第56話 アラクネ攻略2

 壁の中に退避したアイリに向け叫んでからしばらくすると、壁の中から【水】保持者が大量の聖水を持って出てくる。

 アイリの判断かは分からないが、『ニッコウ』の老人たちを表に出さない判断はナイスだ。


 モンスターに吹き飛ばされ、未だ俺に抱かれたままのクレハが不思議そうにこちらを見つめる。

 彼女の気持ちもよくわかる。

 なんで聖水が必要なのか、さらに言うと俺のような魔力を持たない人間が聖水を必要とする意味がわからないと言ったところだろう。


 その通り。俺はこの聖水を使わない。

 この聖水の影響を受けるのは……


 持ってきてもらった聖水の入った瓶を俺は受け取る。

 そして、その瓶を宙に一度放り投げると、それに目掛けて小石を投げつける。

 加速した小さな石に触れた瓶は空中でパリンッと耳によく響く音を立て割れた。

 割れた瓶から聖水が飛び散る。

 飛び散った聖水が不自然に空中で止まったと思うとその部分が黒く染まる。

 だんだんと空中に黒い何かが浮かび上がり、ついにその輪郭が完全に露わになる。


 紛れもなく、今まで不可視であったはずのモンスターがそこにはいた。


 形は一言で表すなら……蜘蛛。

 腹部があり胴体があり脚がある。目は残念ながら確認できない。

 胴体は丸く、脚が8本そこから生えていた。まさに蜘蛛だ。

 しかし、俺の知っている蜘蛛と違い、その体は黒光りする鎧のようなものに包まれていて光沢を持っている。

 蜘蛛特有の体毛が生えていない。

 それに何よりおよそ3mは超えるかと思われる大きな体躯が、俺の知っている蜘蛛とまったく異なったものであった。


 予測通り、このモンスターは魔力に反応してステルスを解除する性質があったみたいだ。


「こいつがあの不可視のモンスターの正体か……! 見れば見るほど気味が悪いな」


 俺は元の世界にいた時は、森の中の一軒家に住んでいたため、虫とは長い付き合いであるがそれでも気味が悪いと思わないわけではない。

 むしろたくさん見てきたからこそ気持ち悪く思うのかもしれない。

 こんな話はどうでもいい。


 正体を現したそいつ睥睨すると、俺は握りこぶしを硬く握り直す。

 自分の倒すべき敵をやっと捕捉することができた。

 可視化できれば、俺は拳を振るうことができる!


 俺は太ももの筋肉繊維がちぎれてしまうのではないかと心配になる程そこに力を込めると、次の瞬間溜め込んだ力を全て解放する。

 瞬間的にではあるが、ミリアの【時間】に迫るほどの速度を出した俺の体は一瞬のうちに蜘蛛のモンスターの真下に潜り込む。

 そして、俺の彼女から貰った加護の力がこもった拳でもって、敵の腹部を突き上げた。


 拳を打った感触は金属のそれに近い。外見通り、まさに鎧に包まれたようなモンスターだったのだ。

 俺の拳に当たったモンスターの外殻はミシミシと音を立て、亀裂が入ったと思うと、内部的に破裂を起こした。

 クレハの加護の効果は凄まじい。


 破裂した腹部から茶色い液体が吹き出ると俺の体を汚した。

 この光景に呆然としている【水】の加護保持者に一喝いれ、すぐに体を洗い流してもらう。


「倒せる……倒せるぞ……! 【水】の皆さん、聖水を霧状にして漂わせることは可能ですか!?」

「できなくはない……と思います!」

「では、それをお願いします。不可視の蜘蛛がまだあたりにいるかもしれません」


 俺が『ウツノミヤ』から派遣された彼らに指示を出し、不可視の蜘蛛を一掃しにかかろうとした時、不意に俺の耳に次男さんの声が届く。

 彼の加護によって、俺の耳に直接声が届いていているのだ。


 次男さんはどうやら『ウツノミヤ』にいるフクダさんと通信を取ってくれていたらしい。

 今さっき俺が倒した蜘蛛のモンスターについての情報を聴いてくれたみたいだ。

 先に言ってくれたらもっと楽に倒せたのに、今頃このモンスターについての情報を聞いたところで時に俺にとって有益な情報なんてあるわけが……

 俺は次男さんから聞かされる情報を軽く聞き流そうかと思っていたが、途中で俺の気は変わった。

 次男さんが教えてくれたのは、このモンスターの性質ではなく、このモンスターの出生に関する話。


 このモンスターがこの地域に生息していたイロナシグモというモンスターの変異種であること。


 蜘蛛の変異種の総称はアラクネと呼ばれること。


 変異が起きたきっかけは1世紀以上前に『ウツノミヤ』の住民がイロナシグモを絶滅させようとしたことだったということ。


 絶滅させようとしたきっかけは自国の宝具を作るためであったということ。


 次男さんからの話を聴いて俺は歯ぎしりを立て爪が肉に食い込みそうになる程の力で硬く握った。

 つまり、人間の勝手な事情で一度滅ぼされかけたモンスターはひっそりとこの森で暮らしていたのに、俺たちが住処を荒らし、剰え再びその種を絶滅まで追い込こもうとしているということだ。

 納得できない。納得できないが……

 俺は両手をブラリと脱力させる。


「ごめん、謝るよ。でもダメなんだ。俺はお前たちを救えない。俺にできることは謝ることだけだ。お前たちは俺には勝てない。だから抵抗しないでひっそりと身を潜めていればよかったんだ」


 俺の言葉に答えるように、理不尽に争うようにあたりにまだ残っていた不可視の蜘蛛は俺の体を執拗に攻め立てる。

 それでも、俺の体は動かない。体力が落ちたことによる威力不足でもうアラクネ達には俺を傷付ける力は残っていなかった。


 たぶん俺も理不尽な存在なんだろう……な。


 その事実がどうしようもなく悲しくて、俺は目をつむる。

 しばらくそうすると俺は覚悟を決めて、言葉を紡ぐ。


「【水】の皆さん、お願いします…………奴らに聖水を」


 俺の言葉を皮切りに、蓋の空いた瓶から聖水が飛び出ると、一瞬のうちにそれは霧状の細かい粒子へと代わり宙を漂う。

 宙に舞った聖水に触れたアラクネの部位が順々に可視化されていく。

 アラクネは3匹、俺の周りに群がっていた。


 俺は再び拳を握ると、全速力でそれを振るう。

 刹那の3連撃。

 普通の人間の限界を超えた速度の俺はまるで瞬間移動でもしているように見えているのだろうか。

 三匹のアラクネに拳を入れ、俺が踵を返したその瞬間、彼らの体は破裂しその命を絶った。


 吹き出る体液を浴びながら俺は空に広がる青空を眺める。


 アラクネ達は何も悪くない。そして『ニッコウ』も今の『ウツノミヤ』も悪くない。

 今回の騒動で悪者は誰であったのかと問われれば、間違いなく過去の『ウツノミヤ』の住人達だ。

 しかし、もう死んでしまった人間達に俺が何かできるわけもない。

 出来るのは言った通り、死んでいった彼らに謝ることそれだけだ。

 雲ひとつない青空を見ても快晴とは思えなかった。

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