第147話 『交響曲第8番』 マーラー

 大変に、やっかいな交響曲。


 基本的には、お祭り的交響曲と考えられていて、おめでたいイメージの方が主流かとは思います。


 しかし、やましんの理解力を超えることが主な原因だとは思いますが、どうしても『第1部』と『第2部』の関連性からして、いまひとつ腑に落ちないところがあります。


 『第1部』は、マインツ大司教、フラバヌス・マウルスさま(780~856)作とされるラテン語の『賛歌』”来たれ 創造主なる聖霊よ” が歌詞として使われ、一方『第2部』は、名高いゲーテさまの『ファウスト』”終幕の場”から、取られています。


 これは、たぶん、クラシック音楽ファンの、一般常識の範囲内です。


 マー先生は『宇宙が鳴り響き始める・・・・・』と、おっしゃっていたようですので、古い時代からの宗教的な意味合いと、人生そのものや、学問や科学や未来や人生訓などとの総合を画策したような偉大なゲーテ先生とを、音楽的に宇宙規模で統一しようという、壮大な企画だったのかもしれないです。


 フィンランドのシベリウス先生は、交響曲は『極限にまで集約された世界である』と、主張なさったということで、このお二人は、対照的だと考えられてきましたが、最近は宇宙論とミクロの世界の量子論は、統一される方向に向いているらしいですから、そもそもシベ先生の交響曲『6番』『7番』、さらに交響詩『タピオラ』とこの曲は、同じ事実の両面じゃないのか・・・とか、シベ先生の項目で、わかったように書いたような気もいたしますが、音楽はもともと大変数学的な世界で(音ですからね)、科学との相性はいいらしい。


 とはいえ、音楽で宇宙を正確に航行できるとは、少なくとも現在は考えられていないでしょう。(やましんは、そういうお話を書きたいと思っておりますが。なお、意志の力で宇宙を航行するS.F.小説はありましたよね。『ゴー・キャプテン』という特別な能力のある人が出てくるお話でした。)


 ええ、脱線しました。


 ではありますが、ども、この曲が『祝祭的な音楽である』、と結論する勇気というものが、やましんにはありません。


 それはベートーヴェン先生の『第9交響曲』もそうです。


 どうも、全人類の『祝福されたる運命』(ファウストのお終いの方にありますが・・・)というものが、本当にあり得るのか?


 どうも、やましんは、いささか、懐疑的なのです。


 『うおわ~~~~~!!! ブッラボー!!!』


 という雰囲気に、乗れないところがあるのです。


 ま、実はそれがやましんの最大の弱点で、職場でも一人だけ乗らない、乗せない人だったわけです。


 でも、マー先生は、どうやら、ひたすら『ゆけゆけどんどん!』のお方ではなかったようです。


 最後まで、悟りきることは、できなかったように思えるのです。


 ならば、この曲は、いったい、なんなのか?


 まあ、そういうわけで、やましんは、この『交響曲』がいまひとつ、府に落ちないのです。


 初演は、1910年9月12日。


 3000人の聴衆を集め、各国の国王クラスから、有名音楽家までがずらっと揃った、とてつもなく豪華な演奏会であったそうな。


 そういう意味では、確かに、間違いなく、歴史上まれにみる『祝祭的』な音楽、な、わけです。


 

  ********** うき ❔❔❔ うき **********

 


 

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