第112話 勘のいいガキは嫌いだわ

 長時間の読書で体が固まったため、俺は一度立ち上がり背伸びをした。同じ姿勢をずっと取るのってなんでか疲れるんだよな。俺は無事に全巻読破し終えた『こばと』の最終巻を机に置くと、顔を上げる。

 視線の先には、未だ姿勢を崩さずじっと本を読んでいるサラさんが映った。彼女はこちらに気付くと、本をたたむとカツカツとこちらに歩き出す。そして、俺の隣の椅子に座ると、口を開いた。


「もうご帰宅かしら?そろそろ時間も時間でしょうし」

「そうですね。そろそろ帰ろうかと思います。貴重な本を読ませてくれてありがとうございます」

「いいのよそれくらい。内容は、もう私の頭の中に入っているのだから。王様含め、お偉いさんたちはが欲しているのは、本ではなくその中の知識ですのも」

「やっぱりそうでしたか」

「やっぱり?どういうことかしら?」

「サラさんは本が好きなんだなってことです。内容を知っていても、本を読みたいって気持ちがあるんですよね。俺も少し分かります。物語を読んでるんじゃないんですよね。物語を、本という形で読む……その活動自体に幸せを感じるんですよね」


 俺がそう言うと、彼女は驚いたように目を開き、唇を丸い形にして薄く開いた。そして少し頬を綻ばせる。


「タケル、貴方も少しは分かっているじゃない。その通りよ。私は本が好き。本を読むのが好き。紙の上に書かれた言葉たちを意識を全て集中させてじっくりと読むのも、時に本から顔を上げこれまでの描写を頭の中で組み立てることも、愛した物語で胸がいっぱいになってそれを抱きしめるのも……全て本でなければならないわ。貴方もそうなのでしょう?本を読みながら時折それを閉じては余韻に浸り、再び読み始める。貴方は楽しみ方を分かっていたわ」

「え、俺そんなことしてました!?ちょっと恥ずかしいんですけど!」


 まじか。俺本読んでいる間、そんな行動していたのか。サラさんも離れていたし、完全に1人の時間を満喫していた。


「恥ずかしいことじゃないわよ。それが普通なの」

「そう…………なんですか?」

「そうよ。タケルのことを少し見直したわ。貴方も、私のことを呼び捨てで呼んでいいわよ。それと、丁寧に話さなくても結構。貴方歳はいくつ?」

「18です」

「なら尚更おかしいじゃない。私も18よ」

「えええ!?サラさん俺と同い年だったの!?完全に大人の女性だと思ってたんですけど!?」

「ですけ……ど?」


 サラさんは不満げな表情で訂正するように訴える。体型とか、落ち着き様とかもう色々ひっくるめて30いかないくらいのお姉さんだと思っていた自分が恥ずかしくなってきた。いやでもこれは普通に間違えるだろう。


「ごめん直す。サラ、これからよろしくな。お互い、魔王からこの世界を守るために頑張ろう」

「ええ。といっても、私はそこまで頑張る様なことはないでしょうけど」

「それは何でだ?サラも明日から防衛で国の北側を守ることになってるんだろ?」

「私は指示を出すだけだもの。実際に闘うのは他の兵士たちよ。もし私が闘うなんてことになったら…………それはこの国が真に危機的状況に陥っていることになるわ」


 サラは深刻そうにそう言った。彼女が最終防衛ラインってことか。でも王クラスの魔力を持った彼女が前線に出ないのは勿体無い気もする。まあ、集団戦闘の定石を俺は知らないし、何かサラなりに考えがあるんだろう。


「なるほどな。サラが闘うことにならない様に願ってるよ」

「ありがとう。タケル、ところで帰りの時間は少し遅れても問題ないかしら?」

「大丈夫ですけど、どうかしましたか?」


 どうせ、今帰ってもアイリが集中できなくなるだけだと思うし、寧ろ帰らない方がいいまであるかもしれないしな。俺が頷くと、サラは優しく微笑んだ。


「貴方と少し話をしたいのよ」


 そう言って椅子を少し動かしさらに俺に接近してくる。胸元の強調された服を着ていた彼女を少し意識してしまうが、申し訳なくなって顔を逸らした。高鳴る鼓動を抑え、冷静を装って返事をした。


「話って何ですか?」

「貴方の加護ギフトのことよ。正直言うと、私は貴方にとても興味があるの。こちらの世界では説明できない能力があったら、知りたいと思うのが当然だと思わない?」


 さも当然の様に彼女はそう答える。こちらの世界では説明できない……ということは、サラは俺の加護ギフトが【世界の加護ギフト】表記になっていたことの謎について気付いていたということか?サラに会ったのは恐らく俺が異世界に来て最初の時、しかもほんの30分程度の同じ部屋で話を聞いていた程度の関係だ。たったそれだけの関係で俺の加護ギフトの謎について分かっていたと考えると恐ろしい。ミリアと旅なんてしないで早くからサラと行動していれば良かった。これはミリアに失礼すぎる。


「サラは本当に知ることが好きなんだな。知識について貪欲だ」

「当たり前じゃない。知識を得ることはとても楽しいことだわ。それにお母様から昔から言われているの『多くを知りなさい。そうすれば貴方の世界は変わるでしょう』と。私の座右の銘よ」


 彼女は誇らしげな表情でそう言った。座右の銘なんて俺はまだない。18でもう人生の筋を決めているなんてやっぱり大人びてるなと俺は思う。やっぱり30手前に見えてきたぞ。


