【編ノ一】木漏れ日の手紙 ~文車妖妃~

 私、乙手守おてがみ 文詠ふみよ

 今年、社会人になったばかりの新人ぺーぺーです。


 私のお勤め先は、降神町おりがみちょう郵便局のとある支局。

 そこで、配達のお仕事をしてます。

 配達といっても、車やバイクなんかでポストにお届けするのは、主に市街地でのお仕事。

 私が勤める支局は、田舎で人が少ない地区にあるので、いつも決まったルートをのんびり自転車で回ります。

 そんな感じなので、主婦の皆さんやおじいちゃん、おばあちゃん達とは顔馴染みになっちゃうくらい、アットホームな職場なんです。


 大きな変化はないけれど、私はこの職場が大好き。

 皆さん、いい人ばかりだし、田んぼや畑を渡る風も気持ちいいし。

 周囲は自然も豊かで、色とりどりの四季の装いは、絵葉書にしたいくらい。

 こんな素敵な職場に就職できたことを、とても幸せに思います。


 そして。

 このお話は、そんな幸せな仕事で経験した、ある出来事です。


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「おはようございます!今日も早いんですね、星宿ほしやどりさん」


 早朝、日課の散歩をしていると、一人のおじいちゃんに会いました。

 この人は星宿さんっていって、近所にある古多万こだま神社の神主さんです。

 毎日朝早く神社の長い階段を登って、境内のお掃除をしてます。

 とても優しいおじいちゃんで、配達に伺うとお茶をご馳走してくれたりします。


「おはよう、文詠ちゃん。そっちも散歩かい?」


 ニッコリ笑うと、ちょっと子どもっぽい顔になる星宿さん。


「はい。ちょっとでも早く道を覚えたいので」


 そうなんです。

 だいぶ慣れたつもりだけど、配達ではまだまだ地図のお世話になっている私は、こうして散歩をしながら道を覚える努力をしてます。えっへん。


「若いのに偉いねぇ。私が文詠ちゃんくらいの時は、朝のお勤めも放って、よく寝坊してたよ」


 そう言って、笑いながら白髪頭を叩く星宿さん。

 うんうん。よく分かります。

 私だって、散歩を始めた頃は寝不足でよく居眠りをし、配達用の自転車で田んぼに突っ込みそうになりました。


「じゃあ気を付けてね。この前みたく、迷子になったら遅刻してしまうよ」


「ありがとうございます。星宿さんもお勤め頑張ってくださいね!」


 星宿さんと別れてしばらく歩くと、小さな女の子に会いました。

 何故か、こんな早朝に一人です。

 その女の子は、ちっちゃな両手に何かを持ち、一生懸命「ふーっ、ふーっ」と息を吹き掛けています。

 ん…?

 よく見たら、風船ですね。

 しかも、どうやら女の子は苦戦中みたいです。

 風船はちっとも膨らみません。


「貸してごらん。お姉ちゃんが膨らませてあげる」


 近付いてそう声を掛けると、女の子は突然現れた私にビックリした顔になりましたが、おずおずと風船を差し出しました。

 ふぅ~…と息を吹き入れると、真っ赤な風船は大きく膨らみました。

 目を輝かせた女の子は、風船を受け取ると、何かがついた糸を風船に結びつけます。

 苦労して結び終えると、女の子は風船を空へ放ちました。

 風船はフワリと浮かび、すぐに地面に落ちました。

 笑顔だった女の子は、一転、悲しそうな顔でそれを見ていました。

 どうやら、息を吹き入れても膨らめば、風船は飛ぶものだと思っていたようです。


「うーん、お店のじゃないと、難しいねぇ」


 そう言うと、女の子はシクシク泣き始めました。

 はわわ…!

 これは困ったです…!

