森へ
足を踏み入れた幻惑の森の中は、自然の美しさと生命力に満ち溢れていた。人の手が入らずのびのびと腕を伸ばす大樹がそこかしこにあり、豊かな緑の葉を茂らせている。苔むした岩の影を覗くと清水が湧き出ていて、それらは集まり小さな川となって森の中を流れていく。木に絡みつくツタはつやつやとした葉を茂らせ、木の根元から顔を出す野花は誇らしげに頭を上へともたげていた。見れば見るほど、この森に忌み嫌われる噂がまとわりついている事実が信じられない。土を踏みしめるように歩けば、ビロードの絨毯のように生えた苔が固い靴底をふんわりと受け止めてくれる。上を見上げれば、みずみずしい緑の葉の隙間からわずかに青空が覗く。
平和の象徴とでも言うべきであるような、穏やかな情景がどこまでも続いていた。
「…なんか、いい意味で普通だな。」
「てっきり魔術か何かで繕ってるのか思ってたけど…。確かに昔からある生命体や土壌は神聖な魔力を持ってる。普通に考えて魔術が効きにくい場所なんだから、そんなことはやるだけ無駄だ…。ということは、これがこの森の本当の姿なんだね。」
「おーおー、さすが騎士さんは小難しい話がお好きで。さぁてお宝はどっちかなっと。」
「いや、一応、地域の調査も俺の仕事なんだからね…?」
明らかにこちらをからかってきたであろうコーネリアに、アランはぷう、と膨れっ面で答えた。悪い悪い、という全く悪気のなさそうな声を適当に流し、クルミの殻をぽとんと一つ自分の後ろへ落とす。今のところ目印を辿れば森の外に出られる、はずである。クルミの殻の残りを確認しながらまた進行方向を向くと、コーネリアは少し先の地面にどっかりと座り込んで何かを見ていた。
「何してるの?金貨でも落ちてた?」
「いや。…見てみな、アラン。あんたはこいつをどう思う?」
顔を上げたコーネリアが指さしたのは、風化して苔に侵食された小ぶりの岩だった。見たところ何の変哲もない岩だが、彼女が指さしたのはその岩の裏側。そこには、尖った何かで引っ掻いた傷のような、模様のようなものが刻まれていた。
「……もしかしてこれ、神官文字…?」
「あんた、これ読めるのか?あたしは1分で諦めたよ。」
「…うん。そんなに難しくなければ読めるはず。」
早く読め、と分かりやすすぎる目線の急かしを受けて、慌てて地面に両膝をついて岩をのぞき込む。コーネリアが指し示してきた文字は小川に半分浸かっており、揺れる水面の中を透かし見るのはなかなかに難儀だった。
「えーと……『旅人に告ぐ。戻れ。此処は…ではない。戻れなければ、永遠に彷徨うことになる。……に…ものはいない。』」
「ここに迷い込んだ奴が、出られなくなって書き残したのか?そういやかなり前に旅人がここに入ったとか何とか、聞いたことあるようなないような…。」
「あるのかないのかどっちなの…。でも長い間水に浸かってて削れたみたいだから、細かい部分が分からないんだ。…あ、続きがまだあるみたい。えーっと――『夢の中、煌く暴風の中、鍵は眠る。』?」
「はぁ?何だよそれ…謎解きか?随分と変な言葉選びだな…おい、アラン?」
「……え、ああ、そうだね。」
皮肉るようなコーネリアの言葉は右から左に抜けていて、名前を呼ばれ我に返ったアランは適当に相槌を打った。その返答もどこか上の空といったようで、コーネリアは眉間に皺を寄せる。
「聞いてんのか?で、結局何もわからずじまいか?」
「……いや。多分、ひ…宝物がこの森のどこかにあるっていうのは間違いないと思う。」
「ほーう、根拠は?」
「…直感。」
「何だそのまるで説得力ない根拠は…。」
「コーネリアに言われたくない…。」
真顔で岩を食い入るように見つめたままぼそぼそと喋るアランに、コーネリアは若干苛々したような態度を見せていたが、アランの目には入っていなかった。『夢の中、煌く暴風の中、”鍵”は眠る。』このフレーズがどうにも頭の中から離れなかったのだ。特に最後の、『鍵は眠る』という部分。この森に眠っているものが宝物…可能性は低いが、自分の探している秘宝だと仮定すれば、文章に従うと鍵がすなわち秘宝である。秘境にある宝なのだから、秘宝と呼ばれてもおかしくはあるまい。それが何の鍵であるのかは分からないが。コーネリアの問いに、馬鹿正直に一瞬『秘宝』と言いかけてしまい、慌てて息を飲み込んだのは不自然だったかもしれない。
そうだ、この使命は誰にも知られてはいけないのだ。知られれば大混乱は避けられない。それが他国に漏れれば、これが好機と攻め込まれかねない。そうなったら、この国は。
などと考えている間にコーネリアはアランに苛立つことを諦めたようだ。いつもどおり皮肉っぽい笑い顔で、彼女はアランに言葉を投げる。
「で、アラン。あんたは、宝がどっかに眠ってると思ってるわけだ。それにはあたしも同意見だよ。けど、場所の見当はつかないんだろ?」
「うん。一応調べたんだけどそこはさっぱり。正直君がくれた情報一つでここに入ろうって決めたようなものだしね。」
「裏も取れないのにか?まったく、無鉄砲すぎるんじゃないのか。」
「そうだね。でもそれが俺の仕事だから。」
目線を下げ、アランは呆れたように笑う。それは自分の行為の無鉄砲さへか、それとも自分自身へか。コーネリアは頭を掻くと、空へ目を向けた。
「まぁ、座り込んでても仕方ないね。今できることは進むことだけ、だし」
「…そうだね。じゃ、宝探し再開するとするか。」
ぶっきらぼうなその言葉に、少しだけアランの気分は上向いた。膝を払い立ち上がると、葉の間からわずかに漏れた木漏れ日が顔に当たる。木陰で冷えた空気を吸いながら、再び彼女たちは歩き出した。
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