夕暮れ時の影

「もうそろそろグリーゼに入ったかな?」

「そうだね、この荒れっぷりは間違いないさ。ごみごみしてるしね」

「よーし頑張って情報収集しようか…って言っても、グリーぜって人口結構少ないよね?情報集まるかなあ…」

「いつの話してんだよ。少なくともあたしが生まれた頃よりは明らかに増えてるさ」

「えっそうなの?」

「本ばっか読んでちゃどんどん頭の中のモンは古くなるよ」


 日が昇り、周囲が明るくなった朝にようやく宿屋を後にしたコーネリアとアランは、次の秘境「忘却の泉」へ向かうべく、その足をグリーゼへ向けていた。今彼女たちは、サダルメリクとグリーゼの境近くを歩いていた。元々のどかで人も少ない農村地帯のサダルメリクから離れていくごとに、どんどんと街道を歩く人の数は減っていく。稀に飼料を積んだ大型の馬車が通るくらいだ。今は陽が落ちてきたからかその馬車すら通らなくなり、荒れた道をうすら寒い静寂しじまが包んでいた。枯れかけた草の影が伸びて、薄気味の悪い模様を土の道に這わせている。歩く道の足場はどんどん悪くなっていき、倒木や割れた瓦礫も増えていく。


 ところで、と不意に半歩先を歩いていたコーネリアが言葉を切ると、声のトーンを落とした。アランもつられてコーネリアの方へ頭を傾ける。こうしないと肩を掴まれて無理やり屈まされるからだ。あれは結構痛い。

 コーネリアが目を向けた道の先には、ぼんやりと白い人影のようなものが見える。次いで、金属製の何かが几帳面な闊歩かっぽに合わせて揺れ、擦れるような音が僅かに聞こえてくる。


「前歩いてんの、騎士サマだよな?なんだっけか、シエルか」

「うん、間違いない…式典以外だとあんまり見ないなあ、あの服。暗い中だと目立つ…」

「そういうあんたは髪まで真っ黒だから目ェ以外溶け込んじゃうんじゃないの?騎士サマはこんな辺境に何しに来たんだか。税金の取り立て?」

「コーネリアも髪黒いんだから人のこと言えないでしょ。そんな取り立て屋みたいな言い方しないの…。多分あれは――」


 ひそひそ話をしながら白服の騎士の後をつけていく…否、同じ道を辿っていっていると、不意に騎士が立ち止まった。つられて何故かぴたりと足を止めてしまう二人。一瞬の静寂が、夕暮れ時で薄暗い荒れた道に流れた。


「――そこかッ!」


 不意に荒い声が聞こえ、立ち止まっていたアランの頬すれすれを凍るように冷えた何かが一瞬のうちに通り過ぎた。次いで、背後で何かが締め上げられるような音が聞こえる。咄嗟に腰の剣の柄を掴み身を低くして背後を伺うと、揺らめく水面を切り取ったような透明の鎖でがんじがらめにされた”何か”がいた。黒い靄が固まりかけたようであり、また夜闇がどろりと溶け出したかのような、そんな風貌をした何かが。


「なッ――。」

「避けろ!」


 反射的に騎士の令に従い、コーネリアの腕を掴んで抱きこむようにして地面を転がったアランの上を閃光のようなものが駆け抜けた。その正体は、騎士が素早く振り抜いたサーベルだ。一刀両断された「何か」は、甲高い悲鳴を上げ、黒い霧のようなものを撒き散らして四散した。


「……なんだい、今の」

「悪霊だ。おい、そこの者たち。この区で夕暮れ時に出歩くとは、不用心にも程が――」

「………」


 起き上がったアランは呆然としながら、小さく言葉を零す。恐らく誰にも聞かせる気はなかったのだろうそれは、夕暮れの冷えた空気に溶けて消えた。剣を収めた騎士は怪訝な顔をしていたから、きっと聞こえていなかったのだろう。だがアランに引きずり倒されて近くにいたコーネリアにははっきり聞こえていた。しかし、今ここで口を挟むのも野暮だろうとコーネリアは久々に空気を読んだ。忘れていなければ、あとで聞けばいい。


「兎に角そこの騎士、彼女を家まで送り届けろ。良いな?これに懲りたなら、陽が陰った後の外出は控えろ」


 相変わらず威圧感を隠すことなく、白服の騎士は一方的に言葉を述べた。コーネリアが声を上げる暇もなく、彼はそのまま背を向けて去っていこうとする。しかしここで、座り込んだままだったアランが動いた。


