胸に添えられた小さな手を握り、彼は祈るように膝をつく。

 彼女の加護ギフトに彼の剣技は支配され、彼女の言葉に彼の心は支配されてしまうのであった。

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