見つけしは偶然、招かれしは必然

 静かな空間だった。紙の臭いとかび臭い空気が漂う薄暗い部屋は、どうやら書庫のようだった。シャルロットが昼間言っていた地下の書庫というのはこのことかと、コーネリアは察した。

 もう一度言う、ここは書庫だ。だがその空間に、異質な匂いが混ざっている。書物が集まるところには厳禁とも言える、水の匂いがするのだ。事実、今まで降りてきた階段よりも湿気を肌に感じる。頼りない指先の灯りで周囲を見回していると、不意に周囲が明るくなった。

 それは松明を灯した明かりに似ていたが、宙に浮いていた。要するに、コーネリアが灯しているものと同じ魔法の灯火だ。ぼわっ、と燃え上がったいくつもの光が天井と壁の境目に沿って並び、沈む夕日のように書庫を照らし出したのだ。そして薄暗い空間の真ん中には、静かに水を湛えた大理石の泉があった。水の匂いの正体はこれだったのだ。そしてその泉のへりには、一人の少女が腰掛けていた。

 少女は、少女と言うには大人びていて、女性と言うにはあどけなさを残した姿をしていた。豊かな黒い髪とヘーゼルの瞳が、全ての光を吸い込むように佇んでいた。少し古めかしい白いワンピースがよく似合う、美しい少女だ。


「あら、お客様なんて珍しい」


 思わず逃げの姿勢を取ったコーネリアに、少女は声をかけた。丸い瞳が瞬き、久方ぶりの来客へ嬉しそうに細められる。コーネリアはややあって、やれやれとでも言いたげに少女へと向き直った。指先に灯していた炎を消し、頭をぼりぼりと掻いてコーネリアは言葉を返す。


「見つかっちまっちゃしょうがない。あんた、ここの使用人かい」

「そんなところよ。そう言うあなたはお屋敷のお客様かしら」

「ちょいと訳ありでね、今日だけ邪魔してるよ」

「そうなの。今日だけなんて言わずに、いつまでいてもいいのよ?」


 ゆっくりしていってちょうだいね、と少女は鈴を転がすような声で笑った。明らかに少女には歓迎されているが、そんな態度を向けられることに慣れないコーネリアにとっては若干居心地の悪い空間だ。

 改めて周囲を見渡す。年季の入った書棚が並ぶ、古びた書庫だ。今現在一般的に使われている文字で書かれた本はあまりないようで、神官文字や二昔ほど前の綴りのものばかりだ。アランなら読めるのかもしれないが、自分は文学にとかく疎い。早々にコーネリアは本の題を目で追うことを諦めて、再び少女に質問を投げかけた。


「ここはあんたの部屋って訳じゃなさそうだけど、何してんだい」

「あら、書庫でやることなんて本を読むことがほとんどじゃなくって?それとも、わたしは本を読むようには見えないかしら」

「いーや、見た目だけで言やぁ文学少女そのまんまって感じだね」

「お褒めの言葉をありがとう。本は大好きなのよ」


 ころころと笑う少女は確かに、一冊の分厚い本を手にしていた。古ぼけてすり切れた古い表紙の本だ。その表紙には大きな樹が描かれていた。この使用人を名乗る少女が、地下深くの書庫で読書をしている理由は分からない。だが彼女はこの屋敷の使用人ではないのではないかと、コーネリアの直感は言っていた。使用人の一番の仕事は掃除と言っても過言ではないだろうが、この書庫の床を初めとしたあちこちには埃が積もっている。ぱっと見ただけでも、何年も掃除されていないような風貌なのだ。ここが彼女の気に入りの場所なら、掃除くらいするのではないか。一人旅で鍛えられたコーネリアの勘は、この空間の綻びをパズルのように組み合わせてこの場を把握し始めた。


「あなた、お名前は?分からないと呼びにくくて仕方ないわ」

「……コーネリアだよ」

「コーネリア、素敵なお名前ね。私のことは……そうね、シャルとでも呼んでちょうだい」

「シャル、ね。このお屋敷のガキんちょと似てんな」

「そうね、偶然」


 ややあって、今度は少女が自ら問いかけてきた。不機嫌面がデフォルトのコーネリアに対して、少女のにこにこと愛想の良い笑い顔は崩れることはない。こんこんと静かに湧き出続ける泉を背に、少女はその場から動かなかった。


「はくしょ…ッ」

「寒い?」

「埃が凄いんだよ」

「それはごめんなさいね。お掃除は苦手なの」

「使用人なのに掃除苦手なのかい」

「人の個性は星の数ほど、って言うでしょう?」


 憎まれ口もするりとかわされ、どうにも憎めない。少女は自分よりもほっそりとしており、仮に龍族であるとしても年齢も明らかに自分よりは下のように見えるのに、その言動は妙に達観しているようにも見えた。そういった存在には覚えがある。つい一月前にあの森で出逢った妖精だ。だがあの森のような清らかな気配も、秘宝の守り人のような激情も少女からは感じられない。言うなれば、彼女から感じるのは「無」なのだ。普段から自分は鼻が良いと自負しているが、これはどうしたことだろう。書庫の埃が凄くて鼻も鈍ってしまったのだろうか、とコーネリアがかぶりを振った、そのときだった。


「わわっ!」

「ぶ、わ、はっくしょい!!」


 突如、入口近くにあった小さな本棚がもうもうと埃を上げながら倒れた。それは結構な勢いで床に積もった埃を巻き上げ、空気とシェイクする。先程から鼻にダメージを受け続けていたコーネリアにはたまったものではなく、彼女は盛大なくしゃみを何度もする羽目になった。そして彼女は次の瞬間―この屋敷に来てもはや何度目かも分からないが―頭を抱えることになった。


「あれ、コーネリア?こんなとこで何してるの?」

「は!?あんたこんなとこで何して……」


 噂をすれば影。埃が一応晴れた戸口の向こう、そこには、驚き顔のシャルロットがいたのである。

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