バスは中央駅のバスターミナルで乗り換え。

エバンの家方面のバスに乗ろうとすると、ガキがついてきた。

「ヘイ」

声をかけてくる。8歳くらい? スリムで、目がくりんとしてる。振り向くと、にっこり微笑んでくれた。

「ニーハオ」

オレをチャイニーズと思っているらしい。

「ニーハオ」

返してみた。

そのとたん、パッと顔を輝かせて、走ってオレに近づく。

「ニーハオ」

またまた。中国語、これしか知らねーんだな?

目的のバス乗り場でバスに乗ろうとすると、今度は服を掴まれた。なんかかわいーかも。こいつ。

「英語で話せるよ。バスに乗るから、グッバイ」

バスの乗車口まで2メートルくらいのところ。


「ギブミー」


そう言われて、やっとわかった。これがストリートチルドレンだ。気が付けば、薄汚れたヨレヨレのTシャツ、泥だらけの足元。壊れたビーサン。オレは鞄から半分残っているパンを取り出した。

「これしか持ってないけど」

「やめろ!!」

バスの窓から誰かが叫んだ。

ん?

自分のことだなんて思わなかった。声のする方を見てから、ガキに視線を戻したとき、背筋が凍った。ガキが、6人に増えてる。どっかから走ってくるガキもいる。いっせいに手が伸びてきた。何本もの手がオレのバッグを掴み、短パンのポケットに手を突っ込む。夢中で逃げようとした。スマホ契約のために必要だったパスポート入りのバッグを死守。足が動かない。両足を一本ずつ掴まれてる。


バスの運転手と乗客が助けてくれた。

「アースホール!」

「ファッキンチルドレン!」

大人たちは、子供たちを掴んで道路に転ばせる。汚い言葉を浴びせながら。対する子供たちも、口々に何か言った。

「ありがとうございます」

髪を振り乱しながら、お礼を言ってお辞儀する。

「チャイニーズ?」

「ノー。ジャパニーズ」

助けてくれた乗客は恰幅のいいおじさん。

「日本人か。珍しいね。気をつけなさい。ストリートチルドレンは無視しなさい」

バスの運転手も、困った顔で教えてくれた。

「先週、中国人が、窓から一人の子供にお札を恵んだんだよ。そしたら、たくさん集まってきて、バスを発車できなくなった」

「気をつけます。あの子たち、英語じゃなかった気がするんですけど」

「ソイル語だよ。隣のイーストソイル国から来たんだろう。イーストソイル国もソイル国も昔は一つの国だったから、言葉は一緒なんだ」

「英語は話さないんですか?」

「イーストソイル国はポルトガルの植民地だったから、話すとしたらポルトガル語なんだよ」

「バカな話だよ。国境が定規で引いたままなんて」

冗談っぽく、そばにいた老紳士が笑った。


ストリートチルドレン、子供を乱暴に扱わざるを得ない大人、イーストソイル国からの入国、定規で引いた国境。

涙が出そうだ。

子供を可哀想って思うのとは違う。オレって、幸せな国で、のほほんと、今が楽しけりゃOK的なノリで。情けない。オレなんか、豊かな国で生まれて暮らして、家で甘やかされて、学校でもテキトーで、努力ってゆー努力なんてしてない。


ごめん。


何に謝るんだ? でも、なんだろう。何にも考えなかったことに? なんか、すまない気持ちでいっぱいだ。なんか、ごめんって。

ニーナ。

ニーナはこの国で生まれ育って、いろんなことを考えながら暮らしてきた? 高校へ進学できなかった友達のこと、理不尽だって思った? 恋愛もしないでの結婚を、やるせないって思った? この国で、どんなことを感じてきた?

舗装されていない道をガタガタと走るバスの中で、ニーナのことを想った。

なんかさ、恋ってもっと浮かれてふわふわしたもんじゃねーの? 今までの友達はそんな感じだった。ぜんぜんちげーんだけど。苦しいっつーか、こんな自分じゃ並べなくて切ないっつーか。

俯いたときの長いまつ毛や綺麗な唇、Tシャツの隙間から覗く褐色の肌を反芻。それでもテンションは「浮かれてる」なんてものとは程遠かった。



エバンの家で、ストリートチルドレンに絡まれたことを話したら、「迎えに行けばよかった」と言われた。高校生にもなって、ガキ扱いされるオレ。

「いい勉強になったって」

夜九時くらいまでは、予定通り、エバンの家族との歓迎会。

水圧が弱いシャワーを浴びて。

あ、ババアにオレの電話番号教えとこ。Wi-Fi契約して、母はスマホをそのまま使うはず。


♪♪♪♪ ♪♪♪♪


なかなか出ねーし。時差、ないはずなんだけど。なんかさ、カルチャーショックだったよなー、いろいろ。土産話いっぱい。


ガチャ


『もしもし』

「あ、おかーさん?」

『(ボソボソ)』

え? 男の声? マジで? まさか、不倫旅行?!

『アホユウ? どーしたの?』

「あのさ、携帯の契約したか『優吾』」

なんだ、親父かよ。びっくりしたー。

「おとーさん、久し『お前なぁ、高校生にもなって、お母さんに電話して』」

「元気?」と聞く間もなく、親父は小さく声を落とした。

『ひさしぶりなんだよ。お前だって男だろ? 分かるだろ? 連絡先はメールでオレに送っといて。切るぞ』


ガチャ


ツーーーー


今の何? 忘れろ! 今の電話は幻聴だ! 夢だ! オレはキャベツから生まれたんだ!

……。寝よ。

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