第150話 『合唱幻想曲』 ベートーヴェン

 初演は、例の『第5交響曲』や『第6交響曲』と同じ時に行われたということであります。(1808年12月22日)


 いつもお世話になっております、平林直哉さまの『クラシック名曲初演&初録音事典』には、初演時のなかなか興味深い記事が掲載されておりまして、事前の打ち合わせの不徹底で、この曲の初演時、リピート記号で戻った楽員さんと、先に行ってしまった楽員さんがあって、演奏は混乱状態になり・・・・(これ、しろとはよくやります・・・詳しくは、ご本をどうぞ!)ということとか、様々なトラブルが起こったようです。


 実はこの作品、管弦楽とソロ・ピアノ、さらに独唱者6人と、合唱団が必要という大変な曲であります。


 演奏時間そのものは、そんなに長大と言う訳ではないのですが、このくらいの人員が必要になると、コスト面から、演奏会に乗せるのはなかなか厄介です。


 しかし、この作品は、後の『交響曲第9番』につながる要素を多く含んでいることから、重要な作品であります。


 例の、『歓喜の合唱』のテーマと、よく似た主題が登場しますし、管弦楽と独唱、合唱が使われるという発想自体が、『第9交響曲』の先駆けとなっております。


 あ、『歓喜の合唱』の主題によく似た旋律自体は、ハイドン先生や、モーツアルト先生に既にあるものなのです。べー先生がご存じだったのかどうかは、わかりませんが。


 歌詞は、クフナー様という方の書いたものだと言われるのだそうですが、出典が確認できないらしいとも。


 内容自体は、『芸術賛歌』というところであります。


 しかし、歌詞というものは、恐ろしいものでありまして、あとから付け替えると言う事が、可能です。(現代は、著作権の問題はありますが。)


 それは、『替え歌』というものが、巷にはたくさんあることからも、あきらかでしょう。


 東ドイツで、かつて行われた録音を聞いていると、まったく違う歌詞になっているものがあります。


 それは、あきらかに、当時の政治体制を、ほめ讃えるもののようであります。


 現在からすれば、これ自体が、すでに貴重な遺産の様な感もしますが。


 ソビエトでも、こうしたことは、たとえば、ショスタコーヴィチ先生の『森の歌』でも、ありました。


 これは、もともとスターリンさんを頭から讃えていた歌詞だけれど(シュスタコ先生も命がかかっていたんだろうと・・・)、フルシチョフさまがスターリン批判を始めると、それに伴い、歌詞の書き換えが行われる必要が生じた、と言うわけですね。


 日本の『唱歌』でも、たとえば『我は海の子』では、現在は普段歌われない、軍艦の雄姿を讃える歌詞が、もともと続きにありました。


 もっとも、これを現在、歌ったからといって、多少批判はされるかも知れないけども、きっと逮捕はされないでしょうね。


 チャイコフスキー先生の『序曲1812年』は、大衆受けする有名曲ですが、これには『ロシア帝国国歌』が使われていました。(お歌自体は入らないです。)しかし、ソヴィエト時代には、それはまずいと言う事で、グリンカ先生の『イワン・スサーニン』の音楽に差し替えられていました。その録音もあります。なんだか似てはいるけど、まったく別物で、ちょっと、ずっこけてしまう感じはありますが、当時は、それこそ、これも命にかかわる問題であったのでありましょう。


 どなたか偉い方の気に入らないお歌を歌ったからと言って、警察に逮捕されたり拷問されたりする時代には、ならないでほしいものです。(もっとも、やはり、相手の人権を侵害するようなのは、ダメだと思います。はい。)

 







 

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