秘密への誘い
ご機嫌な鳥のさえずりが、枝々の間を弾むように響いている。瞼を通して、目の前が明るいことが分かった。
「ん…ふぁ…」
小さく欠伸をしながら目を開ける。昨日見たものと変わらない、平和な光景が周囲には広がっていた。昼間と夜の違いがここまで顕著に表れる風景も珍しいと、そんなことを考えながらアランは起き上がる。ふと隣を見ると、コーネリアが大の字になって寝ていた。寝ている間、やたらと圧迫感を感じていたのは彼女の寝方のせいだったらしい。
「起きて、コーネリア。朝だよ」
「……んだよ…もうちょっと寝かせてくれよ…」
ちなみにこの返事は寝言である。このままだと起きたとしてもコーネリアは十中八九二度寝をするだろう。もう一度声をかけてみる。
「起ーきーて!!朝だよ!!」
「……んー…あ…朝か…」
「おはよう」
アランの明るい笑顔に心底嫌そうな表情を浮かべ、コーネリアはしぶしぶといったように起き上がった。誰だって心地よい眠りを邪魔されるのは嫌だろう、しかしこの状況ではそうも言っていっていられまい。
「…とりあえず昨日の状況を整理しようか。」
コーネリアが起きてから数分後。各々軽い朝食を摂りながら、現状をまとめることにした。ちなみに朝食の内容を言っておくと、アランは干し肉と乾パン、コーネリアは干した果物である。
「あー…宝探ししにこの森に入ったら、抜けらんなくなった。そしてどうやら、なんかの魔法にかかってるらしい。だからどれだけ進んでも元の場所に戻ってくる」
「うん。そして現状打破する方法はこれから考える、ってことでいいよね?」
「そうだなぁ。にしてもどうしたもんか。このまま進んでも昨日の二の舞だろ?」
「そこが問題だよね…。どう進めば抜けられるんだろ」
もぐもぐとパンを頬張りながらアランは考えを巡らせる。乾いたものばかり食べているため喉が渇いてきた。
「あー喉渇いた。水筒空っぽだ…」
「そこに川あるだろ。見たところ清水みたいだし、飲んでも腹は壊さないんじゃないかね」
「そういえば川あるんだった…」
突拍子もない状況下に置かれているためすっかり忘れていたが、ここはそう、平和の象徴とも言うべき麗らかな景色が広がっている場所なのだ。陽の光が差し込む昼間は、特に。さらさらと綺麗な音を立てて流れる小川の岸に膝をつき、革手袋を外しながらアランは屈んだ。触れた水は冷たく、かすかに緑の薫りがする。両手で掬って水を飲むと、冷えた潤いが渇いた喉を通り、ほう、と感嘆のため息が漏れた。
「あ〜生き返る〜…」
「サダルメリクはなんてったってこの国一の大農区だからな。水が美味くなきゃ作物もしゃんと育たないってもんだろ。ゾスマの酒に使う水だってもとはと言えばサダルメリクから流れてる川のもんだしね」
「詳しいんだね」
「これでも一応旅人まがいのことしてるんだよ」
幻惑の森があるサダルメリクは、この国では有名な穀倉地帯だ。ちなみにここよりも下流にあるゾスマは、水はけのよい土地を利用した上質な果樹で作られた果実酒の名産地。首都の市場では毎日のように見る名前であった。感心したようにコーネリアの言葉に頷けば、特に自慢げにするでもない淡白な返答をされる。
いつか見聞を広めるために旅に出てみたいとは常々思っていた。言ってしまえば今はその夢が叶っている状態なのだろう。こんな使命を背負っているのでなければもっと楽しめたかもしれない、とネガティブな方向に思考が傾きかけて、いけないと自分を律するために小川の水を掬い顔にばしゃん、とかけた。
「冷たっ!こっちに飛ばすなよ!!」
「あっごめん!!」
勢い余って水を勢いよく飛ばしすぎ、コーネリアにかかったのはご愛敬だ。別段怒ってはいないのかコーネリアの声は笑っていて、つられてアランも笑ってみせた。
「進んでも気づいたらこの場所に戻ってくる、ってことは、ここに何か仕掛けがあるかもしれないって思うんだけど…見たところほんとに平和なんだよね、ここ」
「目ぼしいもんはあの岩だけだしなぁ。あー、なんだっけか、あのどっかに鍵は眠るって謎かけ、解けてないけどな」
「何の鍵だか分かんないけどね。宝箱の鍵なのか、ここから出るための鍵なのか」
二人が話し合いながら見ているのは、やはり例の岩だ。岩の苔むし具合からしてかなり古いのに、文字は完全に読めなくなっているわけではない。ということは、文字は比較的新しいと言えるのではないだろうか。もちろん数十年単位の話になってしまうが。
「もう一回探してみるか。それ以外に打つ手なしなわけだしね」
「縁起でもないこと言わないでよもう…」
