暴風の章

猫の尻尾

 時は夕暮れ。見渡す限り広がる田園風景の中を、一人の騎士が歩いていた。ずり落ちてくるマントを時折邪魔そうに後ろへ押しやり、舗装されていない土と草の道を歩いてゆく。煉瓦で舗装された道は遥か背中の向こう側に消え去り、ここ数日はずっと土の上を歩いているブーツは土埃まみれだ。

 この王国の首都シュトルーフェ区を出発し、早一ヶ月近くは経っただろうか。自分の住み慣れた都市を後にしたのが、もう随分昔のことのように思える。神龍の命を受け、世界を救う旅に出る――童話の中にしか有り得なかったようなそんな状況下に、今まさに彼女―アラン・クラウフォードは置かれているのである。


 突然だが、彼女は人間ではなくドラゴンである。この王国に住まう種族のほぼ半数を占めるそれは、最早人間と同じ姿を取り生活することが出来るまでに進化した。もちろん任意でドラゴン本来の姿をとることも出来る。本来の姿で空を飛べば、ここまで時間はかからなかっただろう。だが事情は少し特殊だ。最早当時を知る者が長寿の妖精くらいしか居ない神話を探し求めているのだから、どんなに小さな噂でも重要な手がかりになりうる。それを見過ごして早さを優先してしまっては、思わぬところで後戻りをしなければならなくなるかもしれない。そう考えたアランは、わざわざ普段の姿のまま、山を超え川を超え、時折馬車などにも乗りながらここまで来たのである。因みに環境保護のため、首都からサダルメリク区には中途までしか機関車は走っていない。魔法都市ダビー区ならば一本で町中まで行けてしまうのになと、かつてそこに行ったことのあったアランは思わずにはいられなかった。来る日も来る日も地道に手掛かりを集めるため慎重に歩く探偵と、今の気持ちは何となくシンクロするようにも感じる。


 そんな事を考えながら進んでいくと、一面の田園風景の中、漸く一件の人家らしきものが見えてきた。道に突き出るように提げられた看板を見れば、それは人家ではなく宿だということが分かった。ほっと胸をなで下ろし、彼女は宿の扉を開ける。からんからんと、吊るされた金属のベルが小気味良い音を立てた。


「こんばんは。すみません、部屋空いてますか?」

「あらこんばんは。騎士さんがこんな所までご足労様。丁度最後の一部屋、空いてるわよぉ。」


 扉を開けると待っていた宿の女将さんは、人の良さそうな笑顔でアランを出迎えた。少しぽっちゃりとした、素敵なおばさんという感じの人物である。顔を見た瞬間何故か過った既視感に内心首を傾げながら、続きの言葉を紡ぐ。


「じゃあ一部屋、取り敢えず二週間お願い出来ます?」

「長い滞在なのねぇ、もしかして何か事件でも……あら!」


 今迄かぶりっぱなしだった軍帽をアランが脱いだとき、驚きと懐かしさが入り混じったような声が上がった。こちらを見つめた女将さんの二つの目がぱちくりと瞬いて、次の瞬間声が上がる。


「もしかしなくてもアランちゃんじゃないの!大きくなったわね〜!!」

「アリーチェおばさん!?まだ同じとこでやってたんだ!」


 思い出した。以前騎士団の研修でこの区に滞在していた時、お世話になった下宿先があったのだ。少し歳の行った夫婦が二人で営んでいた宿屋、名前は確か「ねこのしっぽ」。そしてそこの女将さんが、今目の前にいるこの人、アリーチェおばさんだ。まさかまだ同じ場所に宿屋を構えているとは誰が思うだろうか。少なくとも二十年は前のことだ、店は娘か誰かに譲って引退しているものだとばかり思っていた。

思いがけない嬉しい再会に、アランの声は弾んだ。


「も〜本当に久しぶりね!元気にしてた?ちょっとあんた、アランちゃんが来てくれたわよ!」


 アリーチェが厨房の奥へ向かって声をかけると、幾らも待たずに背の高い男が現れた。少し草臥れた服を着てエプロンを着けた彼は、此方を見た瞬間眼を輝かせた。


「おや……、一体何年ぶりかな。どうも爺は耄碌していけないな。」

「こんばんは、レオンおじさん。ご無沙汰しています。」


 手を胸に当て、お辞儀をするアラン。幼い頃から叩きこまれた礼儀正しさは、知り合いの前でも崩れることはない。


「それにしてもまた会えるとは思ってなかったわよ!あ、荷物運んじゃうわね。」

「いいですよ、鞄だけなので…部屋にそのまま置いておくのは心許なくて。」

「それもそうねぇ。ご飯はまだかしら?なら奮発してとびっきりの作っちゃうわよ!ほらあんた、早く早く。」

「作るのは君じゃないのに胸を張らないでくれよ…。じゃあアラン君、俺は一旦失礼するね。」


 大変嬉しそうに話す女将のペースに飲み込まれつつ、主人は苦笑して厨房へと姿を消した。その光景ですら、アランの目には懐かしい思い出の再現のように映る。押しが弱いレオンはよく、アリーチェの尻に敷かれていたっけ。


「今回は何かのお仕事?もしかして神官様と?」

「うーん、ちょっと違いますけど、騎士としての仕事ですよ。偉い人からのお達しで。」

「あんらまぁ、出世したわねぇ。ちょっと前まではまだまだひよっこだったのに。」

「まだひよっこですけどね。あの時よりは成長したつもりですよ。」


 その"偉い人"が、自分の上司である騎士団テールの団長はおろか、騎士団シエルの団長をも凌ぐほどの権力を持つひとだなんて、口が裂けても言えない…と、止まないアリーチェのお喋りを聞きながらアランは考えていた。誰にも言ってはならない、気づかせてはならない。きっとこの世の中の理だって、そんなものだ。


「ちょっと、伝承とか神話の調査に来てるんです。伝統保護活動の一環らしくて、色んな区で話を集めて報告するんですよ。」

「昔話?それなら古い街に行ったほうがいいわよ、ダビーとか。この辺りは相変わらず田んぼばっかりなんだから。」


 昔此処に赴任していた身、それは勿論承知していた。しかしここで引き下がるわけにはいかない、第一の秘境はこの場所に在るのだから。


「でも昔からここに住んでる人が多いですよね?だから話も集まるかなぁって。おばさんは知りませんか?救世主の神話とか、秘境の詳しい話とか。」

「秘境って言ったら西の方の幻惑の森よねぇ。入ったら二度と出てこられないとか言われててだぁれも近づいてないの。あたしが知ってるのはこれくらいねぇ。」


 眉を下げて申し訳なさそうに言う女将に、肩をすくめてお手上げのポーズをとるアラン。一ヶ月間情報収集をし続けてきても殆ど目ぼしい情報がない今、なんとしてでもこの町で情報を得たい。そのためにはさらなる地道な聞き込みが必要不可欠だ。


「そっか…ありがとうございます。…うーん、結構長くお世話になるかもしれません。」

「アランちゃんなら大歓迎よ、昔話にも花が咲くしね。あたしも調査、協力するわ。」

「あはは、ありがとうございます。ちらっとでも何か聞いたら、教えてくれると助かります。」


 信頼できる知り合いの願ってもみない申し出に、思わず顔が綻んだ。丁度その時レオンが食事が出来たと告げ、いい加減に抑えきれなくなっていた腹の虫を宥めようとアランは食堂へ向かったのであった。

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