第74話 ミリア様の聖水

『オオイタ』は街全体が湯気で覆われた、神秘的な光景で有名なギルドだ。

 そしてその中でも、もっとも湯気が濃い場所がある。

 それは地獄と言われる泥が湧き出る温泉密集地帯。

 俺は昨日下見に一度来たが、初めてこの光景を見たミリアは、少々興奮気味だった。


「なにこれ! すごいじゃない! どうしてお湯が赤いのかしら? これ飲めるの?」

「トマトジュースみたいな色してるしいけんじゃね?」

「じゃあ安心ね。じゃあ少し失礼して……」

「待て待て、冗談だ! 絶対飲んじゃいけないやつだって!」


 危ない、もう一歩のところでミリアを危険にさらすところだった。

 色的に絶対こんなの飲めないだろ……好奇心旺盛なのはいいけど、もう少し危機感を持ってくれ。

 こんなこと言ってる俺だけど実際血の池地獄のお湯を飲んで体に害が出るのかどうか、正確には知らない。

 もし飲めるんだったら観光業界の方々に頭を下げなければならなくなるな。

 こっちの世界に観光業界あるのか?


「ミリア、観光するのは後だぞ。もうそろそろ8時になる」

「分かってるわ。さて…………ここからが大変なのよね……」


 ミリアは急に弱気になり目の前に並べられたおよそ100本はあろうかという聖水の瓶を見る。

 嫌な顔をするのも分かる。

 何故なら、彼女はこれからこの聖水を順に飲み干さなければならないからだ。


 精神を加速させ自身の精神を過去へ飛ばす『時渡り』それをするには大量の魔力が必要だ。

 そこで彼女は魔力の込められた水……聖水を使う。

 真実を導く光玉リア・ファルを使うのじゃダメなのか、と聞いたところ「ムリ」と一言だけ言われた。

 まあ、よく知らんが無理なんだろう。

 目の前の聖水の量にドン引きしているリリはミリアに対し、心配そうに声をかける。


「剣の人大丈夫なの……? 不条理へ至る銀鍵レーヴァテイン貸そうか?」

「それはダメよ。あんたとは『時渡り』の後に戦うことになってるんだから、あんたの力は借りれない」

「でも、リリはちょっとぐらい力を貸しても問題ないの。剣の人ぐらい余裕で相手できるし」

「それは舐められたわね。あんたが全力でこないと、私が勝っちゃうから断ってるのよ。次は勝つ」

「そんなの絶対に無理なの〜! 無理無理〜」


 お前ら子供か、と思ったが子供だった。

 俺も20歳超えてなかった。子供の定義が20歳未満なのかは不明だけどね。

 あまり話していると、街に人が出て来てしまう。

 ミリアは人が来る前に『時渡り』をしたいと言っていたし、さっさと飛ぶように促したほうがいいな。


「ミリア、無駄話してないで早くしなよ。急いでるんだろ?」

「そうね…………そうだわ! 覚悟は決めたわ」


 大きく深呼吸し、彼女は自分の頬を叩くと気合を入れなおす。

 そして、一本目の聖水に手をかけた。


 *


 ミリアは手に取った聖水をすぐさま胃に流し込む。

 一本取ってはまた一本。

 まるでフードファイターかのように次々と積まれた聖水が空になっていった。


 あまりの飲みっぷりの良さに、俺やクレハたちも思わず感嘆の声を漏らす。

 食べ物とか飲み物が勢いよく無くなっていく様は見てて気持ちがいいよね。


 20本目の聖水に手をかけたところで、ミリアは急に無表情になり立ち上がる。

 何かと思って彼女に問おうとした瞬間、彼女はクルリと身を返し、1番近い街路樹まで走る。

 そして…………


「(ミリアが水を嘔吐する音)(ミリア様の聖水)(世界一美しい吐瀉物)(自主規制)(映像差し替え)」

「ちょままままままままままま!!!! お前何してんだよおおおおおおおお!!!!?」


 俺はすかさずミリアにツッコミを入れつつ、アイリとミリアの間に入り込む。


 これは良くない! 教育上良くない!

 アイリめっちゃ赤面してるかわいい、じゃなくって! 俺の防御は間に合っていなかったのか、クソッ!

 そしてクレハの目が怖い。まるで地面に吐かれた汚物を見るような目をしている。

 そもそも今はその状況だ!

 なんで俺はノリツッコミをしなきゃいけないんだ、ふざけんな!