「待って!」

「何だ。早く持ち場に戻れ」

「…ラシードさんだよね?」


 騎士を呼び止めたアランが発したのは聞き慣れない名前だった。少なくともこの国のものではない響きに、お偉いサマには基本的に興味のないコーネリアは俄然興味を持った。昔々…砂漠の広がる東の王国に、そのような名前の人々が暮らしていたと聞いたことがあるが、果たしてそれは何だったか。子供の頃の記憶というのは朧気で信用ならない。


「……貴様、まさか」

「俺だよ、アランだよ」


 驚いたような声を出した白服の騎士に、アランは笑顔で答える。ラシード、とアランが呼んだ騎士は、こちらへ一、二歩近づき、まじまじとこちらを眺めた。何となく検閲されているように感じるのは、相手が堅物そうな騎士であるからだろう。相手からしても、騎士と旅人がともに歩いている姿は珍しかったに違いない。治安のなかなか良くならないグリーゼ区に向かう道に、しかも夕暮れ時に歩く旅人など、物好きと自分たちくらいの者だろうから。そう思いながら、面白そうだからとコーネリアは二人に声をかける。


「なんだい、お二人さんは知り合いかい?」

「あ、うん。この人は俺の兄貴の友達の…」

「…ラシード・アルファードと云う」


 そう名乗った彼は、右手を胸に当て軽く礼をする。東洋のおとぎ話によく見る、つやのある黒檀のような髪に、大海を思わせる真っ青な瞳の少し老けた顔をした男だ。どれだけ不機嫌そうな顔をしていようと、礼儀正しいのは彼らしい――とアランは一人思う。口に出せばぎろりと睨みつけられること請け合いだからだ。実際の処、不機嫌なわけではなく強面で目つきが悪いだけだと、交流すれば分かる。紹介を受けたコーネリアはふうん、とかへえ、と言ったあと、あたしはコーネリアだよ、と簡潔に述べた。


「この時間に何故出歩いている。早く家と持ち場に戻れ…と言いたいところだが…。コーネリア、貴殿は旅人か?」

「まぁそんな感じだねぇ。この騎士サマと丁度お会いしたモンで、グリーゼまで連れてってもらおうかと」

「ほう…。…ならば私も同行しよう。なに、夜道だ、二人より三人のほうが心強かろう」

「あれ、ラシードさんもグリーゼに行くの?」

「私は今回のトゥバンのお目付け役だ。クロスフォード家に向かう途中でな。グリーゼの入り口までなら送ってやる」


 行くぞ、と話を打ち切り、ラシードは歩き出してしまう。多少遅れて続きながら、コーネリアはその背中に言葉を投げかけた。これは上手く自分たちのことを誤魔化せているかの確認でもある。嘘はあまりついていないが、隣を歩くアランという奴はほとほと呆れるくらいに隠し事が下手だからだ。


「トゥバンって区長サマのことかい?」

「如何にも。俺はこの度の監視役でな」

「はー…そんなお役目もあるんだなぁ。ご苦労様なこった」

「褒め言葉と受け取っておこう」


 この国には、異国で言う県や州と同等の存在である”区”が存在する。アランが旅を始めたシュトルーフェ、幻惑の森があるサダルメリク、そして今から向かうグリーゼ…などなど、星の名を冠する十三の区がドラテオトールにはあり、それぞれを統括しているのが「トゥバン」と呼ばれる、区の長だ。神官である彼らは彼らは神龍様から直接声を賜り、それに従って統括・政治を行う。それなりに広いこの国では、中央集権化は中々難しく、こういった政治形態をとらざるを得ないのだ――とラシードが気難しい顔で語ってくれたっけ、とアランは話を聞きながら過去へ思いを馳せた。そして中央集権の基盤を少しでも固めるため、自分たちシエルの騎士が監査役として区長の元に派遣されるということも。


「で、クロスフォード家ってのはあのクロスフォードかい?」

「ああ。グリーゼに唯一と言っていいほどの貴族の家だ」

「へーェ…お貴族サマねぇ」

「何か不満でも?」

「いいや、私事さ。お気になさらず?」


 少し温度の下がったコーネリアの返答に、ラシードは振り返って問うが、コーネリアはするりと躱してしまったのでそれ以上の会話は続かなかった。シエルの騎士の前で不用意な発言をすれば首が飛びかねない。まぁあたしに飛ぶ首なんて一つしかないけど、とひとりごちながら、コーネリアは足早にラシードを追いかけた。

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