世界樹

 かつかつと律動的な足音が響く。無論素足にサンダルといった出で立ちの使者ではなく、軍服を纏い軍靴を身につけているもう一人のものだ。

 先程の出来事から数刻。彼女、アラン・クロウフォードは、神龍の使いと名乗る男と共に世界樹の頂上への道をひたすら進んでいた。あれよあれよという間に事が運ばれてしまい、一番困惑しているのは他ならぬ彼女だ。使者の話によると、神龍が自分を呼び出した理由は、神龍が自ら自分に語るという。まさかこの勤務服のまま神龍に謁見するのかと畏れ慄いたが、時は一刻を争うと懇願された為口を閉じるしかなかった。そもそも自分のようなただ一人の臣民に過ぎぬ存在に、名指しで呼び出されたこと自体が不思議でならないというのに、一体全体これはどういうことなのだろう。


 樹齢何千年にも及ぶ巨樹の内部を刳り貫いて作られた荘厳な宮殿の内部には、柔らかな光が満ち溢れている。滑らかに磨き上げられた大理石の床に、西洋蔦が絡み合って形作られているタペストリー。所々に顔を出す可愛らしい花は、加工されても尚木が生きている証拠なのだろう。何も知らないまま、神が住むと言われてもあっさり納得してしまうくらいの風景は、美しい一枚の絵のようだ。其処になぜ自分が存在しているのか、全くもって分からない。神官である両親に、もしも夢が叶った暁には決して粗相のないようにと幼い頃から礼儀作法を叩きこまれてきたが、この空間は桁が違いすぎる。入っただけで緊張で圧し潰されそうな上にこの神々しい佇まいだ。何をしたって粗相になる気がしてならない。

 そんな考えをあれやこれやと巡らせながら、染みひとつない純白のローブに包まれた背中を追う。稀に中途ですれ違う者と言えば警備中の騎士団シエルの人間くらい―本来なら立ち入りを許可されていない騎士団テールの黒い軍服を決まって怪訝そうに眺められるのがアランは苦手だったが―で、基本的にこの空間には不気味な程に人がいない。二人分の足音が、大理石の螺旋階段に反響しているのみである。こういった場合の沈黙に弱いアランは何か話題はないかと必死に考えたが、結局は恐れ多くて口を閉ざしてしまった。だが長く続くだろうと思っていた沈黙は、予想に反して破られる。自分を先導していた使者が歩調を緩め、彼女の隣に並んで歩きながら声を発したのだった。


「……すまないね、何の予告もなくこんな所まで連れてきてしまって。」

「いっ、いえ!そんな滅相もございません!」


 驚いて肩を揺らしぶんぶんと首を振るアラン。それに苦笑を漏らしながら、使者はまた言葉を紡いだ。


「…そんなに緊張せずとも大丈夫だというのに。そう言えば、自己紹介がまだだったかな。私はクレイグという者だ。唐突な無礼をお詫びする。」

「い、いえいえ!此方こそご無礼、大変失礼致しました…!」


 謝罪をした使者に、またも大慌てでアランは頭を下げる。がちがちに緊張している彼女を気遣ったらしい使者は、さらに笑いを苦くしてしまった。確かにこの空間はいきなり連れてこられて慣れられるような場所ではない、それは重々承知している。だからこそ、神龍様との対話の前に少しでも緊張を解しておきたかったのだが、案の定逆効果だったようだ。


「無礼だとは思っていない。…寧ろあの状況であれほど適切な行動はなかっただろう。貴殿は実戦での経験を積んだ騎士とお見受けする。」

「…ありがとう、ございます。まだまだ精進せねばなりませんが、お褒めに与り光栄です。」


 戸惑いながらも礼を述べ、少女はぎこちなく微笑む。少しだけ警戒心の解けたその笑顔を見ながら、クレイグは考えを巡らせた。

 ――彼女を連れてきて、本当に良かったのだろうか。

 まだ幼さの残るあどけない横顔は、大人というより子供に近い。溢れる好奇心を抑えることが出来ないと言わんばかりに内装を見つめる瞳は、何も知らない無邪気な色しか湛えていない。彼女に真実を突きつけ巻き込むことは、本当に、あの方の望んだことなのだろうかと。


「…クレイグ、様?」


 遠慮がちな低めの声に、クレイグははっと我に返る。気づけば足が止まっていたらしく、隣を歩いていた彼女も合わせて立ち止まったようだ。無限に続くかとも思われた螺旋階段は終わりを告げ、目の前にそびえ立つのは白亜の扉。ついに到着してしまったかと、クレイグの口元からは諦めたような笑みが零れおちた。


「ああすまない、少々考え事をしていてね。…到着したよ」


 緊張した面持ちでこちらを見る少女にそう伝えると、その顔がきゅっと引き締まるのが伺えた。もうその顔は子供ではなく、一人前の騎士の顔だ。その顔を見たからだろうか。勝手ながら、少しばかり肩の荷が降りた気がした。


「では、行こうか」

「…はい」


 まだ緊張は抜けないようだが、しっかりとした返事が隣から返ってきた。それを確認し、クレイグは白亜の扉に触れた。魔法で扉にかかっている鍵を、詠唱の力を用いて解除する。民衆の中からはほぼ喪われたという古代文字で綴られた文章を、一言一句違わず読み上げなければこの鍵は開けることができない。

 ひとしきり詠唱が終わると、かちり、と鍵の開いた音が小さく響いた。


「失礼致します」

「失礼致します!」


 二人同時に同じ台詞を口にした刹那、扉はひとりでに開いた。

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