 冷静になれ、俺。この場で唯一なんお反応をしていないリリを見習って……


 そう思いリリの表情を伺おうと周囲を見渡す。

 しかし、彼女の姿はもうどこにも見当たらなかった。

 代わりに金縁の赤い扉が彼女の代わりに存在感を放つ。


 リリはまさか飽きてどっか行ったな!?

 自分の加護ギフトで転移はお手の物なのだろうけど、どっか行くなら一言伝えて欲しかったな!?

 でも、ミリアのアレを見なくて済んだし結果オーライか? 最強の魔法少女は運の強さまで最強だった。


 ひとしきり胃の中の水を吐き出すとミリアは何食わぬ顔で未だ量のある聖水の元へ戻ってきた。


「よし、後5セット行くわよ! 頑張れ私!」

「おい、まじかよ……ということは後5回吐くってことか……」

「仕方ないじゃない。これが1番効率よく魔力を溜められるのはこれなのよ」


 半ば諦めたような目でミリアは遠くを見る。

 何とか彼女の負担を減らせないか考えるが、ミリアがこの方法しかないって言ってるんだ。

 魔力に詳しい俺がとやかく言っても意味がないだろう。


 その後もミリアの奮闘は続く。

 宣言通り、ミリアは20本の聖水を飲んでは吐き、飲んでは吐きを繰り返した。

 絵面的に最低だから、お花畑の映像でも想像しておいてくれ。

 俺は誰に話しかけてるんだ?


 *


 およそ10分後…………

 最後の一本を飲み干し、すぐさま街路樹の元にそれを吐き出すとミリアは達成感に満ちた表情で、非常に満足そうだった。


「準備は出来たわ! それじゃあ早速過去に飛ぶから。私の体はあんたたちに任せたわよ!」

「ミリア、目的を忘れないでね。私のお爺ちゃんからちゃんと宝具の作り方を……」

「分かってるわ。それが1番の目的だもの。私の宝具の修繕は二の次よ」


 ミリアはクレハの手を握る。

 信用していないことはないのだろうが、ミリアの『時渡り』にクレハの……いや、オカザキ家、正宗一門の将来がかかっていると言っても過言ではない。

 心配になるのは無理もないだろう。


 金髪の少女は次に愛しのアイリちゅわんに向き合う。


「アイリちゅわん……ちゃんとご飯は食べるのよ? ちゃんと歯を磨いて、早く寝るの。それでそれで……」

「お前は、アイリのお母さんか! それにお前が帰ってくるのは今日中だ! その心配は必要ない!」

「何よタケル……いいじゃない。こういうのは雰囲気と気持ちが大事なのよ。分かってないわねぇ」


 彼女は呆れたようにそう言う。

 突然迫られたアイリは少々困った様子で、背丈の高い俺たちを見上げていた。


「そうだ、タケルにも一言くれてあげるわ」

「お、おう……別になくてもいいけど聞いておこう」

「あんたにこんな趣味があるとは思ってないけど、一応釘を刺しておくわ。眠っている私の体に欲情してイタズラしないこと」

「ああ、それはない。絶対ないから安心してくれ」

「はぁ!? それってどう言う意味よ!!!! 私の体はそんなに魅力ないって言うのかしら!?」

「痛い痛い! 合ってるけど怒らなくたっていいだろ!」


 即答した俺が気に食わなかったのか、ミリアは俺の頬をつねる。

 俺が【世界の加護ギフト】で守られてると知って本気でつねりにきてやがる。

 気が済んだのか、俺の頬から手を離し、ミリアは機嫌悪そうに『時渡り』の準備に入る。


「まあいいわ。ここで無駄なエネルギー使ったら『時渡り』に失敗するかもしれないし、タケルはもう無視よ。少し離れてなさい」


 彼女がそう言うので、俺たちは彼女のから二、三歩後ろへ引く。

 魔力の高まりを感じてか、俺の隣にあった扉がガチャリと開き、リリが登場する。

『時渡り』はそう見れるものじゃないだろうし、リリもその瞬間を逃したくないのだろう。


「私は此処に。貴方は何処に。時の魔力よ、私を貴方の元へと導いてください…………『時渡り』!」


 ミリアの周囲に大きな青い魔法陣が広がったと思うと、そこから円柱状に光が彼女を包む。

 目が眩む光量に、俺は顔を背けることおよそ数秒。

 バタンという音と同時にその光は収束を迎える。

 そして、ミリアの言う通り、彼女の体は魂が抜けたように力なくそこに倒れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る