第52話 忍び寄る足音


『ニッコウ』から『ウツノミヤ』まで開いた大穴をひとりの少女が長く伸びた黄金の髪を揺らしながら走っていた。

【時間】の加護を付与しながらの滑走はおよそ常人の走りとは訳が違う。

 風を切るようにではなく風を起こしながら走っている。

 それとは別に彼女の振るう細剣からも風……衝撃波が放たれる。

 放たれたそれは大穴の淵を彩る炎のイルミネーションを的確に撃ち落とし、森に深刻なダメージが出るのを防いでいた。

 不意に、彼女の集中力が途切れ、右手に持つ宝具、疾風迅雷の細剣ブリューナグから乱雑に衝撃波が放たれた。


(ああああっ!!!!!! どうしてこんなに動揺してるのよ私! タケルがクレハとキスしようと私には関係ないじゃない!)


 少女は悶々とした心を収めようと自分に言い聞かせるが、なかなかそれは上手くいかない。

 上手くいかないどころか、己の台詞で先ほどの状況を鮮明に思い出してしまい逆に悶絶しだす始末だ。


(ウザイわね、タケルのやつ……後で絶対八つ当たりしてやるわ。八つ当たりはこのミリア様の正当な権利でご褒美なんだからね!)


 一通り別れを告げた友人に文句を言うと、ミリアの脳内はクリーンになり、再び針に糸を通すような集中力で炎のついた葉を狙い撃つ。走行の速度も安定してきた。


(タケルは大丈夫かしら……いくら強力な防御の加護があると言っても、バフォメットの時には腕を切断されてしまっていた。海王……あの巨人との戦闘でも確かタケルの加護を突き抜けて骨が折れていたっけ)


 手を動かしながら考えて、ミリアはあることに気付く。


(でも少し変わね。ゴウケンの斧……しかも宝具で傷付かなかったタケルがバフォメットの、あの原始時代に使われてたような雑な斧で腕を切り落とされるのはおかしい。威力だけで考えたら五宝人最高の攻撃力を誇る彼の斧の方が十二分に高火力よ……もしかして、タケルの加護はモンスターに対して効果が薄いのかしら……?)


 不安を感じ、衝撃波にムラが出始める。

 魔力は感情の起伏によって多少みだれるものであり、魔力を用いる彼女の宝具もまた、その影響を受ける。


(タケルのことだからモンスターなんかに負けることはないだろうけどね。だって、あいつは私を何度も助けてくれたわ。最初にミノタウロスに囲まれた時も、バフォメットを前に魔力切れした時も、それに……フクダに対して取り返しのつかない大技を繰り出そうとしたのを止めてくれた。タケルはそれくらいの力を持っているのだもの)


 ミリアはそこまで考えて頬を赤く染める。

 普段考えることのなかった事実が彼女の胸に響いた。


(あれ……もしかして、私タケルに助けられすぎじゃないかしら? 最近だとタケルが助けてくれることを見越してちょっと無茶な行動をしてる節があるのかもしれないって自分でも思うし……何言ってるの私!このミリア様が誰かに依存するなんてあり得ないんだからねっ!)


 羞恥を感じたミリアは、懐に入れていた聖水の入った小さな瓶をごくりと喉を鳴らし一飲みする。聖水は魔力回復の他にも頭を冷静にする効果があるのかといえばそれは定かではなく、今の行動はやけ酒に近いのだが、彼女はそれでも冷静さを取り戻す。


(とにかく今は自分の仕事に集中ね。【時間】を維持して走るとしてウツノミヤまでおよそ1時間。だいたい半分ぐらいまで来ているといったところね。心配なのはここから。燃え広がっている木が増えて来ているわ。早くしないと不可避の輝剣クラウ・ソラスを抜くことに……)


 不意にミリアの思考が途切れる。

 思いがけないアクシデントに思考が切り替わったのだ。


 全速力で走っていたところ、彼女の横っ腹に抉るような一撃が繰り出された。


 完全無防備の状態での一撃と、自身の速度も相まって彼女は地上を転がされながら吹き飛ばされる。

 吹き飛ばされながらも、右手に持つ細剣を地面に突き立て体制を整え、戦闘態勢に移る。

 一体何が自分を攻撃したのか、まずは相手を捕捉すべく、攻撃の支点を見据える。

 しかし……


(何もいない……? いや、いる。何か黒い……あれは…………脚?)


 自身を吹き飛ばした正体をつかめたと思ったが、それはあまりに不自然なものだった。

 それは空中に浮く、黒く光る細い脚のようなもの。

 足の先端は黒くはっきりとしているが、そこから上に行くにかけてうっすらと周囲との境界が曖昧になっている。

 まるで異空間から体の一部が飛び出したような異様な光景。

 一部分だけを露わにしたその行いは、ミリアを誘っているようにも見えた。

 憤慨を感じた彼女は足に向かって【時間】かけた突進を仕掛けるが、彼女の足は途中で止まる。


「脚が…………消えた?」


 先ほどまでそこにあったはずの黒い脚はいつの間にか、瞬きでもしたほどの一瞬のうちにその色を失う。

 脚があったはずの場所にはこれまで散々見て来た木や落ち葉が落ちているだけのいたって普通の森の光景が広がっていた。

 頭の処理が追いつかない彼女であったが、同時にここで深く考えてはいけないことを悟る。


(正体のわからない相手に構っている暇は無いわ。今はそれ以上に大切なことがある。向こうから追撃してこないのなら対処する必要は……ない)


 くるりと踵を返すと、ミリアは再び疾風迅雷の細剣ブリューナグを振り、火の粉を鎮火していく。

 いくら走っても正体の掴めぬ化け物への不安は消えることはなかった。

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