森のおとぎ話
「すみません、こういった事情で神話の情報を探しているんですが、お心当たりありませんか?」
「うーむ、ないねぇ。すまないね、役に立てなくて。」
「そうですか…。いえ、お話どうもありがとうございました!」
こんなやり取りも、もう何回目だろう。宿に泊まってすっかり体の疲れは取れたが、心の靄は今ひとつ晴れないままだ。それもそうだ、日が昇る頃から自分たちの畑を耕している農家の人に片っ端から質問をしては、上記のやり取りを繰り返しているのだから。
やはり昔々の話は、記憶から風化していくのが普通なのだ。
神話となれば知名度も高いため何か覚えている人もいるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。確かに存在自体を知っている人はほぼ全員だが、詳しく聞いても、自分の持ってきた本の序文に書かれている程度の知識しか持っている人は居ないのだ。つまり今まで、救世主など要らぬくらいに平和な世の中だったということなのだろう。それが今となっては仇となっているわけだが。否、平和な世の中であることに越したことはないが、平和が続きすぎても平和ボケしてしまうのだ。
「…どうしたものかなぁ。」
突き抜けるような青空を見ながら、一人立ち尽くす。頭上に広がるのは白い千切れ雲がふんわりと浮かぶ、何の変哲もない晴れ空だ。
ふわりと吹いた青臭い風が髪に絡みつく。季節はそろそろ秋で、ぽつぽつと森の木々が色づいてきていた。自然が多いこの区で摂れる木の実や果物は絶品だ。今日の晩御飯のデザートに果物が食べたいと我儘を言ってみようか。
やたらとご飯のことばかり考えてしまうと思ったら、どうやらもうお昼どきのようだ。既に日は真上を通り越し、僅かに西に傾いていた。
散々歩き回って焦らされた腹の虫がぐうっと音を立てる。誰かが近くにいたら、きっと赤面してしまったに違いない。うんうん唸りながら、舗装のされていないあぜ道を進んでいく中途でまた、人影が見えた。
「…あ、すみませーん!少しお話聞いてもよろしいですか?」
「…何?」
立ち止まった女性は、無愛想に声を発してこちらを見やる。
健康的に日に焼けた肌と、お世辞にも丁寧とは言いがたくまとめられた少し乱れた黒髪。前髪の下の緑の瞳が、やけに鋭くこちらを睨んでいた。
「今事情があって、救世主の神話について調べているんですが、何かご存知ではありませんか?」
服装的に騎士だと分かるだろうから、一々身分証明はしない。一ヶ月間飽き飽きするほどに通行人へ重ね続けた質問は、考えもせず口から滑り出てきた。
また知らない、という言葉が聞こえるのだろうなと、心の中では半分諦めの念を抱いていたアランは、次の言葉に瞳を見開くこととなる。
「……さぁね。そもそもあたしは神話に関してすらよく知らないよ、どうせ昔に誰かがでっち上げた話だろうし」
でも、と言葉をおいて、彼女は続ける。
「幻惑の森の中に、絵に描いたような金銀財宝が眠ってるってお伽話なら聞いたことあるよ。なんでも昔に大金持ちが財産を隠して、でもあまりにも森が深すぎて出てこらんなくなってそのまま死んだとか、そんな話が―」
「それ本当!?」
途中で大声に話を遮られた女性は驚いたように身を引いたが、そんなことはお構いなしにアランは身を乗り出す。
一ヶ月以上、聞き込みを重ねても手に入らなかった手掛かりがようやく尻尾を見せたかもしれないのだ、興奮して声が大きくなってしまっても許してほしい。はっと我にかえりごめんなさい、と謝るが、女性は特に気にしたような様子は見せずに言葉を続けた。
「あくまでお伽話だけどね。母さんから聞いた話だし、でも周りの子はそんな話聞いたこともないって言うし。真偽の程は保証しないよ。」
「…ううん、すごく参考になりました。ありがとう!」
まるでおもちゃを貰った子供のような笑みを浮かべるアランに、女性は変な奴、とでもいうような顔を向けるが全くアランは気にしない。というより、気づいていないのほうが正しいか。
にこにこと浮かべていた笑顔から一変、真剣な表情になりなにやらぶつぶつと呟き始めたアランを、表情がよく変わるやつだと思いながら女性は口をさし挟む。
「そろそろいい?昼飯まだだから。」
「あっごめんなさい!引き留めてしまって。お話、どうもありがとうございました!」
帽子を脱いでにこりと微笑んだ騎士を一瞥し、女性は去っていった。
その場に残った騎士もまた、いつまでも突っ立ってはいない。少しだけ傾いた太陽を図上に、彼女もまた宿屋へと駆け出したのだった。
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