第90話 タケル覚醒

「戦う? 私と?」


 クレハは嘲笑気味にそう答えた。


「その通りだ。クレハが自分の思うような可愛らしくか弱い存在であることを俺が証明してやる」


 俺は真剣にそういうが、それでもクレハは笑うのをやめない。


「タケルくん、それは無理だよ。私はタケルくんよりも強い。タケルくんは自分の加護ギフトを過信しているようだけど、それは間違いだよ。タケルくんの加護ギフトは無敵のようで無敵じゃない」

「やってみないと分からないぞ。それに間違っているのはクレハの方だ。俺の加護ギフトはただの防御の加護ギフトじゃない」

「まあいいや。戦おう……タケルくん。私の愛する人って事で命までは取らないから安心していいよ」

「いらない心配をどうも、いつでもいい。かかってこい」


 俺はクレハに挑発的に指で「かかってこい」とサインする。

 クレハは頬を微妙に吊り上げ、俺を凝視する。

 敵を値踏みするような彼女のねっとりとした気味の悪い視線を受け俺は屈する事なく、戦闘態勢に入る。


 俺が両手を握りこぶしにし、構えたところでクレハが踵を鳴らした。

 俺は足元に何か違和感を感じる。

 間違いない。あの攻撃が来る。

 攻撃を察知した俺は右足で強く足元の地面を踏み付ける。

 レンガ造りの道路はミシミシと悲鳴をあげると、俺を中心に亀裂が入り次の瞬間弾けたレンガが宙を舞った。

 そうしてクレハが仕掛けてきた攻撃を発動前に打ち消すことに成功した。


「チッ! 察しがいい」


 ちまちました戦闘が通用しないことを理解したのか、クレハは腰に携た刀を持ち俺に接近する。

 魔法による強化をかけていないというのに、ミリアの【時間タイム】の速度に迫るかのような速度を出すクレハ。

 やはり彼女はかなりの実力者だ。


 彼女の振るう刀をおれは左手で受け止める。

 およそ先日までの印象ではありえないほど強力なその一振りに俺の加護ギフトは耐え切れず、スッと小さな切り傷が生じた。

 彼女の攻撃力が高いのか、それとも俺の加護ギフトが彼女の攻撃に対して効力を発揮し切れていないのか分からない。

 だが、今はそんなこと分からなくたっていい。


 俺は、クレハの刀を右腕で掴み、距離をあけられないようにしながら回し蹴りを放つ。

 クレハは蹴りを繊細な体さばきでかわし、体制が崩れたところで俺が刀を引こうとするが、俺の手にはすでに刀は握られていなかった。


 クレハの加護ギフトだ。

 彼女は以前、冒険者の防具を一瞬で鍛え直したことがあった。

 おそらく今のはそれ。

 奪われそうになった刀を再錬成し、自分の手元に戻したのだ。


 手元に戻ったそれは、すでに刀ではなく、別の武器へと変化していた。

 それは大きな黒い鎌。

 鎌を持ったクレハはまるで死神のような印象を受ける。

 実際問題、彼女はすでに千人以上も殺人を犯す生きる死神のような人間なのだけども。


 彼女はまるで踊るように鎌を振り回し、しかし彼女の攻撃は俺にわずかな傷を与える程度にしかならない。

 俺は防御することなく、彼女の鎌を素手で受け止め、鎌を奪おうとするが再錬成によってそれは阻まれる。


 これでは拉致があかない。

 彼女がそう感じてくれれば、その時点で俺の勝ちだ。


 俺は彼女の攻撃に一切屈することなく、むしろ激しい斬撃の中を一歩ずつ進んでいく。

 そして、鎌を掴み、再錬成した際の隙に彼女の右腕を掴んだ。

 そのまま手を引き、彼女の足を払う。

 地面に倒れこんだクレハの腰に俺はドサリと腰を落とし、彼女の動きを制限した。


「タケルくんのエッチ。まさかこんなところでシちゃうつもり?」

「んなわけ無いだろ。分かっただろ…………諦めろクレハ。俺はお前よりも強い」

