轟雷の章

古書と夜更かし

「はー、食った食った。頂いちゃって良かったのかい?」

「うん。色々手伝ってもらったし、お礼できればと思ったから。おばさんの料理美味しかったでしょ?」

「そりゃあもう美味しゅうございましたよ。今度っから贔屓にさせてもらおうかなぁ」


 木の板が綺麗に敷き詰められた、年季の入った床の上を弾む二人分の足音。森の幻惑に囚われていた数日間、結局一報も入れることができなかった「ねこのしっぽ」に彼女たちは戻ってきた。宿の女将のアリーチェに、物凄い勢いで心配されたと同時に泣かれながら叱られたのは想像に疎くないだろう。一緒についてきたコーネリアも、女将とは初対面であるにも拘わらず巻き込まれて説教をされたあと、ご飯用意しとくから取り敢えずお風呂入んなさい!と汚れた服共々浴場に押し込まれたのが数十分前の話。そしてやたらと張り切った量の夕食を頂き、彼女たちはアランの借りた部屋に戻ろうとしていた。腹八分目以上に食べたのは久々な気がするアランであった。

 シンプルなドアノブに手をかけて引いた向こうには、数日前と変わらない簡素な部屋があった。何となくこの簡素さが落ち着く。この区がゆったりとのどかな雰囲気をもっているためでもあるだろうが、昔馴染みのこの宿屋がアランは好きだった。後ろにいる彼女にはどうぞ、と声をかける。


「さーてアラン。詳しい説明を聞こうじゃないか」

「あ、うん。ちょっと待ってね」


 アランに続き遠慮なく部屋に入ってきたコーネリアは、部屋の真ん中に置かれた木造りの机についていた。軽く返答し、アランは自分の鞄の中から一冊の本を取り出しコーネリアの前に置く。コーネリアは頬杖をつきながらそれに目をやった。


「随分古いね。その古さだともう古文書レベルじゃないかい?」

「あはは、確かに。ずーっとうちの書庫にあったから、状態もあんまりよくないんだよね」


 言いつつぱらぱらと本をめくり、目当てのページを探し出す。この国―神王国ドラテオトール・カルナーの建国神話の序章のページだ。ほらここ、と声をかけると、コーネリアは眉を寄せながらページを覗き込んできた。どうやら本当に、細かい文字を読むのが好きではないようだ。民用文字で訳してあるはずだから、読めないことはないと思うのだが。

 それはさておき説明を始めようと、アランは口を開いた。


「今、この国は"オー"に侵されている。国自体もそうだし、世界樹も少しずつ枯れてきているんだ。だから神龍様は救世主を捜せと仰せになった。この本によると、救世主を目覚めさせるには、”世界樹の雫”っていう鍵を八つ集める必要があるらしいんだ。…ここまでいい?」

「そういやあの兄ちゃんも言ってたけどさ、ってなんだよ?バケモノか何かか?」

「うーん…説明が難しいなぁ。何なんだろう、あれ…。とにかく、神出鬼没の敵…って思っていいと思う。正体は俺達には知らされてないから、詳しくは分からなくて」

「そんな危険なモンが蔓延ってるだなんて言ったら、それこそ混乱するだろうなぁ。それはそれで正しいんだろうけど、お偉いサマ方は何考えてンだかね」


 アランも当初は思ったことだ。危険因子の存在を知らせずに放置すれば、必然的に一般人に被害が及ぶ。武術や戦闘魔術に精通している一般人など、あまりいないのだから。だが国内に真実を公表し、混乱しているところを隣国に攻められては、それこそこの国はお終いだ。だからこそ神龍様は二十数年間、誰にもこのことを明かさずにいらっしゃったのだろう。


「にしても世界樹ねぇ…。アレが枯れるなんて話聞くとは思わなかったよ」


 まだ信じがたいという口ぶりで、軽く頭を振るコーネリア。それはそうだよね、と相槌の代わりに軽く頷き、アランは言葉を重ねていく。対するコーネリアは、片手で頬杖をつきながら話を聞いていた。


