第114話 北の防衛戦2

 お父様の背中が視覚の強化なしで見えなくなったところで、サラさんが口を開きます。


「貴方は行かなくていいのかしら?一応あの巨人の班なのでしょう?」

「そ、そうでしたわ……でも、わたくしはこれから見張りの仕事をゴウケンさんから引き継ぐことになっていますので、こちらに残りますわ」

「そう。なら頼らせてもらうわ。私の班には貴方のような眼の良い人間がいないの」


 サラさんはそう言うと、ぎこちなく表情を緩ませてまた退屈そうに草原の遠くをぼんやりとした眼差しで眺め出しました。彼女はお父様のように好戦的な性格ではないと思いますが、それでも明らかに暇になることが予想されるこの北側の防衛は嫌になることも多いのでしょう。


 わたくしはお父様のように大きな跳躍はできないので、備え付けられた土の階段で高台に登って監視を始めました。と言っても、そこまで忙しい事態になることはないと思いますので、少しこのお暇の理由でも話すとしましょう。


 北側が暇になるのには理由があります。それは魔王と手を組んだ国が『トウキョウ』の西側にあるからです。その国の名前は『オオサカ』。この大陸において『トウキョウ』と肩を並べる一大国家です。東の『トウキョウ』、西の『オオサカ』と表現されることが多いです。どうやら今回発現した【闇】の魔王はその『オオサカ』と手を組んでいるそうなのです。魔王がその力で『オオサカ』を支配下に置いている、というのが正確なのかもしれません。そして、この大陸で2番目の実力を持つ国と手を組んだ魔王は、今度はこの大陸で1番の『トウキョウ』を征服することで、この世を混沌の渦に陥れようとしています。話は戻りまして、結局のところ、この大陸で2番目に力を持つ国が魔王の協力者になってしまい、巨大な魔王軍が『トウキョウ』の西側に位置しているため、西に比べて北は暇になってしまっているというわけです。


 それからおよそ30分。兵士たちの負担を減らすために、半分ずつ休憩に入りながら北の監視を続けることになっているため、約500人にまで兵士が減ってしまっていました。かく言うわたくしも、【感覚操作】の加護ギフトを常時発動することは魔力量の関係でできないため、10分に一度視覚強化を行って監視をするといった具合に適度に働くことになっています。これから魔王が討伐されるまでの確約されない期間を防衛し続けることになるため、この程度の周期で良いとのことです。瞬きの僅かな一瞬で何十メートルもの距離を移動できるリリちゃんやタケル先生のような人間がこの世に大勢いるとは私も思えませんし、サラさんの指示は間違い無いのでしょう。


 時間になったため、わたくしは本日3度目の見張り番に着きます。高台に登り、広がる草原を眺めます。視覚を強化しない状態では、敵はどこにも見当たりません。しかし、加護ギフトを使えばより遠くまで見ることができます。わたくしが【感覚操作】によって視覚を強化すると、遠くの景色が一気に目前に迫ります。急に目が良くなるというのは少し違和感のあるものそうですが、わたくしは小さな頃からこの加護ギフトには慣れているので、視界が少し揺れていてもそこまで違和感はありません。

 視覚を強化したまましばらくの間遠くを眺めます。


「…………何も来ていませんわね」


 敵の確認を終えて一人そう呟き、わたくしは高台から降りようとします。そこでわたくしはある違和感を感じるのでした。


「視界が揺れるのはいつものことですわ。でも今のは……!」


 わたくしは血の気が引く感覚で全身に鳥肌を立たせながらも、急いでこれまでと異なる感覚を強化します。


 ザッ、ザッ、ザッ…………


 平衡感覚を失い立てなくなった体を地に落とし、わたくしは力の限り叫びました。


「魔王軍接近ですわ!!距離はおよそ500メートル!!」


 私の警告に合わせて、これまで退屈そうにしていたサラさんは立ち上がり、何もないはずの草原に向けて風の刃を放ちました。

 距離の問題で威力そのものはほとんど無いように思えましたが、それでも敵陣の透明化の加護ギフトを解除するには十分な効果がありました。


 何も無い空間から人影が現れます。再び強化した視覚でその先頭に立つスーツ姿の男性を視認します。男はサラさんの放った風の刃を腰にかけた刀で一刀両断します。


「あの人は……どうして!」


 草原が戦場に変わった瞬間です。そこにはおよそ2000人もの兵を引き連れた『ウツノミヤ』の長、フクダさんがわたくしたちの前に立ちはだかっているのでした。


 *


 突如現れた魔王軍により、『トウキョウ』の兵士たちに緊張が走る。敵の数およそ2000人。それに対し『トウキョウ』の防衛兵たちは500人以下である。彼らはその全てが、魔力ステータスがA以上であり、寄せ集めの群勢ではない。それでも戦闘において数というものは圧倒的なアドバンテージを生むものであり、『トウキョウ』の兵士たちは苦戦を喫していた。しかし、数を凌駕する戦力は存在する。それこそが最強国の中でも最も優秀とされる属性魔法使いに与えられる称号【五宝人】を冠する者たちである。


 彼女は戦場を風を纏いつつ駆け抜ける。その両手には人の体をまるごと拘束できそうなほどに大きな手錠が握られており、踊るように敵の攻撃をかわしながらその手錠で敵を殴打した。直接的な威力に乏しいその攻撃は、敵を倒すための決定打にはなり得ない。しかし、無力化という点ではそれだけで十分であった。