「なーんだ、タケルくんいけず。確かに私の剣撃はタケルくんに届かないし、諦めるしかなさそうに思えるよね? でも、剣撃は……だよ?」


 彼女が含みのある言い方でそう言う。

 俺の動揺を誘って拘束を解こうとしているのか? その手には……

 そこで、俺は視界が揺らぎ、体が脱力するのを感じる。

 このままでは危ない、と俺の本能が告げていた。

 すぐに拘束を解き、彼女から距離を置く。

 立ちくらみが不意に襲い、俺は膝を砕く。


 拘束が解かれた彼女は伸びをして再び鎌を手に取った。


 俺は何をされた? アイリに加護ギフトをかけられ視力が良くなりすぎたときに感じたあの違和感とは違う。

 体から一気に力の抜ける感覚…………そうだ、バフォメットに腕を切断させられた時のアレに近い。

 血が足りなくなる感覚だ。


 俺は掠れた視界で、彼女が極小の金属の玉を指の先で遊ばせているのを視認する。


 そうか、分かったぞ……クレハは俺の血の中から鉄を抜いたんだ。

 今はあんな小さな金属球に変わってしまったが、出血であの量の金属を体外に排出したと考えれば相当なもののはずだ。

 俺の持つ加護ギフトの弱点をピンポイントで突いてくるだなんて、今のクレハは頭もかなり切れている。

 先ほどまでの『アンノウン』との戦闘で、疲弊するどころかより強力な戦士になっているのでは無いかとさえ思われる。


 足がふらつく俺に容赦なく、クレハは鎌を地面に突き刺し、勢いをつけこちらに肉薄する。

 そして、地面を抉りながら、俺の左の脇目掛けて、鎌をすくい上げるようにして攻撃する。


 意識が薄れている現状の俺ではその攻撃を交わすこと能わず、その鎌は俺の【世界の加護ギフト】を貫通し、脇から肩にかけて半分ほどの位置にまで突き刺さった。

 しかし俺の左手はまだ動く。右手は勿論だ。


 朦朧とする意識の中、右手で俺はクレハの鎌を掴んだ。

 霞んだ視界はさらに酷くなり、もう彼女の表情をはっきりと視認できない。


「タケルくんの負けだよ。今は鎌だけど、やろうと思えばこの武器は大きな盾にもなる。そうすれば、肉を掻き分けタケルくんの左腕を切断できるから」

「そんなことしても……無駄だ。俺は……負けない」

「そう…………すぐにミリアの治療を受けてね。さよならタケルくん」


 その後、クレハは「参ノ型」と呟き、俺は肩に違和感を感じる。

 ミシミシと俺の体が内側から悲鳴をあげるのが分かる。

 鎌が変形する際の白い光が視界に飛び込むと同時に…………俺の左腕は肩から切断されて宙を舞った。


 想像絶する激痛が走っているはずだが、意識が薄れた今、ぼんやりとじんわりとその痛みを実感する。

 そして、肩からの出血によってさらに俺の意識は遠のいて行き、痛みはついに感じなくなった。

 深夜の冷えた本道の地面に顔面から倒れこみ、俺は唇を噛む。

 街の外へ向かおうと歩き出したクレハの下半身だけが視界に映り、俺は届かない手を伸ばした。


 俺はなんてカッコ悪いやつなんだ。

 自分に惚れてる女の子を助けるんだとかイキがって。

 決して弱く無い相手のはずなのにいらない情けをかけて。

 挙げ句の果てに、手加減してくれていた相手の助言も聞かず、野垂れ死ぬ。


 俺の中には不甲斐ない自分に対するどうしようもない憤りと仲間を救えなかった後悔が渦巻

 いていた。

 死の淵をさまよう俺は走馬灯のようにこれまでの旅の様子が次々と浮かんでくる。

 戦ったモンスター。各地を巡り出会った人たち。

 そして、大切な俺の…………


 俺は…………まだ死ねない。

 何もしてない……まだ何も成し遂げていない!

 しなければならないことがあるだろ!

 元の世界にまだ帰れてない。

 アイリを父親の下に届けていない。

 ミリアの……俺たちの旅はまだ終わっていない!