「そりゃあね…。まだ遠くからじゃ分かんないけどね。世界樹の中に入らないと分からないくらい。そこはまだ、不幸中の幸いなのかも…」

「…今更驚くのもあれだけどさ。神龍サマとご対面するなんてそこらのお偉いサマでも無理なんじゃないの?知り合いに神官サマがいたとかかい?」

「母さんは神官だけど、それは関係ないよ。俺は才能無かったからなぁ…。えっとね、クレイグ様…あ、いや、神龍様の使者様からお呼び頂いて、その流れで謁見したんだよ。使者様がいらっしゃっただけでもびっくりしたのに、神龍様ご本人が俺なんかをお呼びだって使者様は仰るし、最初は煩悩まみれの明晰夢見てるのかと思った」

「はは、煩悩って。あんたは世界を救うヒーロー志望だったのかい?」

「いやいやいや!違うよ、いつか神龍様のお傍でお仕えしたいと思ってただけ」


 コーネリアが反応する前に「で、話を戻して」と一息おきながら、アランは地図を開いた。折り皺が多く、紙が古いこともあって開くときはいつも慎重にならざるをえない。近々地図の複写をしなければと考えながら、説明を再開した。


「で、これが地図。もともとは秘境…まあ魔境って言っちゃっていいかな。それの場所の地図なんだけど、魔境の数と世界樹の雫の数が一緒なのが偶然に思えなくって、とりあえず一番近い幻惑の森に来てみたんだ。そしたら…」

「ビンゴだった、と」

「そう。一つ目の秘宝を貸してもらえた。まだ確信はないけど、おそらく魔境に秘宝は隠されてる。簡単には手を出されないように」

「何だっけ。下手すれば国がほろぶってあの兄ちゃん言ってたよな」

「うん…。そこが不安なんだけど、打てる手がこれしかないなら、やらないよりマシかなとは思う」

「いいんじゃないかい?引き籠ってても何も始まんないだろうし」


 思いのほかあっさりと状況を飲み込んだようで、コーネリアは相槌を打ってきた。自分が思った通り適応力は確かにすごいらしい、と一人納得して、アランは本を閉じようとした。


「あ、ちょっと待ちな」

「うん?」


 コーネリアの声に、閉じかけた本がぴたりと静止する。本の表紙に添えられたアランの手を押し戻すように、コーネリアは再びアランに本を開かせた。コーネリアが迷わず指差した紙の一部分、そこには一つの文が黒く塗り潰されたような、焦げたような、兎も角形容し難い痕が残っている。


「こいつは魔境なのかい?」

「それね…数合わせの意味でも考えると魔境なんだろうけど、そもそも場所がきちんと書いてないんだよ。場所の名前は塗りつぶされちゃって読めないし、あと…ほら。その場所の説明がありそうなページは、破られてて」

「それじゃあ分かんないはずだ。まぁでも、妖精族にでも聞きゃあ分かるんじゃない?昔っから生きてるヤツ大勢いるんだろう?」

「でも数が少ないんだよ、元々。街を嫌って出てこない妖精も多いみたいだから…」

「まぁ、見つけたらラッキーって感じなんだろ。分かるよ」


 くぁ、と無遠慮に欠伸をし、コーネリアは背伸びをして両腕を上に上げた。そろそろ夜も更けるころだ、眠くもなるだろう。それでなくても自分たちは、数日間森の中を彷徨い続けて疲労困憊なのだ。そう認識した瞬間、アランにもどっと疲れが襲ってきた。


「そろそろ寝たほうがいいよね、疲れたし」

「そうだねぇ。じゃ、あたしは部屋に戻るとしますか」


 床と椅子の足が擦れ合う音がする。コーネリアは席を立ち、部屋の扉を開けようとドアノブに手をかけた。それを目で追いながら、アランは無意識に彼女を呼び止めていた。


「ねえ」

「あン?」


 振り向いたコーネリアに、一つ言葉を投げかける。彼女の返事は、予想出来ていたにもかかわらずだ。


「危険だよ。本当なら、君が加わるはずの旅じゃない」

「なんだよ、ここまで来て仲間外れかい?」

「……そういうわけじゃ、」


 言い淀んだアランに皮肉っぽい苦笑を投げかけて、コーネリアはドアを開けた。そのままにっかりと彼女は笑ってみせる。


「面白そうな危険なら大歓迎さ。生きていくにも、たまには刺激がないと。惰性で生きるのも退屈すぎるってもんだろう?」

「……まったく。…おやすみ、コーネリア」


 毒気を抜かれたように、アランは笑った。それを何も言わずに見ながら、コーネリアは部屋を後にしたのだった。

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