「そういう訳で、私はタケルのことが知りたいのよ。教えてもらえるかしら?」

「事情は分かった。そういう事なら俺の方からも頼むよ。実は俺自身、自分の加護ギフトについては分かっていないことも多いんだ。何か考察できることがあったら言ってくれ」


 そうして、俺は彼女に俺の知りうる限りの情報を伝えた。途中までは予想通りと言った様な表情だったが、具体的な加護ギフト内容……つまり【二律背反するものアンチノミーヴァッフェ】の説明と、それを手に入れるまでに至る異世界の様子を聞いて驚いた様子だった。

 話を聞き終えると、サラは椅子に深く腰掛け天井を見上げて考え事を始めてしまう。彼女の周りには水色の薄い光でウィンドウが複数開き、ピコピコとした機械音じみた音が鳴っていた。加護ギフトを使って何かをしているんだろう。

 少しすると、彼女はゆっくりと目を開けた。


「待たせて悪いわね。記憶の書き換えをしていたの。少し予想と異なる点があったから」

「【記憶】ってそんなことまで出来るんだ。便利な加護ギフトだな」

「でも、先程タケルが話していたコンピュータの真似事ね。それを誰でも使えるとすると、そちらの世界では知識はそこまで重要な財産じゃないのかしらね」

「いや、知識を貯めておくのは機械であって、人の頭じゃない。結局知識を使うのは人間な訳だし、サラの加護ギフトはこちらの世界でもまだ実現できてない技術だと思うぞ。もしそんな技術が俺の世界で生まれたらどうなるんだろうな」


 少なくとも学校のテストは無くなるだろうな。だから学校では心の授業が中心になるんだろう。心を整えるために武道を習おう。一応武道経験者なので、イキってるんだ。察してくれ。


「それより、サラはあまり驚かなかったよな。俺の世界には魔法がないって話。もしかして知ってた?」

「知っていたわ。そちらの世界の日常風景は漫画でしっかり予習済みよ。『日常』は全巻読んだもの」


 あれは日常作品ではない。まあ分かって言ってるんだろうけど。あえてツッコミを入れないシュールなネタもあの作品の魅力だ。伝われ俺の真意。すごくオタクっぽい会話の仕方をしているな?

 少し間を空けて話を続ける。


「…………そうだよな。あれ、でもそれだとおかしくないか?だって俺がこの世界に呼ばれたのは、俺の世界の力が必要だったからだろ?」

「そうね」

「そして、王様は俺が最初にこちらの世界に来た時『魔法はつかえないんですか?』と聞いていたよな?」

「…………その通りね」

「もうひとつ質問いいかな?………………俺の世界の情報について、報告をまとめていたのは誰だ?」

「…………貴方のような勘のいいガキは嫌いだわ」


 悪い顔で彼女がそう言い放った後、しばらくの沈黙が訪れる。

 そして、互いに堪え切れなくなり、笑い出す。最初に笑いだしたのがどちらかは覚えていなかったが、気付いたら俺たちは笑いあっていた。

 ひとしきり笑うと、サラがこちらに手を差し出して来た。俺は彼女に応え、その手を取った。


「今までこんな会話をしたことがなかったから新鮮だわ。タケル、貴方最高ね」

「それはどうも。『ハガレン』がリリの好みに合う作品であって良かったよ。それにしても意外だな。サラが報告をわざと間違って出すなんて、そういう性格じゃないと思ってた」

「私は本に対しては誠実な性格なの。もし異世界では魔法が無い、なんてことになれば彼女が異世界に行けなくなってしまうかもしれないじゃない。そうなったら私が困るわ。『リボーン』の続きをまだ読んでないもの」

「あはは……それもそうだな」


 残念ながらサラにその作品の続きを読ませる気は無いが、俺は相槌を打った。


「話を戻すわ。貴方の加護ギフトは……いえ、あちらの世界で起きた奇跡は不思議な能力ね。武器にのみ反応する防御能力。しかもそれは貴方がこちらの世界に来てからも発動している」

「そうだな」

「力を使うためには何かしらの代償が必要よ。こちらの世界であれば、加護ギフトを使うためにはこの世界での奇跡の力、魔力が必要になるわ。しかし、貴方は魔力を使うことが出来ないにも関わらず能力が発動している。そうなると、貴方自身がその力の源…………つまり奇跡そのものな訳でしょう? にわかには信じ難いわ」

「ああ、自分でも信じられないよ。でも事実だ。俺自身が向こうの世界での奇跡の形なんだよ」


 そして、俺は続いて疑問に思っていたことをサラに告げる。


「だから、俺のいなくなった向こうの世界が俺は少し心配だ。今は……こちらの世界でやらなければならないことがあるから帰れないけど、いつかは帰らないといけないんだろうなぁ」

「それはする必要ないのではないかしら?だって貴方は向こうの世界を救うために現れたのでしょう?だとすれば、貴方のいなくなった世界には、貴方と同じ目的のもと作られた他の何かが現れて世界を救ってくれると思うのだけど」

「それは……」


 彼女の言葉を聞き、俺は心を揺さぶられた。確かに彼女の言っている仮説はもっともな話だ。今まで気付かなかったが、その可能性は大いにある。もし本当であれば…………


 俺は開いた手のひらを見つめた後、軽く握った。過去、切断されたはずの左腕は今では一切の外傷なく機能していた。


「だとしたらいいんだけどな。心置きなくこちらの世界も救えるってもんだ」

「何よそれ。貴方魔王に1人で勝とうとでもしているのかしら?」

「さあどうかな。でも、俺1人で勝てるんならそれに越したことはないと思うけど」


 俺はそう言葉を残し、図書館を後にする。最後に見たサラの表情は、異世界の未知の知識に触れることができて満足そうに見えたのだった。

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