 そして俺はまだ、生まれた目的を果たしてはいないはずだ!


 伸ばした腕を固く握り地面を叩く。


「なあ……俺には神が憑いてるんだろ? 俺に何かをさせたかったんだろ……?」


 俺は顔を見たことのない、存在するかも分からないそいつに語りかける。


「異世界で俺は死に瀕しているぞ。こんなのお前の思い通りにならないはずだ!」


 拳を地面に突き立て、ゆっくりと立ち上がる。

 もう力なんて残っていないはずなのに、不思議と俺の体は動いた。

 白く曇った視界は次第に晴れて行き、クリアな視界でクレハを捉える。

 身体中が熱い。燃えるように熱かった。


「俺は負けない……負けるわけがないッ!!!!」


 去る後ろ姿に俺は叫ぶと、クレハは振り返る。

 振り返った彼女は、顔を痙攣らせ畏怖を込めた表情で俺を見ていた。

 まるで化け物を見るような目の彼女に対し俺は再び叫ぶ。


「クレハああああああああッ!!!!!!!」


 体の熱が収まり、腕を切り落とされたことが嘘のように体の調子が回復した俺は、足の筋肉に力を込める。

 100%……200%……まだだ、まだ出せるはずだ。

 俺の体は壊れない。その様にはできてない!

 やろうと思えば、きっと俺は光速すら耐えられるッ!

 未だ嘗て込めたことのない力を足、さらに腕に込める。

 熱を持ち、いつ千切れてもおかしくない筋繊維たちはしかしそれでも壊れることはなく、俺の『想い』の強さに耐えきった。

 そして、蓄えた力を一瞬のうちに爆発させる!


 足の力を解放し、俺は最初の一歩を踏みだす。

 彼女との距離は100メートルはあったはずであったのに、目の瞬きよりも速く俺はその距離を跳躍することができた。

 彼女は視線は俺の速さについて来ておらず、ワンテンポ遅れて自分の真横に瞬間移動した俺を見た。

 背後から爆発音が聞こえる。

 踏み出しの際に起こした爆音が後になって俺の元まで届いたのだ。

 そして、右腕に滾る力全てを使い、彼女の横の何もない空間を殴りつける。


 拳圧により前方に暴風が巻き起こり、道を舗装していたレンガに亀裂を入ると同時にそれは引き剥がされ宙を舞った。

 天変地異の一撃によりバリバリと轟音が夜の街に響き渡る。

 鋭利な鋭さを持った暴風はそのまま道を荒らし尽くし、最後にギルド全体を覆う白い水蒸気へぶち当たるとそれら全てを押しのけ、堅牢なギルドの自然防壁に穴を開けた。


 にわかには信じがたい俺の起こした大災害にクレハは目を点にして愕然とし、膝を崩す。

 倒れかけた彼女を俺は両手で・・・抱きかかえた。


「俺の勝ちだよ、クレハ。これでお前は弱く、可愛い女の子のままだ」

「ち、違うよ……こんなの違う! タケルくんが強すぎるだけ……だよ」

「そんなの知るか。クレハは俺より弱い、それだけでいいじゃないか」

「タケルくんは……それでいいの……?」

「いいに決まってる。それでもまだ心配なら教えてあげるよ、クレハ。お前は心が弱すぎる。あまりに不安定で、危なっかしい」


 クレハを抱いたまま俺は耳元で優しくそう諭す。


「人への依存が激しくて、人の肉でシチューを作ろうとしたり、女子供見境なしにすぐに刃物を向けたり、俺が少し女の子にデレデレすると怒ったり……クレハは精神的に不安定すぎるよ。そんな女の子が恋する相手はきっと、俺みたいな体が少し丈夫なやつじゃないと務まらない」

「タケルくん…………」

「クレハ、これからも俺のことを好きでいてくれ。こんなことお前をフリ続けてる俺が言うのはおかしいけどね」

「……………………う、うん……!」

「いつか……俺の気持ちがまとまって、返事ができるその時まで待っていてくれ」


 クレハを抱く腕の力を強める。

 彼女も俺をギュッと強く抱きしめ、静かに涙を流すのであった。

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