 慌てて慰めたり、変な顔をして見せたりして、女の子が泣き止むのを待ちました。

 そして、訳を聞きました。


 女の子は美空みくちゃんという名前でした。

 美空ちゃんには、とても大好きなおばあちゃんがいました。

 物知りで、優しいおばあちゃん…でも、去年の夏に亡くなってしまったそうです。

 まだちっちゃな美空ちゃんは、それがよく分からず、お父さんに「おばあちゃんはどこに行ったの?」と尋ねました。

 すると、お父さんは「おばあちゃんはお空の上に行ったんだよ」と教えてくれたそうです。

 でも、会いに行くのは難しいと言われてしまいました。

 おばあちゃんに会いたい美空ちゃんは、考えた末にせめて手紙を書くことにしました。

 一人でお着替えができるようになったこと、おばあちゃんが買ってくれた三輪車に上手に乗れるようになったこと…おばあちゃんが喜んでくれそうなことがいっぱいありました。

 美空ちゃんはまだ字が書けないので、お母さんに代筆してもらいました。

 でも、おばあちゃんの似顔絵は、自分一人で頑張って書きました。

 それを風船で飛ばして、お空にいるおばあちゃんの元へ届けようとしていたのでした。


 ここまで聞いて、私は美空ちゃんにドンと胸を叩いて見せました。

 …ただし、顔が涙でグショグショだったので、あんまりカッコよくなかったかもしれないです。


「任せて!お姉ちゃんが絶対におばあちゃんに届けてあげる。だって、お姉ちゃんは郵便配達のお仕事をしてるんだから…!」


 美空ちゃんの健気な願いを、何とか叶えてあげたい。

 その一心で、私はそんなとんでもない約束をしてしまったのです。


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 数日後。


「はぁぁぁ…どうしよう…」


 配達で寄った星宿さんちの縁側で、熱いお茶をいただきながら、私は思わずそうぼやいてしまいました。


「そらまた、エライ約束をしちゃったなぁ」


 作務衣さむえ姿の星宿さんが、苦笑を浮かべています。


「まぁ、文詠ちゃんなら、ある意味届けることは出来るだろうけど…」


「ええ、まあ…でも、そもそも私一人じゃ無理というか、力不足というか…」


 溜め息を吐く私。

 しかも、美空ちゃんには「一週間後にお返事もらってきてあげる」とも言ってしまいました。

 何て軽率だったのでしょう!

 嘘だって知ったら、きっと美空ちゃんは悲しむはずです。


「あああぁぁ…約束した一週間後がもう明後日に…どうしよう…」


 頭を抱える私に、星宿さんが笑いながら、


「ははは…じゃあ、もう神様にすがるしかないなぁ。うちの神社にお参りしてみるかい?」


 ああ…それでどうにかなるなら、今年一年、神社でお百度参りしてもいいです。


 …ん?


 神社!?


 その単語に、私はガバッと顔を上げました。


「それです!」


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 そして、約束の日。


 私は美空ちゃんを連れて、古多万神社にやって来ました。

 この古多万神社の奥には“北無きたなしの森”と呼ばれる深い森があります。

 中に入って帰らない人もいたという、いわくつきの場所です。

 私は、星宿さんに案内してもらい、その森の奥にある大きなクスノキの元にやって来ました。

 このクスノキは神社の御神木なんだそうです。

 初めて来た森の奥にビックリしている美空ちゃんに、私はあるものを手渡しました。

 それは美空ちゃんから預かっていた、おばあちゃんの似顔絵でした。

 キョトンとする美空ちゃんに、私はニッコリ笑い掛けました。


「美空ちゃん、それを開いて、おばあちゃんのことを思い出しながら、お祈りしてごらん」


 美空ちゃんは、不思議そうな顔をしていましたが、言われた通り、目を閉じてお祈りを始めます。

 少しすると、森を渡る風が消え、静かになりました。

 木漏れ日が手紙に落ち、静かな時間が訪れると、幽かに祈りのような、歌声のような音が森に響き渡ります。

 それは美しい旋律となり、木々の間を木霊していきました。


 そして…


“美空ちゃん”


 優しい呼び掛けに、美空ちゃんが目を開きます。

 ちっちゃな手に乗ったおばあちゃんの似顔絵の上に、キラキラと木漏れ日に照らされ、一人の年老いた女性が立っていました。

 大きさはペットボトルくらいですが、着物を着たその女性は、優しい笑顔で美空ちゃんに微笑みます。


 美空ちゃんが、小さな声で“おばあちゃん…”と呼びました。


 すると、おばあちゃんと呼ばれたその女性は、微笑みながらゆっくり頷きます。


“美空ちゃん、お手紙ありがとう。いろんなこと、教えてくれてありがとうね”


“美空ちゃんが一人で色々なことができるようになって、おばあちゃん、とってもうれしいよ。えらいね、美空ちゃん”