 叩かれた魔王軍は、手錠に全身を拘束されその場に倒れこむ。しかし、彼女の手から離れたはずの手錠は、何故かまだ彼女の手に握られたままであった。


「次、次! 数が多いわね。どうして私まで戦わないといけないのかしら。復読がいいところだったのに、迷惑だわ」


 先ほどまで脳内でこれまでに読んだ文学作品を読み直していた彼女はそれを邪魔されて不機嫌なのである。


「拘束しなさい群れを食う手枷グレイプニル。私の【風】とともに!」


 踊るように、舞うように彼女は体を風に乗せて次々と敵を群れを食う手枷グレイプニルで拘束し、後の処理を他の兵に任せる。彼女の【記憶】がはじき出した、効率的に敵を無力化する作戦であった。彼女は疾く、また体捌きと風のサポートにより遠距離弾を弾くため、敵陣後衛からの攻撃の一切を無効化し、彼女にとって一対多であるはずの戦場は、その実一対一の連続に作り変えられていた。戦場で無双する彼女の姿に、味方であるはずの兵士たちは唖然としながらも、群れを食う手枷グレイプニルによって拘束された敵兵を処理していった。


 数の差で圧倒していた魔王軍は【風王】サラという例外的な戦力の前に拮抗を余儀なくされているかと『トウキョウ』の兵士は誰しもが思った。しかし、サラと同様に、魔王軍にも一対多の有利不利を有耶無耶にする戦力を個人で有する者がいた。

 一本の刀のみで多を圧倒する白髪の男性、現『ウツノミヤ』国長……フクダカズアキだ。

 フクダは四方八方を取り囲む『トウキョウ』の兵を、目にも留まらぬ速度の斬撃で斬り伏せた。極まったその剣技は、もはや加護ギフトの域に至っており、剣筋が複数に感じられるほどのものであった。


「遅い。動きが、それ以上に決断が。技の出始めが読まれているに気づいていないのか?」


 フクダの持つ加護ギフトはただ一つ……【魔力探知センサー】。周囲の魔力を鮮明に感じ取れるこの加護ギフトと、彼の長年の戦いの勘が敵の次の一手を導き出す。その力は、かつてあのミリア・ネミディアを瀕死に追い込んだほどのものだ。

 彼は斬り伏せた兵士の血を浴びた刀で宙を切り、その血を払う。彼の刀はたとえ何人切ったとしてもその切れ味を落とすことはない。北斗に浮かぶは泡沫の夢シチセイケンは七つの魔法石が埋め込まれた宝具である。それらの魔法石は人に危害を加えるには些か力不足であるが、【水】の薄い膜による表面の保護など刀のメンテナンスの役割を果たしていた。


 サラとフクダという例外的な戦力を中心に両者の戦闘は続く。互いの兵がもう指で数えられるほどの人数になったところでついに、二人の強者が接触する。


 サラは眼鏡をクイッと上げ、鋭い眼差しで刀の男を見た。


「貴方はフクダカズアキね?『ウツノミヤ』のギルド長。そちらのギルドにはもう借りていた人々を返却したはずなのだけど、何か不満があるのかしら?」

「初めまして、サラ・ライブラ。君と会うのは今日が初めてだが、すぐに君のことは分かったよ。確かに、噂に違わない恐ろしい力の持ち主だ。それと、『ウツノミヤ』はもう国だ。データを書き換えておいてくれたまえ」


 フクダは肩をすくめて、そう言う。これまで何百もの兵を相手に戦ってきたと言うのにそこまで疲弊した様子は感じられない。一方のサラは額に汗をかき、少々の焦りを感じている様子であった。


「質問に答えなさい。貴方が私たちの敵になる道理がないでしょう?早く兵を引き上げなさい」

「質問に答えよう。『ウツノミヤ』に『トウキョウ』を敵視する道理はない。今日この場で私と同じ国から出向いているのは、私と遠く後ろで役目を終えた長髭の老人だけだよ」

「ではこの兵士たちは……」

「お喋りはここまでにしようか。私たちは敵同士。変に話して情でも移ったら大変だろう? それに、話を長引かせて時間を稼ぐつもりなのは分かっている。仲間を呼ばれる前に早々に決着をつけさせてもらおうか」


 サラの苦虫を潰したような表情を浮かべると、フクダは彼女のその心境の変化を見逃すことなく、およそ10メートルあったかと思われる距離を一瞬にして詰め寄った。フクダの瞳が彼女を捉える。その目にはしっかりと彼女の身体中を循環する魔力が映っていた。

 一歩引こうとした彼女の足の側面にフクダは蹴りを入れる。剣術のみならず体術にも長けた彼の一撃を、肉体戦闘に劣るサラはかわすことができず、苦痛に歪んだ表情のまま草原を転がされ、咄嗟に【風】の加護ギフトで地面に叩きつけられる衝撃を抑えた。


「(足がっ!骨は折れている。しかし問題はそこじゃない)」


 サラはこれまで感じたことのない衝撃を受けながらも頭の中で状況把握に努めていた。彼女は明確に足を中心に体に異常が起きていることを感じ取る。そして膨大な知識の海から今の自分の状況を説明する理由を探し当てた。


「(魔力管……しかも足に通っている一番太い魔力管を傷つけられたわね。【魔力探知】の加護ギフトがあったとしてもそれを一度で成功するだなんて)」


 出力の落ちた魔法によって一命を取り止めたが、それが根本的な解決になっていないことを彼女は理解している。知識による裏付けから状況の整理を行ったサラは、押さえきれない絶望感を感じていた。


「(私と彼とでは絶対的な技量差がある……!)」


 加護ギフトの取り扱いに長けた優等生サラは、実践の経験が少ない。それでも、彼女は生まれ持った天性の魔力量とセンス、そして魔力に対する造詣の深さによって【風王】の座についていた。並みの兵士や冒険者などと比べてもサラの実力は抜きんでている。しかし、あまりにも相手が悪かった。


 一切の情を捨てた目をしたフクダは草原に膝をつく彼女を見下ろしていた。

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