迷いの魔女
今度こそは地面に激突すると、思っていたのだが。空気の流れのない地底では起きるはずのない空気の動き…風に、体がふんわりと受け止められた。そのままゆっくりと地面に下ろされ、アランは目をぱちくりさせる。一体全体何でだろうと不思議に思っていれば、こちらを見てにやにやしているコーネリアと視線がぶつかった。
「…助けてくれるなら最初からそう言ってよ」
「いやぁ、言わないほうが面白いかと思ってね」
「今ので確実に数年寿命縮んだよ…」
思いっきり肩を脱力させ、アランは低い声で恨み言を言う。彼女が同族だということは分かっていたが、龍族は人間の姿を取っている時に飛ぶことは出来ない。なんのことはない、翼がないからだ。だから焦ったというのに、コーネリアは風の魔法を使っていとも簡単に、そして無事に着地したのだ。最初から彼女はそうするつもりだったのだろう、その上でアランの焦る姿を見て楽しんでいたのだ。必死の形相を見て確実にニヤニヤしていたであろうコーネリアには、もちろんアランの抗議など効くはずもない。半分これは愚痴だ。言わなければ気が済まない何かだ。アランはそう自己解決して話を打ち切ると、改めて周囲を見渡した。
予想に反してかなり大きな穴らしく、どうやら深くなればなるほど広がっていくものだったようだ。彼女たちが降りてきた入り口から陽の光が入り、その下の地面をスポットライトのように照らしだしている。穴の壁は意外と乾燥しているから、泥まみれで探索する羽目にはならなさそうだ。
「先があるみたいだな、この穴。地下迷路か?きっと抜けた先にはお宝がザックザク…」
「ザックザクあるかどうかは分かんないよ。さっき光ったのも結局何だったのかわからないし、そんなにキラキラしてるものじゃなかったし」
「まぁ行けそうなところには行ってみるに越したことはないだろ。さすが地下迷路、なんにも見えないけどな」
「ロウソクあるよ、使う?」
「用意周到だな、落ちたってのに」
「その話はやめて!」
からかってくるコーネリアを一喝し、マッチを擦る。小さな炎をロウソクの先に触れさせると、橙色の明るい灯火が穴の中を照らし出した。先までは見えないが、それなりに整えられた作りになっている。倉庫か何かの目的で作られたものなのかもしれない。もしくは、何かを隠すための目的で。
足元を慎重に照らしながら、乾いた穴の中を彼女たちは歩き始めた。今のところ一本道だが、分かれ道がないとは言い切れない。穴の壁も見落としがないように観察しながら、彼女たちは他愛もない会話を始める。
「いかにも、って感じだなぁ。お宝の匂いがぷんぷんするね」
「宝物って匂うの?甘い匂いとか…?」
「いや、例えだよたとえ。真面目に受け取られるとは思わなかったわ」
「そ、そうだよね…。多分金属の匂いだよね、金貨とかなら」
「ばーか!」
「…ちょっ、さすがにそれはひどくない?」
「あ?」
ロウソクを持っていたアランは、不意に立ち止まった。その瞳には少しばかりの嫌悪感が宿っている。少し細くなった赤い瞳が、コーネリアに向けられる。コーネリアは何故こんな顔をされているのか分からない様子で、首を傾げた。
「確かに捉え方を間違えたのは俺だけど、その言い方はひどいと思うよ。」
「え、は?あたしなんにも喋ってないよ?」
何を言っているのかわからない、といった顔のコーネリア。とても嘘をついているようには見えず、アランは困惑する。なら先程、軽く自分を罵倒してきた声は空耳だというのだろうか?それにしてはあまりにもはっきりしすぎた声だった。
「えっ嘘…今「ばーか」って聞こえたんだけど…」
「はぁ?そんなこと言ってないよあたし」
「ううん、空耳かなぁ…ごめんコーネリア」
「気にしなさんな、あんたきっと疲れてんだよ」