“おばあちゃんはお空の上から、ずぅっと美空ちゃんのこと、見てるからね…”


 おばあちゃんの声は、幽かな木霊のようでした。

 でも、美空ちゃんは呆気にとられながらも、ちゃんと頷き返しました。


 それは、ほんの僅かな時間。

 でも、美空ちゃんにとっては、待ち望んだ時間でした。


 そして…おばあちゃんは、微笑みを浮かべたまま、木漏れ日の中に消えていきました。


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 その後、星宿さんが、美空ちゃんを連れてお家まで送っていってくれました。

 一人になった私は、クスノキにペコリと頭を下げました。


「ありがとうございました、御前様」


 すると、クスノキの幹から浮かび上がるように、一人の女性が現れました。

 平安貴族のような十二単じゅうにひとえまとった、とてもきれいな人です。


「うまくいったようじゃの」


 ニッコリ笑うこのお姫様は樹御前いつきごぜん様。

 “彭侯ほうこう”といって、古木に宿る精霊さんです。

 古くから、この“北無の森”を守る、森の主みたいな存在だそうです。


「ええ。お陰で、約束を果たすことができました…こんな急なお願いを聞いてもらって、本当に何てお礼を言ったらいいか…」


「よい。わらわは【樹奏輪唱じゅそうりんしょう】で、そなたの後押しをしただけ…あのわらべを祖母に会わせてやれたのは、そなたの妖力があってこそじゃろう」


 微笑みながら、御前様がそう労ってくれました。

 私は頭を掻きながら、俯きました。


「いえ…私はまだ半端者で、こうでもしないと妖力も使えなくて…御前様にお力添えいただいても、あんな感じにしかできなくて」


 そうなんです。

 私、乙手守 文詠は“文車妖妃ふぐるまようひ”という特別住民ようかいの一人。

 私は、忘れ去られ、返事をもらえなかった恋文とかの手紙に宿る執念から生まれました。

 そんな私は、自分の妖力…【忘却文朧ぼうきゃくぶんろう】で、手紙や書物の中で朽ちた書き手の思念や怨念を、実体化させることができるのです。

 でも、力不足で、普段は読み手に「あれ?空耳かな?」くらいしか、声を届けることが出来ません。

 今日は星宿さんを通じて御前様に頼み込み、そのお力と妖力が豊富な“北無の森”をお借りしたのでした。


「…何じゃ?」


 不意に思い出し笑いをした私に、御前様が訝しげにそう聞いてきました。


「あ、いえ…昔のことを思い出したんです。この町に来る前のことです」


「ほう…そんなに面白いことがあったのかの?」


「いえ、面白いっていうか…」


 私は苦笑しながら続けます。


「実は私、ここに来る前、とある古寺に眠ってたんです。でも、眠っていた間に妖力が漏れちゃってたみたいで、ちょっとした怪奇現象を巻き起こしてて…周囲の住民に迷惑掛けちゃったことがあったんですよ」


「何と…それは難儀じゃな」


「そこに降神町役場から来た職員さんが、住民の皆さんとの間をとりなしてくれて…その後、正式に役場の人間社会適合セミナーにも入れてくれたんです」


 私は木漏れ日に目を細めました。


「その職員さん、まだ新規採用の身だったんですが、本当によくしてくれたんです。で、ある時『何でそんなに、落ちこぼれな妖怪わたしなんかによくしてくれるんですか?』って聞いたことがありました」


「…其奴そやつは何と…?」


 そう問い掛けた御前様に、私は笑って振り返りました。


「『貴女の妖力が、いつかきっと、誰かを笑顔にできるから』って。で『僕はそのお手伝いをしているだけだ』と」


 今日、美空ちゃんが会ったおばあちゃんは、似顔絵に宿ったあの娘自身のおばあちゃんへの想いを元に、私が妖力で編んだ幻です。

 私のした事は酷い嘘かも知れませんが、美空ちゃんの中のおばあちゃんへの想いは本物だったはずです。


(だって…)


 目を閉じる私。

 別れ際に浮かんだ、美空ちゃんの笑顔を思い出します。

 私に向かって「ありがとう」と微笑んでくれたあの笑顔。

 それは、一点の曇りもない青い空と大地を繋ぐ、木漏れ日のようなキラキラした笑顔だったんですから。


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