言いつつ岩の元を離れ、別々の何かに目をつけた二人。アランは昨日の寝床の辺りを探索していた。自分たちが寝ていた形に苔が凹んでいる以外は特に目立ったところはなさそうで、少しばかり気分が下がった。寝床の丁度頭のほうに、昨日コーネリアが腰を下ろして休んでいた大きな丸太がある。押してみるといとも簡単に動いたので驚いた。どうやら中は腐って空洞になっていて、見た目によらずとても軽いようだ。
丸太の下の地面には、潰れて枯れた草が重なっていた。だがアランは怪訝そうな顔をする。少し、その重なり方が不自然に見えたのだ。まるで誰かがばらまいたかのような自然な不自然さ。もしかして下に何か埋まっているのだろうか?そう考え、草の上を片足で踏んでみる。
草のぱさぱさした音が革靴の裏越しに伝わってきた――次の瞬間。
めきっ、と木の枝が折れるような音がして、踏んでいた地面がいきなり陥没した。
「―――っ!?」
声にならない悲鳴とはこのことか。アランの体は重力に従い、一気に地面の中に引きずり込まれた。片脚だけならまだよかったものの、彼女の体重で陥没した範囲が広がったようで、引っかかって止まる気配はない。だめだ、落ちる…と、落下の衝撃を覚悟して強く目を閉じたその時。
がくん、と大きく体が引っ張られ、落ちていく感覚が止んだ。
「ったく何してんだよ…!」
降ってきた声を辿って上を見上げれば、そこには自分の腰のベルトを掴んでいるコーネリアがいた。地中から突き出ていた木の根をもう片方の手で掴んで、落下を防いでくれたらしい。しばしぽかんとしていたアランは、我に返り慌てて礼を言った。
「ご、ごめん。助かった!」
「ったく…。っていうかあんた重いな?騎士ならこんなもんなのかね」
「…失礼な。筋肉の重さだよ。……多分」
地上と地底の間でぶらんと宙づり状態になったままアランは不平を言うが、コーネリアは意にも介さなかった。確かに騎士団テールの職務は体力勝負だ、毎日の鍛錬は欠かせない。それで重くなっている可能性は高いが、面と向かって言わなくてもいいではないか。
「重っ…」
「重い重い言い過ぎだから!えーっと、とりあえずどこか足場…」
「悪い悪い。引き上げるから木に激突しても文句言うなよ」
「えっちょっ俺の意見は無視!?」
言葉からして確実に地上目がけて放り投げるつもりだ。言動から何となく思ってはいたが、コーネリアは大雑把な性格なのだろう。これで確定した。このままだと場合によっては自分の身が危ない。宙ぶらりんの姿勢から、待って待ってと焦ってコーネリアを振り返ろうとした時。
アランの視線の端を、何かきらりと光るものが掠めた。
「…待って、コーネリア」
「あん?」
いきなり声が低くなったアランに、怪訝そうにコーネリアは声をかけた。アランは暗い穴の奥を凝視したまま、低い声で言葉を重ねる。
「…何か、光った。」
「えぇ?あたしにはなんも見えないけど」
「いや、確かに光ったんだ。なんていうかこう…宝石みたいな、金貨みたいな感じの光り方だったような…」
「…それってまさか」
「もしかして宝物があるかもしれない…よね。この穴の中に」
一瞬のことだったので、何か光を反射するものが落ちていること以外は何も分からなかった。だが空気が流れてくることからして、この穴が縦方向にだけ掘られているものでないことはわかる。無駄足かもしれないが、奥には大きかれ小さかれ空洞があるはずなのだ。それを手短に説明すると、半分やる気を失っていたコーネリアの瞳にみるみるうちに生気が宿る。今にもガッツポーズをしそうな勢いで、彼女はうきうきと喋りだした。
「でかしたよアラン!あんたほんと眼は良いな!!」
「さらっとバカにされた気がするの気のせいかな…う、うえっ、待って、ベルト締まってる締まってる」
浮足立ったコーネリアが手に力を入れすぎたせいで腰のベルトが締まり、未だ宙ぶらりんのままのアランは呻き声を上げた。これは苦しい。コーネリアに抗議の声は届いていないようなので、諦めたアランは別のことを話し始めた。
「降りて調べたいんだけどいい?」
「勿論。じゃ降りるか」
その言葉を待ってましたとばかりにコーネリアは答え、行動を起こした。思い立ったら行動する、それは大変よいことだろう。それが、命綱すらなしに深さも分からない穴の中へ飛び込む、という急ぎすぎた行為でなければ。
「えっまさかそのまま飛び降りるなんて言わ――うわあああああああ!!」
アランの止める言葉も虚しく、コーネリアは片手で掴んでいた木の根から手を放す。そうすればもちろん、二人の体を支えるものは何もない。宙に放り出されたアランは、騎士としては情けない悲鳴を上げながら、暗い穴の底へ真っ逆さまに落ちていったのであった。
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