「まぁ君ほどはばかじゃないけどね!」
「……おい、今なんつった」
「え?」
今度はコーネリアが、眉をしかめる番だった。何故だろうか、彼女の言葉には表情も相まってか妙に迫力が感じられる。アランは目をぱちくりさせて、不機嫌そうなコーネリアの方を向いた。
「エリートだから頭がいいってか?あ?」
「えっちょっと待って何の話?えっ?」
「あんたがあたしを馬鹿だって思ってんのは勝手だけど、そういうことはそのまま言わないでおいてくれないかい?」
「え、えっ?そんなこと思ってないよ!」
「嘘つけ!さっき言ったじゃないか!!」
「俺なんにも言ってないよ!?」
本気で困惑したような赤い瞳に見つめられ、コーネリアは一度言葉を止めた。あれほどはっきり空耳が聞こえるはずもない。そして目の前のアランは喋っていなかったと主張する。ならば先程の言葉は、一体何だったというのか。考えても、勿論結論は出ないまま数十秒の時が流れた。
「…コーネリア…?」
「……いや、ごめん。あたしの勘違いだったみたいだ」
「そ、そうなの…?ならいいけど…」
アランは二度三度、首を傾げた後にまた前を向き、トンネルの中を進んでいく。その横で歩きながらもコーネリアは先程の声について考えていた。空耳にしてはあまりにもはっきりしすぎた声。自分の劣等感をつつき回してくるような内容。まるで――心を読まれたかのような、幻聴。
空耳、幻聴、幻……幻惑。
まさか。
「……アラン、ちょっと耳貸しな」
「え?うん、いいけど…?」
唐突に耳を貸せと言われ、アランは少し首を傾げながらも素直に応じた。コーネリアより少し背の高いアランが立ち止まって屈むと、コーネリアは猫背を伸ばしてその耳に口を近づける。
「…さっきの声、もしかしたら迷魔かもしれない」
「迷魔…ってことはさっきの空耳って…」
「あいつらは人の気持ちを読んで、人を惑わすようなことを言ってくる妖精だ。多分あたしたちを仲間割れさせるためだ。悪戯ってこともあるだろうけど…まぁこの奥には、何かあるんだろうね」
「…じゃあ、ほんとにあるのかな。宝物」
「今んとこ可能性は高いと思うよ、あたしは……」
「気づいちゃったんだね」
ふと、コーネリアの言葉がかき消された。脳内に直接響くような声が聞こえる。アランの声に似た、それでいてコーネリアの声にも似ているように聞こえる摩訶不思議な声が、喋るのだ。
「気づいちゃった」
「気づいちゃったね」
「ならもう、生かしておけないね」
「うん。ずーっとここにいてもらわなきゃね」
「……ねぇ、コーネリア。俺、今ものすごくまずいなって思うんだ」
「奇遇だな、あたしもだ」
「とりあえずあっちに、」
「突っ走れッ!!」
ぴったり合った声と共に、2人は地面を蹴った。巻き起こった風に、ロウソクの灯が煽られて消える。声の正体は未だ分からず、迷魔であるというのは憶測の域を出ない。姿の見えない敵を相手にする戦いほど勝ち目のないものはないのだ。本能がそう判断し、2人は穴の奥、奥へと走り続けた。ここまで来たのだ、今更引き返したくはない。どうせ出られないなら、奥にある何かとやらをこの目で拝んでやろうじゃないか。
しんと冷えた地下の空気がざわめいて、何かが追ってくる気配がする。それを振り切るように、彼女たちは走り続けた。ただただひたすら前を見て走った時間は、数分だったかもしれないし、もっと長かったかもしれない。だが彼女たちが膝を折る前に、一筋の光が見えた。
それから先、無我夢中で駆けたのはほんの数秒。淡い光はたちまち大きくなり、視界が一気に開けた先へ彼女たちは転がり込んだ。
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