神の願い

「……ようこそ。突然呼び出してしまって、申し訳なかったね。」


 淡い光が、寝台から溢れる。思わず目を眇めて見てしまったが、それよりも柔らかく儚い声が、まるで矢のように鼓膜を貫いた。寝台の上、上体だけを起こして此方を見ていたのは、未だ御姿を存じ上げている者は使者のみと云われる神龍様その人であった。


 まず目を引くのは、病的なほどに白い肌。生まれてから一度も陽の光に当たったことなど無いような肌は、染み一つ無い純白の衣に覆われ、膝から下には羽毛布団がかけられていた。男性にしては長めの絹糸のような金の髪は、ふんわりと顔の周囲を覆っている。頭上には宝石の散りばめられた銀のサークレットを頂いており、それが月明かりを反射して柔らかく光っている。知性と落ち着きを思わせる深い瑠璃の瞳は、今まさに天上に広がる、万物を優しく見守る星空のよう。いつだったか、美麗な方だと噂に聞いたものだが、正にその通りの御姿だ。


「…いえ。神龍様のお呼びとあらば、何処へでも参上致します。」


 暫し見惚れていたのを隠すように、アランは頭を垂れる。緊張のためまだ表情は固かったが、少なくとも焦ってしまうより幾分かましだ。そんなアランを見つめながら、神龍は柔らかく微笑んだ。


「改めて、来てくれてありがとう。こんなみっともない姿で会うことを、どうか許して欲しい。…今宵は、君にしか頼めない事を頼む為に来てもらったんだ」

「……私に、頼みでございますか?。」


 頷く神龍を見上げながら、アランは考えていた。

 神龍様ともあろうお方が、しかも直々に、まだ生まれて数十年のひよっこの自分にしか頼めない用事が有ると言う。神龍様の臣下には、それこそ自分よりも有能で文武に優れた者が幾らでもいるはずだ。何故その者達ではなく、自分を指名したのだろう。分からないことが多すぎる。元々が分からないことだらけの中、一つ疑問が解けてもまた複数の疑問が湧き上がってくるのではどうしようもない。先ず手っ取り早く、自分が呼び出された理由を彼女は知りたかったのだ。


「…だが、お願いのその前に、少し話をさせて欲しい。

非常に混みいった話だ、長くなってしまうが…話しても良いだろうか。」

「勿論です。」


 ありがとう、とまた神龍は柔らかく微笑み、暫し言葉を探すように俯く。その横顔が、疲れきって痩けているように見えてしまうのは気のせいだろうか。…否、気のせいであって欲しい。

 そして、少しの間続いた沈黙は、再び柔らかな声で破られる。


「…君は、"オー"の存在を知っているね?」

「無論です。何度か交戦したことも御座いますので。」


 "オー"。現在、この国を内から、外から蝕もうとしている、正体不明の異形の者。それは突然、影の中から現れる。家の影から、花の影から、石ころの影から。神出鬼没な上影に逃げ込まれると、闇の魔法を扱える者以外は追うことが出来ないため、世界樹を警護する使命を負ったエリート揃いの、シエルの騎士ですら手を焼く曲者。物理攻撃がほぼ通用せず、滅することができる手段は魔法のみ。正体に関しては研究が進められているが、どうやら彼らは負の感情が生命源であるらしいということ以外は分かっていないのが現状だ。

 本能のままに人を襲うものもあれば、知性を持ち言語を話すものもいるらしいと噂に聞く。知性を持つものほど強かで計算高く、なかなか倒されてくれないそうだ。だが遭遇したことがあるのは、騎士団の中でもごく少数のみ。自分の知っている知識を脳内で掻き集めても、僅かばかりだった。それ程に奴らは、謎に包まれている存在なのだ。


「そうか…。なら、少しだが話は早くなる。

知っての通りオーは現在、この国を脅かしている存在だ。君達のような騎士団…そして退魔師に対処をお願いしているが、二十年ほど前からそれは増える一方なのだ。」

「君が此処に来る中途で、シエルの者達と幾度かすれ違っただろう?神龍様は彼等に、オーへの警戒を強めてくれるよう頼んでいらっしゃってね。外部から招いた者はオーに侵食されていないとも限らない、と彼等は警戒する癖がついてしまっているのだ。居心地の悪い思いをさせてしまい申し訳なかった、彼等にも悪気は無いのだ。」


 中途でクレイグの弁解が入り、納得せざるを得なかった。確かにこの聖域にオーが入り込んでは一大事だろう。世界樹は神龍様と共に、この国の要であるのだから。

 二十年前から増える一方、その言葉が引っかかるが、アランは続けて神龍の話を静かに聞く。


「…出来る限り、私も近づけぬようにはしているのだが、それももう限界に近くてね。世界樹も徐々に侵食されてきている。」

「――ッ」


 突き付けられた言葉は残酷で、言葉に詰まった。先述したように、世界樹はこの王国の要。生き物で表すならば心臓部だ。それが侵食されるということは、これすなわちこの国の未来も食い滅ぼされることを意味する。

 樹皮から生える花が枯れかけているのも、まさかそれが原因か。穢れを祓う退魔師も、二十年前よりかは確実に増えている。それでも対処し切れないほど、闇は増大しているのか。


「……かくいう私も、このざまなのだ。二十年前から、起き上がれる時間が短くなっていっている。次に起きられるのはいつになるか分からなかった。」


 だから何の報せもせずに君を呼んでしまったのだ、申し訳ない。そんな言葉があとに続く。その言葉に、傍らに控えるクレイグとソフィアが唇を噛んだのが見えた。彼等も対処を試みたのだろう、だが効果はさして得られなかったのかもしれない。

 それを安心させるためか浮かべられた、疲れきったような神龍様の微笑みは、すぐに崩れてしまった。


「…もう、私個人の力ではどうにもならなくなってしまった。故に、君にお願いがあるのだ。アラン君、君の家にはまだ、『救世主の神話』は伝わっているかな?」

「…はい。然と。」


 唐突に名指しされたことに驚いたが、しっかりと返事をする。救世主の神話、いつの間にか記憶の底に埋もれていたお伽噺が、懐かしく蘇ってきた。


『八つの世界樹の雫を再び全て集めた暁には、朝霧の衣を纏いし救世主が現れるであろう。

流れる闇色の髪に、緋色の瞳を持つという救世主は、過去と現在、はたまた未来までもを見通す力を持ち、清らなる世に現れた刹那に世界を平穏で満たすという。

だが一方で、汚れたる世に放たれた刹那には、世界を一瞬にして無に返すという。


人の子よ、暁の龍を決して喚び出してはならぬ。

喚び出せば最後、この世界は――。』


「良かった。…君の家は今も、この国の記憶を護ってくれているのだね。」


 神龍がまた、柔らかく笑う。だが両隣に控えるクレイグとソフィア、二人の表情は未だに固かった。諦めきったような、生気のない姿を彼等はしていた。

 そんな昔々のお伽話を何故今、と、一つの可能性を脳内に浮かべ訊く前に、神龍はまた言葉を重ねる。


「…出来ることなら、もう少し世間一般で云うような"確証"のある解決方法を思い付きたかったが、私はあまり頭が回らなくてね。」


 苦笑した神龍の表情は、今にも眠りについてしまいそうだった。だがそれでも神龍は顔を上げ、言葉を紡いでいく。発せられた言葉は何と表すにしても、想像通りのものであった。


「救世主を――【暁の龍】をどうか、捜してはくれまいか。」

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